静かな殺しと共に
今回は別視点です
パチッ、パチッと軽く音を立てながら木端が燃えていく。少しばかり風が強かったがそのまま無事に火がついたようで、暗い闇を照らす松明が出来上がった。
それを掴み取り、彼は指定された位置に向かう。
「お、お前が今日は夜警担当か」
「ああ。そういうお前もか」
軽く獣人の同僚の兵士に声をかけつつ、彼は手に持っていた松明を金属の器具に取り付けた。
夜の間に相手からの奇襲がないかを見張るのが、今夜の彼の役目。
「夜警っていうのは疲れるもんだね。それ以上に暇だ。できればやりたくないよ」
「そうか? これも俺らの仕事の一つだ」
「そうだがなあ……そういえば今日の担当はお前だったか?」
夜の警備はローテーションが組まれており、本来今日は彼の担当日ではない。そのことに同僚は気がついたのだろう。
松明の明かりが首を傾げる同僚を映し出した。
彼がの目の涙が普段より多いのは、松明から出る煙が目に染みるからだろう。いや、そうであるに違いないと彼は自分を納得させた。
「俺に、なったんだよ」
「……そうか」
それ以上その話は続かなかった。「俺になった」。その言葉が意味するのは、本来の担当がいなくなったということ。
戦場においてそれが何を意味するのか。それがわからない愚鈍なものはここにはいない。
「……相変わらず松明なんか使ってんのか」
「残念ながら俺はお前と違って夜目がきかないんでね」
少し重くなった空気を紛らわすかのようにたわいもない会話を続ける。
暗闇でほのかに光る獣人特有の目を少し羨ましく思いつつ、彼は人間の軍がいる方向に目を向けた。
今はわずかな月明かりと手元の松明しかないため全く見えないが、その方向から目を離さずしばらく睨み続けた。
「……あと何日、ここにいられるかな」
「どういう意味だよ」
「そのままだ。あと何日、俺の魂はこの地に止まっていられるかと言っている」
「は? 何言って……」
魂がこの地に止まっている、つまり生きているということ。彼は、あと何日生きていられるかと言っているのだ。
同僚は彼に不快感を示そうとして、思いとどまる。単純に言っても無駄だと思ったのもそうだし、それにもう一つ。彼だって認めたくないが、わかっているのだ。
今ここに自分が生きているのは運の結果だと。
この場において、死は常に隣にある。こんなところで絶対に生きていけると確信できるのは、一部の幹部級のみだ。
今ここにいるのはギリギリ綱渡りの綱から落ちていないだけなのだと。
明日、いや今から数分後に自分が死んでも、全く不思議はないのだ。
「今日、ここに来るはずだった奴は、殺されたそうだ。新手の人間兵に」
「くそっ……」
心の底から吐き出すように、その言葉だけで人が呪われそうなほど憎々しそうに呟いた。
ただでさえ、人間側の兵にはおかしな奴がいたのだ。
子供ですらやらないような下手くそな剣筋なのに、誰も倒せない。なんとかその兵から逃げ延びた者によると、その剣は振るうたびに雷が落ちてくるのだと。
だから誰も近づけなかった。熟練の兵士もそいつに挑んだが、連続して落ちてくる雷の猛威の前には無力だった。帰ってきたのは、焼け焦げた亡骸だった。
そんな奴がいたのに。それだけで十分脅威だったのに。
新手の人間兵、それはつい昨日ほどに現れて、生き残っていた兵士のおよそ三分の一を殺していった。戦闘に参加しているものから、後方で治療を担当していたものまで、全く躊躇わずに。
しかも、陣の奥の方まで来たにも関わらず、目につく人を一通り人を殺すと帰っていた。
やろうと思えば軍の壊滅すら可能であっただろうに、それをしない人間兵。
戦時中とは思えないふざけた態度と、その戦闘能力、そして行動の不気味さからその兵はこう呼ばれた。
「『道化師』め……」
