リミット100
爆発の音。
恐ろしく大きな何かが壊れる音と、それがこちらに向かってくることに気がついたのはほぼ同時だった。
ピエロのように滑稽な表情の面を被り、爆発の勢いのまま飛来するそれ。
気がつくと、僕は無意識的に服を硬化させていた。
あらかじめ仕込んでいた緊急防御の『星夜奏』が起動。僕の周囲に真っ黒な荊棘と刃が展開される。
それの強さを魔力や気配などから推測したわけではない。
ただただ、この防御では足りないと本能が訴えていた。じっくりと考える間も無くその感覚の言う通りに体が動く。
持っている刀の柄を、自分の腕に触手のように巻き付かせる。
搾り取るように最大限度まで魔力を練り、詠唱など無視して『空断ちの呪い』を発動。
魔法完成の証である渦巻き模様が刻まれるのより早く、可能な限り早くそれを振る。
未完成の魔法で傷を与えられるとは思わない。ただ、刀の強度を少しでも高め、防御のためだけに。
予め用意していた防御システムを爆発的な勢いのまま突破した敵。
その腕が僕の体に触れそうな位置に達するのと、僕の刀が腕にたたきつけられるのは同時。
「っ〜!」
相手とぶつかり合い、僕の手に凄まじい衝撃が走った。
それでもしつこく残る痺れを強引に無視し、僕の後方に向かって刀を投げる。
相手の放った魔法らしきものと刀が空中でぶつかり合い、蜃気楼のように歪んだ後消えていった。
ただでさえ未完成だった僕の魔法が先程の衝撃と無理な使用で揺らぎ、周囲の空間と共に落ちていったからだ。
即席の防御体制だったがうまくいった。
なぜか別方向を見ていた敵が、ピクッと震えて僕の方を向く。
僕はなんとか初撃を凌ぎ切ったことに安堵する。いつでも攻撃に対処できるよう、最大限の警戒も忘れずに。
改めて敵を見る。
周囲の人間兵をお構いなしに巻き込んで僕に攻撃を仕掛けた狂人の顔は、仮面に覆われている。
見えるのは薄らと細く開けた目に、緑の不気味に大きな腕。
本来人間の指があるべきところには鎌のように鋭い爪が生え、血管が淡々と収縮と膨張を繰り返す。
先ほど僕の刀とぶつかったのはあの刃物のような鉤爪だった。
「……これで生きているのか」
ぼそっとピエロの面を被った敵が呟く。その声には奇妙なほど喜びが感じられる。
僕が生きていることが衝撃だったのだろうか。
ニタっと薄気味悪く笑った仮面が、今の夜という時間も相まって凶悪犯のように見えた。
味方であるはずの人間すら巻き込んでいる目の前の相手は、事実狂っているのだろうが。
そして隠す気のない殺意が僕に向けられる。そこらの一般兵とはまさしく重みの違う、高次元の害意。
果たして相手は、僕が冷や汗ををかいていることに気がついているだろうか。
僕の眼がとらえた彼の魂は、形が認識できる程度にははっきりとしていた。
勿論ある程度曇り、儚げではあるものの、それの意味するところは明確。
中位の魂だ。
『道化師』、アドヴェント大草原の魔王軍に甚大な被害をもたらした人間兵。
おそらくそれが、今目の前にいる相手だ。
「只者ではないな? ここに上級幹部は来ていなかったはずだ。貴様、何者だ」
まずい。
今の僕の脳内にあるのは強い焦り。
僕が心配しているのは、これから始まるであろうこいつとの戦いではない。それの周辺への影響、つまり、余波で甚大な被害が出ることだ。
一瞬で森を焼き尽くし、ほんのわずかな時間に数千個の魔法が飛び交う。瞬きもしない間に周囲に猛毒が撒き散らされ、無関係な動植物が死んでいく。
それが、僕の知っている中位魂との戦い。
そしてこの相手、想定していたよりよっぽど強い。僕も大規模攻撃を放たざるを得ない。
このまま戦えば、確実に両軍とも全滅する。
今僕がするべきことはただ一つ。
「『飛来する刃』!」
