当然血の味がする
ふらっと揺れた自分の影が、まるで悪魔の笑いのようだ。
最初に城に入った時に通った湖底通路を思わせる、仄暗い道を進む。
普段なら太陽の元であろうと暗闇であろうと変わらない。だがこれから会う相手が強者であると言うだけでより深い闇に見えてくる。
そして同時にその暗さがいい。『英雄』にあの剣を刺された感覚。その衝撃はすなわち死であり、この闇は自分の生を証明しているかのようにも思える。
魔人領全ての中で、最も優れた料理を提供する場所。それは城の中でも他から離れた、まるで隔離された孤塔のようなところにあった。しばらく歩いたところで、隙間から光の漏れる扉が見えてきた。
「ようこそいらっしゃいました」
扉の前には、一人の案内人がいた。隠密部隊の所属なのだろうか。案内人の彼女はブルーメの服と程近いものを纏っていた。
「銀の腕輪、所属番号23でお間違い無いでしょうか」
案内人の質問に軽く頷く。
僕の腕輪に刻まれている番号、それが23。魔王軍の中で振り分けられている所属番号だ。僕に割り当てられた部屋の番号でもある。
その数字の意味は知らない。おそらく意味などない、ただの管理のための数字だろう。
「我が主がお待ちです。どうぞ中へ」
案内人だと思っていたが、どうやら彼女は技術部隊隊長の専属だったらしい。我が主人、というのは僕をここに呼び寄せた魔人だ郎。
一瞬金具と金具の擦れる音がして、ゆっくりと扉が開けられる。そこから先は、先ほどとは打って変わって明るく鮮やかな空間だった。
キッと音を立てられて、後ろの扉が閉められる。
ドアの直線上には、一つのテーブル。
ただ、静か。それもそのはず、この場には僕と、給仕を務める魔人と、そしてもう一人しかいない。
手元の赤い何かを一口ばかり飲み、一人の幼さを感じさせる女性が顔を上げた。
「ん。よくきた」
あまり汚れていない口を何かで拭きながら、にこやかに挨拶をしてくる。
相変わらず向きによっては緑と青に変わる変わった素材の布を纏っている。それもボロボロ。この場の空気とミスマッチに思えるのに、実際はあまり違和感がない。
不思議な感覚を覚えながら、そのまま僕はテーブルの方に近づいていく。
「あなた、ここ座って」
「……じゃあ」
言われた通り、彼女の目の前になる席に腰掛けた。
のんびりと駆け引きをするような気はないので、(マイペースすぎて通じる気もしないので)単刀直入に要件を聞く。
「なんで僕をここに呼んだの?」
「ん? おいしそうで、たべてみたいから」
「…………」
僕はこれをどう受け取って、どう答えて、どう反応すれば?
「食べる、ってどういう意味?」
「どう? あ、伝わりにくかった? 私はあなたの、血をのみたい」
「………は?」
「だから、あなたのを飲みたい」
だめ?と顔を近づけてくる。改めて見ると透き通るような赤い眼だ。顔立ちも整っていると言えるだろう。
そして何より特徴的なのが、口からちらっと見える鋭い歯。
「えっと……なぜ、血を飲むの?」
「私は私だから。そして血は血であるから」
「……もう少し詳しく」
「くわしく? 私は、私。私は吸血鬼だから血が必要。それだけ」
……ようやくわかった。吸血鬼という種族だから、か。
頼むから初めにそれを言ってくれ。そうじゃないと本当に頭のおかしい人と対話している気分になる。
そんな種族も存在するとは、流石に地球ではないだけのことはある。
「ん?」
だから食べたいとかいう発言をしていたのか、と少し思ったところである疑問が浮かんだ。
「僕と同類なのに、食事がいるの?」
「いらない」
「じゃあなんで血が欲しいの?」
「しこうひん」
「っ! いつの間に」
気がつくと僕の隣の席に彼女がいた。さっきまで対面の位置にいたはずなのに、いつの間にか移動してきていた。
食事は必要ないが、嗜好品として? 言いたいことはわかるが……
「ねえ、お願い? 最近は私に血をくれるひとがいない。寂しい」
「え?」
ぐいっと体を掴まれる。思ったよりも、というか恐ろしく力が強い。
「ねえ、いいでしょ? 同類には初めてあった。だから同類の血はのんだことない」
「ちょっ……」
「だいじょうぶ」
「あっ......」
