真実とその利用
ボロボロの天幕や野営設備が並ぶ。
ズタズタに切り裂かれな布切れや、バラバラに壊され原型をとどめていない酒樽。
今までの砂とは違う、何か固いものを踏みつけた感覚を覚えた。それも一度や二度ではなく。
月明かりと松明の薄明かりで見える範囲だけでも、遺体こそないが、そこらじゅうに固まったどす黒い血が散らばっていた。
先ほどいた兵士に責任者のいるところまでの案内を頼み、もうだいぶ歩いているはず。
陣の中でも内部であるはずなのに、ついほんの前に敵軍がやってきたのかと思えるほど荒らされ、えぐられ、もはや虫の息だった。
発光する目をした魔人が多い。だがそれとは裏腹に、それらの顔にも明らかに疲れが浮かんでいる。
憔悴、と表現した方がしっくりくるほどに。
もはや何かあったとしか思えない。
ところどころで兵士たちのたく篝火が数少ない道標となり、しばらくして大な野営施設の前に到着した。
「司令官、増援の方をお連れしました!」
破壊された痕跡の目立つ陣地の中、目の前の布で仕切られた空間だけは、唯一応急的な修復が施されていた。
なんとか機能するように首の皮一枚でつながっているそこは、アドヴェント大草原での本部。
その場にいた兵士たちと案内を頼んだ彼らとでしばらく会話をした後、何回かこちらを向いて頷かれた。
入って良い、ということらしい。
「現在、本来の司令官はお休みになられているため、副司令が対応すると申しております」
「なんだと? この状況で責任者たる司令が寝ていらっしゃると?」
こんな真夜中だから寝ているのか、程度にしか思わなかったがブルーメにとってそれはスイッチの入るものだったらしい。
後ろから不機嫌そうな空気を漂わせている。
「そもそも副司令とは、わざわざ救援にここまでこられたご主人様に対し無礼では?」
一介の兵士ではブルーメを止め辛かったのか、彼は彼女の詰問にたじたじになっている。
ただ今の僕にとって、現場の情報が得られるならば指令だろうが副司令官だろうが問題はない。
相手の立場など価値はない。必要なのは、この戦場のことを知っている、ということだけ。
他については正直どうでもいいのだ。
「どちらであろうと構わない、ブルーメ」
「ですが、ご主人様……」
「戦場において休息は重要だ。いかに司令官といえども休まなければやっていけないだろう」
「はっ……」
とにかく無理矢理にでも納得してもらう。今こんなところで時間を浪費しても無駄としか言いようがない。
「……いや、少し調べてくれないか? どうにも先ほどから周囲の様子がおかしい」
「かしこまりました!」
先ほどとは打って変わって大満足と言った表情。満面の笑みというのはこういう人を指して使うべき言葉なのだろう。
ブルーメに頼んだのは、要するにそこらの兵士たちに対して聞き込みをすること。ここらはあまりにもボロボロすぎる。
これで現場の兵士たちという視点からの情報もしっかりと手に入るはずだ
「入るぞ?」
「え? は、はい! お入りください!」
垂れ下がっている出入り口の幕を手で捲り、内部に入っていく。
そこは外見よりもよっぽど狭く、当然のことながら暗い空間だった。唯一の光源はは燭台の上に灯る3本の蝋燭。
そして一つの簡易的な机。
司令官の座にいるのは、熊に近い獣人だった。ただ体型が熊に近い訳ではなく、ほっそりとしていて、もはややつれているというレベルだった。
机の上にぐちゃぐちゃに散乱した資料は、目の前の獣人の心を映しているかのようで。
大きく赤い線で斜線の引かれた資料からふと目をはなしたかと思うと、少し驚いた顔をした。ようやく僕たちが入ってきたことに気がついたようだ。
「……よく、こんなところまでいらっしゃいました」
本当に安心したという様子で挨拶をしてきた。
だがその安堵の表情の中にも、隠しきれない疲労が浮かんでいた。
「貴方が副司令官か?」
「はい。ここアドヴェント大草原での戦闘指揮を担っております。貴方様が、我々の待ち望んでいた増援の責任者ですね? 早速ですが兵の数、そして使用可能な物資をお聞きしても?」
「兵の数?」
「はい……ああ、私たちには詳しい情報がないのです。ただ『増援を送る』という伝令だけでして」
