楽な仕事は唐突に
窓から差し込む朝日が寝起きの顔を照らしてくる。
「ん〜」
ベッドの上でぐちゃぐちゃになった僕自身の長い髪を手で軽く整えつつ、『技能』を使って服を作っていく。
いつも通りの黒い長袖の服。それに加えて今日は手袋を。
『星夜奏』が『独自技能』に進化してからできるようになった大幅圧縮。
部屋を埋め尽くすほどの「黒い物質」を作り出し、圧縮機能を駆使してほんの一枚の布切れサイズまでに縮めた。
最後にそれを手のひらにのせ、ピッタリ手にまとわりつくように加工したら完成だ。
「……久しぶりに寝たな」
ぼんやりと手袋をはめた左手を眺めながら、そんな言葉が口をついて出た。
肉体を作り替えてからもう一年。だんだん普通の人体にとって必須の行動をしなくなっている。
例えば、睡眠をとるという行為自体、一週間ぶりだ。食事だってそう。栄養素のバランスなんか完全無視だ。
「『虚無ノ塔』」
腕だけを別空間に突っ込み、幻世樹の枝を取り出す。特に何の調理もせず、そのまま齧り付く。
「ん、やっぱ美味しい」
いつも通り変わらない、美味しい不思議な気の枝。
思えば『虚無ノ塔』もかなり使いこなせるようになった。
初めの頃は自分ごと『虚無ノ塔』に移動させられるだけだったが、今では腕だけ突っ込んで収納しておいたものを取る、といったこともできるようになった。
それに伴って『亡霊ノ風』の空間収納の需要がどんどん小さくなっているのはどうでもいいことだ。
そのまま食事を継続しつつ、与えられた僕の部屋を改めて見て回る。
昨日はここに到着してからすぐに寝たのでわからなかったが、ものすごく広い。地球でいうところの一軒家、あれがまるまるこの部屋の中に入るレベルで馬鹿でかい。
天井が高すぎて無駄に思えるが、それも一種のデザインなのだろう。それのおかげで僕が『星夜奏』の「黒い物質」を大量に出現させられたのだから、しっかりと利点もある。
その上いくつかの部屋に別れていて、寝室、バスルームなども完備。執務室のようなものもなぜか完備。
こんな部屋を新人である僕に与えるとは、魔王には一体どれだけの財力があるのだろうか。円に換算すると大体……
そんなことを考えながら、執務室らしき部屋の机にある、一つの封筒を手にとる。
素人目にもわかるいい質の紙だ。
これからも「何か」を感じるので、技術部隊が何らかの仕掛けを施しているのだろう。おそらく情報の安全性を保つ何かを。
そこまでされたこれは何かというと、魔人の頂点たるお方からの指令。魔王からの命令書だ。
こういう指令を気がつかないうちに送る、それが僕ら銀環の部屋の役割だそうだ。
一体どんな過酷な任務になるのだろうかと思い、封筒を開けた。だがそこに書いてあったのは予想とは大きくずれたものだった。
「これは………?」
「新人研修と称して一ヶ月間末端に送る」、要約するとそう書かれていた。
「配属先は……陸軍地方防衛団街道統括局第一大隊第三護衛中隊第一護衛部隊」
名前が長すぎる。非常に分かりにくい。
まず陸軍の下にある、と。あの上空警備部隊は魔王都守護軍の配下だから、それとは違う軍ということか。
で、そこの地方防衛団の街道統括局。さらにそこの第一大隊の下の第三護衛中隊を構成する第一護衛部隊。
面倒だから第一護衛部隊だけならいいのに。ともかく、そこに行け、ということらしい。
「お、地図がついてる」
その部署がある位置の説明がついている。ここからいくにはまあまあ遠い。
「配属は……今日から!?」
いくらなんでも唐突すぎるだろう。
さらに詳しく読み進めると、どうやらまず僕にどんな職場で働くのかを体験してほしい、とのことだった。
これから独立官として働くと、過酷な任務が続く。その前に、一度は楽な任務に就けばいい、そういう気遣い(?)らしい。
配属先でも僕自身の身分と地位は変わらず、いざとなれば強権を行使しても咎めないとご丁寧に書かれている。一体どんな「いざという時」を想定しているのやら。
それは本題ではなく、この期間も独立官として働いたとしてその分報酬を渡す、というのが言いたかったのだろう。
新人研修として他の部署に行く、というのは魔王軍の中でよくあることだそうだ。
一種の潜入訓練だと思えばいい、というアドバイス付き。まず隊長室に行け、それ以上の情報はなかった。
「はあ……『部屋に続く部屋』に行くか」
あの後ブルーメに聞いたことだが、『部屋に続く部屋』というのは城内に数多くあるそうだ。空間系の魔法を駆使してそういうネットワークをが組まれている。
僕が昨日通ったのは、『銀木蓮』の部屋。銀の腕輪を持つ人々が最初に飛ばされる部屋。そこにはそれぞれの個室に繋がる鍵が置いてある。
それとは別に、場内のいろいろな場所に移動するための『部屋に続く部屋』もある。そこに移動するための鍵も『銀木蓮』の部屋にはある。
服の袖を捲り、外からは見えないところに銀の腕輪をつける。そして僕の部屋の中にある、一つの大きな鏡を向いて唱える。
「『銀は輝く』」
ぐらっと揺れたかと思うと、また濃い花の香りがやってくる。『銀木蓮』の部屋だ。
一切のの窓がないのに明るさが保たれている、不思議な密室。
棚に並んだそこから番号の刻まれていない、赤い石を手にとる。また魔力を流すと、どこかに飛ばされる感覚がした。
「『彼岸花』の部屋とでもいうか」
そこには、一輪の彼岸花が置いてあった。
『銀木蓮』の部屋より圧倒的に広く、さらに膨大な量の石が置いてある。
地図を見ながら陸軍地方防衛団街道統括局第一大隊第三護衛中隊第一護衛部隊の拠点から近い転移ポイントを探す。
「どこ?」
およそ1000以上ある石の中から探し出すのは骨が折れる。周りを見回しても、全くどれが必要なものかわからない。
地道に探しても仕方がないと判断し、少々力技に頼る。
まず、僕自身の処理能力とかなり高い記憶能力を駆使して、全ての石を記憶する。そしてその中から該当の石を脳内検索する。
「……これか」
力技のおかげで、約10秒で見つけることができた。
かなり大型で、僕が抱えるほどありそうな大きさの石。これを使って、目的の場所まで転移する。
魔力を注ぐのも慣れてきた。一気に必要と推定される量だけながし、その後は一切の放出を控える。
「……成功」
僕は見慣れない廊下に立っていた。目の前の扉には、「第一護衛部隊 隊長」の文字が書かれている。
ある意味僕の初仕事。
今回は楽な仕事らしい。ならば存分に、最初で最後の新人としての研修を楽しんでいこう。