「……ああ、いい、いい、すごいいい!」
「……」
「どこまでも細かく、最適解を作り出したような味! ああ、こんなにいいものだったんだ!」
恍惚とした顔。口についた血を舌で舐め取りながら、うっとりした目で一人ごとを呟いている。
さっき思いっきり手を噛んで血を吸い取っていかれた。
血を吸っていかれる感覚が面白くて放置していた僕も僕だが、さっきからすごい嬉しそうな顔の彼女も彼女だ。
「ありがとう! お前に吸われるとしぬ、って言われてさいきん全然のめてなかったんだ!」
「……」
「あ、名前なに?」
「……アオイ」
「あいがとうアオイ! おいしかった!」
満面の笑みで言われようと嬉しくもなんともない。ついさっきの光景を絵にしたら、絶対に人から見たらやばい構図になっていた。
「そういえば、名前は?」
「私はエステーゼ。あれ? いってなかった?」
「……今初めて知ったよ」
ああ、なんというかどこまでも気ままな人だ。
ここにくるまでに抱いていた「技術部隊隊長」や「7人の上級幹部」のうちの一人だということへの畏敬の念が全て飛んでいった。
「あ、りょうり食べようか」
ようやく食時を始めるらしい。彼女が手を叩くとすぐに給仕の人がやってきて、僕のとことに置いてあるグラスに真っ赤な何かを注ぐ。
「これは?」
「私のすきな飲み物。赤くておすすめ」
ふと、周りをみる。『美食の間』の名に相応しく、美しく飾られた数々の料理が置かれている。
ただ、赤い。
改めて料理を見ると、赤かったのだ。
食事を茶色、緑色、と評価することはあっても、赤いと表現することはあまりないのではないだろうか。
ボルシチのような真っ赤なシチューから始まり、真っ赤な豆と葉物野菜を使用したサラダ、大量のイチゴのような果物。
魚の刺身のようなものもあれば、綺麗に花状に置かれたハムに、毒々しいまでに赤いキノコまで。
揚げ物のようなものもあったが、真っ赤なラズベリーソースらしきものがかかっている。
果ては飲み物。先ほど述べたように、赤い。
全てが赤い。ピンクに近い赤もあれば、まるで血のような赤色の食事もあった。
僕が来たからなのか、さらに新たな料理が運ばれてきた。それをみて僕は絶句する。
「たべないの?」
「……これは、何かな?」
すごい美味しいものを食べるようにかぶりつく彼女を見て、僕はかなり困惑している。主さまとの戦いでもここまで混乱することはなかったと言えるほど。
つい先ほど配膳された新たな料理を見る。
よくわからない狼型の魔物を丸ごと。調理などされていない、捕りたて生の魔物。しかも一部裂けていて、そこから血が流れ出ている。
豪快に足を引きちぎり、中の生肉を食べる彼女に聞く。不思議と彼女の口には、血一滴、汚れひとつない。
「デスウルフのにくかい」
「……この生肉、美味しいの?」
彼女は首を横に振る。曰く、これは血を飲むものであって肉を食べるものではないそうだ。
部屋中に独特の匂いが広がる。
僕は今こっちのシチューを食べているから、と丁重に断る。
そうすると彼女は何かを思いついたかのように、ふと空のグラスを取り出した。
「私の血」
そう言ったと思うと、彼女の手首に裂け目が入った。
その身に纏っている、謎の布を一瞬だけ高質化させて切り裂いたように見えた。本当に僕と同じようなスタイルだ。
そうこうしているうちに、ある程度の量が空のグラスに溜まった。
「もういいね」
そう言うと一瞬のうちに血が止まり、手首にできていた傷も消えていった。通常の人体ではありえない回復速度。
これも彼女が肉体改造をしているからだろう、そんなことを考えていると、衝撃のセリフが聞こえてきた。
「はい、さっきのお礼」
「……えっと、僕に言ってる、よね……」
血が並々と注がれたグラスを渡された。さっき血をあげたお礼に血をくれるということだろう。
僕に、これを飲めと!?
「あの、吸血鬼じゃないんだけど……」
「大丈夫。あなたの体なら、毒でもぶんかいできる」
「……」
「ほら、私のものんでいいよ?」
その後色々あって、結局彼女の血を飲んだ。いや、飲まされた。
もう一回飲みたいと思ったことは、おそらく誰にも言わないだろう。