伝達の不備について語られる。あまりに急いでいたので詳しい情報を後回しにした、と。
だが、何か根本的に食い違っているような気がしてならない。
「物資はよくわからないが、ここに来たのは私だけだ」
「……は?」
「正確にはもう1人いるので2人だと言えるか」
「……他に誰も連れてきていないのですか!? 私たちの要請していた医療器具もない!?」
ガタンと音を立てて立ち上がり、つかみかかるような勢いで問い詰めてくる。
あまりの剣幕。入り口の布が少し揺れたのがわかった。おそらくこの天幕の入り口で待機している兵士たちが声に動揺して、布に触れたのだろう。
だがいくら目の前の彼女が焦ろうと、嘆こうと、ないものはない。そもそもなぜ他の兵や物資が必要なのだ。
僕が全く彼女の状況をわかっていないのことを相手も気がついたのか、どさっと脱力するように座り込んだ。
「そんな……この状況でどうすれば……魔王陛下は、我らを見捨てたのか……? ああ、司令官、いったい……」
「……何をそこまで絶望する?」
「何を……逆に、あなた一人で何ができると!? 多くの兵は殺され、陣の内部まで攻め込まれ、むしろ今ここに魔人が存在するのが奇跡でしょう! あなたはなぜ一人でここに来たんですか!?」
「私の任務は、アドヴェント大草原に向かえ、というもの。一度たりとも物資やその他兵について言及されていない」
僕はなんの物資も、医療用の道具も頼まれていない。
そもそもこの任務を知ってからまだ一時間も経っていない。
魔王都を離れてからずっと、護衛部隊と行動を共にしていた。彼女が望んでいるようなものを受け渡される時間だってあるわけがない。
一体さっきから僕を何と勘違いしているのやら。
「何も、聞いていないのですか?」
「そうだ。魔王…陛下からの連絡はそれだけだった」
危うく魔王、と言いそうになった。この場の全ての者たちの王を、「陛下」なしで呼ぶのは流石にまずい。
だが、僕の言葉を聞いた副司令官の彼女は何やら困惑した顔をしている。少々まずかっただろうかと思ったが、彼女の口から飛び出たのは僕の憂慮と全くの別方向だった。
「あなた様は王命を受けたのですか?」
「普通、任務は王命による」
むしろそれでなければ僕は動かない。
僕、独立官は文字通り独立している。魔王のほか誰の管轄下にもない。言葉の意味からして当然のことと言える。
だが、彼女にとっては衝撃をもたらすものだったようで目をカッと見開いた。
「まさか『銀環の君』でいらっしゃいますか!?」
「……そうだ」
最後にその呼ばれ方をされたのが一週間以上前だったせいで、その単語が僕への敬称だと気がつくのが遅れた。
しかしそんなもの腕輪を見ればわかるだろう、と思ったところで、彼女から見ると僕の腕は机に隠れて見えないことに気がついた。
『天骸』のようなあらゆる感覚を飛躍的に伸ばす『技能』がなければ、視界の外のものには意識がいかないはずだ。
ふと彼女の方に意識を戻すと、何やら震えていることに気がついた。感極まった様子だ。
「まさか銀環という下級幹部を送ってくださるとは魔王陛下はそこまで私たちのことを……! この身は陛下に、そして全ての魔人のために……!」
忠誠心が厚いのはいいことだ。
好きにしてくれ。
「ん?」
どうされましたか?と聞かれたのでなんでもない、と返しておく。
今、銀環という下級幹部、と言ったか?
誰が幹部だって?
上級幹部は知っている。僕の同類、そして吸血鬼のエステーゼだ。彼女はたった7人しかいない魔王軍の上級幹部だ。
で、下級幹部とはなんだ?
魔王軍の階級は、その身分証の形状と色で決まる。
一番上が金色、そしてその次が銀色。
しかし腕輪にだけは虹色、とういう色があって、それは上級幹部だ。
だとするとその次の金色の腕輪は何を意味する? そう、中級の幹部だ。
上級があるならば中級もあっておかしくない。
ではその一つ下の銀色の腕輪はなんだ?
答えは簡単、下級幹部の証だ。そして彼女が先ほど言った、銀環という下級幹部、という言葉。
言われたさ、「僕には相応に高い地位を用意する」、と。魔王に勧誘された時に確かにそう言われた。
だが、幹部?
……存分に利用しよう。
人間の『英雄』殺しも、魔王軍の幹部が行えば国を救った英雄なのだから。