ぎりっと奥歯の軋む音がした。人を殺すのを、ショーのように楽しんで、荒らすだけ荒らして去っていく狂気の兵。
本物の道化師を笑いという感情を運ぶものとすると、あの『道化師』は見事な役を果たしたと言えるだろう。
敵軍に恐怖を植え付けるという、人間にとっては素晴らしく笑える事態を引き起こしたのだから。
単なる強さが恐ろしいのではない。戦場において殺せる敵を殺さないという点がまた、魔人たちの恐怖心を掻き立てたのだ。
「奇襲だぁ!」
少し離れたところから、叫び声が響く。彼がその方を慌てて見ると、小規模ながらも鎧を纏った集団が確かにそこにいた。
「くそっ! 行くぞ!」
「は? ちょっ!」
同僚はまだこちらを追いかけてこないが、それを気にしている場合ではない。剣に手をかけながら敵のところまで走る。
彼は焦っていた。
人間の奇襲部隊。今動ける魔人の軍の人数からして、対処できない数ではない。だが、初動が遅れた。
もうここは魔人の陣地。非戦闘員だって当然多くいる。この敵を殺し切るまでに相当な被害を覚悟しなければならない。
『道化師』などのことを考えていた自分を恨んだ。そんなことをする暇があったら周囲を警戒するんだった。
頼むから被害が少なく済んでくれ、そう思って強く地面を蹴り込む。
だが彼が次の瞬間目にしたのは、信じられないものだった。
「……え?」
「おい、どうし…………」
遅れてやってきた同僚も、最初に奇襲に気がついた兵士も、その状況に気がつきやってきた他の兵士も、みな呆然と立ち尽くす。
二十数人はいるであろう、敵の奇襲部隊。バタンバタンと重要な器官を亡くした、元は兵士だったそれが倒れていく。
それらは全て、首がなかった。
いや、なくなっていた。
一瞬だった。敵から目を離すことなど誰もしていなかった。なのに、誰も気がつけなかった。
敵すら、叫び声の一つもあげずに死んでいった。
直後、何かか上空から落ちてくる。
なんの衝撃も音もなく、そこに実体がない亡霊の如く静寂と共に舞い降りた。
真っ白で色が抜け落ちたような長髪。ゆっくりとこちらに向けられた紫に近いその目は、何か全く違うところを眺めているようで。
その見た目はありえないほど美しく、だが一般の美男美女のように惹かれることはなかった。
この場にいるものたちが感じているのは目の前のそれの異質さ。その美しさは、冷たい。
第一護衛部隊にいた時に人々が恐れなかったのは、アオイが魔力を極限まで抑え込み、本能的に相手に与える存在感を薄くしていたからにすぎない。
魔力が極端に多いと、他者の記憶には絶対に忘れられないように刻みつけられる。
つまり、魔力を押さえつけるのをやめたとき、アオイの容姿は相手の脳に深く刻まれる。
そして人は無意識的に、その見た目の異常さを感じ取る。ありえない、造られた美しさを。
人間が、魔人が持つことを許容できる範囲を超えた美は、ある種の拒否感と恐怖として人々に還元されるのだ。
ありのままの状態のアオイを自然に受け入れられるのは、ほんの一部の実力者。もしくは、ブルーメのように幼い頃から魔力に親しんできたもののみ。他のものにとっては、ただただ異次元のナニカ、のように感じられる。
それだけではない。あまりに隔絶した空気。
戦争という極限状態で鍛え続けた彼らですら、目の前のそれが強いのか弱いのかわからなかった。
唯一わかるのは、目の前の何か、が奇襲部隊の命を刈り取ったということだけ。
この夜空とどうかしたかのような色の服を纏い、銀色の腕輪だけが異質だった。
腕輪は、あまりにも見慣れない身分証。ほとんどのものは気が付かなかった。が、ごく一部のものだけそれが魔王軍内の階級を示すものであると気がついた。
「…………幹部、だ……」
信じられないと言ったように、誰かが震えた声で呟く。
月に照らされながら、後の『悪魔』が地上に降臨した瞬間のことだった。