ほんの小さな、敵にとっては微風程度の精霊魔法。それを同時に100枚展開する。
それだけではなく大量の漆黒の刃を浮かせ、集中的に攻撃。
相手が突然の物量攻撃に困惑するほんのわずかな時間を稼ぎ、短縮に短縮を重ねた詠唱を練る。
「“閉じろ”『空封』」
「なっ!」
これは牢獄。ほんの100秒ほどしか持続しない代わりに、絶対に抜け出せない亡霊ためのの牢。
物量攻撃に対処していた『道化師』は対応しきれずに、あっけなく魔法によって封じられた。
あくまで応急処置。この間は相手が動けない代わりに僕も封じた内部に干渉できない。
だが、その間にしなければならないことがある。
「魔王軍全体に告ぐ!」
腹の底から大声で、魔法を使って広範囲に聞こえるように叫ぶ。
あまりの大音量に、先ほどまで繰り広げられていた戦闘が一瞬止み、皆こちらを見た。
そして僕は、普通に考えたらありえない命令を下す。
「全軍、退却せよ!」
皆が、明らかに困惑し、あり得ないという顔をする。だがのんびり説明する暇はない。
『道化師』を封じた魔法が切れるまで、あと80秒。
一旦通達を終わらせ、僕は最終手段を使うことを決める。
このまま退却しても、魔王軍は人間側に追われて殺される。それを防ぐにはどうすればいいか。
簡単だ。
人間軍が、全滅すればいい。
「『星夜奏』、起動!」
ギャァ!とあちこちから悲鳴が響く。それもそのはず。
人間側のいる全ての場所が、全て順次爆発していったのだから。また、ある場所では背丈より巨大な針地獄が出来上がり、またある場所では暗黒の薔薇が人間を絡め取っていた。
戦場が、僕の『独自技能』により地獄へと化した。
そして、人間兵をあらかた行動不能にした。
僕は、この戦場を上空から見た時にあることをした。
それは、周囲に圧縮した『星夜奏』をばら撒くこと。
いざという時に、戦場全てを操り、全てを殺せるように。
最悪、一人で全て終わらせられるように。
だがこれで戦場に蒔いたものを全て使い切ってしまった。もうこれ以上時間は稼げない。
つい先程まで戦っていた相手が死んだことに驚愕し、動けないでいる魔王軍の兵たちにもう一度叫ぶ。
「魔王軍、再度命令する! 退却せよ!」
本当に急がなければならない。『空封』が崩壊するまで、もう55秒を切っている。
「死にたいもののみここにいろ!」
数秒後、何人かが叫びながら走り出す。それを皮切りに、どんどんと魔王軍の兵士たちが逃げていく。
どうにも僕の想定していた退却、とは違うが、ここからいなくなるならそれでいい。
もうこれ以上は庇いきれない。
たとえ、これで退却せずに死んだとしても、僕は魔王軍を崩壊から守ろうとしたのだから。
「ブルーメ!」
「はっ!」
「私はこれから全力で戦う。そうすればほぼ全ての生物は死ぬ。魔王軍の退却の補助を」
「かしこまりました!」
彼女は血だらけだったが、ほとんどが返り血のようで生き生きとしていた。
これならば少しは安心して任せられる。
『空封』崩壊まであと40秒。
退却は始まったが、間に合うとは言い切れない。
『無血人形』たちもなんとか人間側の残党を殺し、魔王軍の助けとなっているが、退却の速度自体は変わらない。
ここから少なくとも1kmは離れてほしい。だが、それには最低でも5分かかる。思わず舌打ちしたくなった。
なんとか5分は『道化師』からの攻撃を受け止めることを決意し、そのために残りの時間で魔法を組む。
だが、それも間に合うかどうか。
僕が結界を作るのが先か、『空封』の崩壊が先か。
もし崩壊が先であった場合、結界を作っている最中の僕は『道化師』の攻撃に対応しきれない可能性が高い。
ほんの0.1秒の差が生死を分ける、最悪のスピードゲームが始まった。




