おかえり
幻世樹の中の広間で。
一体の霊獣と一体の霊獣の子が、広間の中心を見つめている。
中心に聳えるは、一つの『鏡』。鎖をその周囲に何十にも纏わせ、妖しく光っている。
その鏡面は常に水面の如く揺らぎ、映るものは悉く歪んでいた。
「主、さま……」
ビシッと高い音をたて、鏡を横断する大きな罅が生まれる。それまで揺らいでいた鏡面も、今となっては静止している。
鏡の傷つく不吉な音を聞き、霊獣の子は不安そうに声を上げる。
『……これから何が来るかわからぬ。いつでも防御できるように』
こうして霊獣が話している間にも、次々とひとりでに亀裂が走る。
その光景は、鏡の中のナニカが、その殻を破って出てこようとしているよう。
ガラスを無造作に叩き割ったような歪みが生まれ、それが不気味な人型のシルエットを作り出す。
しばらくすると、罅が入ることは無くなった。
無数の亀裂の入った鏡に、大量の鎖が反射してなんともいえない不気味な光景が生まれた。
そのまま何も起こらない状態がしばらく続き、やがて霊獣が何かに気づいたように叫ぶ。
『来るぞ!』
ガシャっと一際大きな音をたて、3mはあろうかという鏡がついに崩壊した。
数多の金属片とガラス片、そして何十にも巻かれた鎖が落下していく。
その惨状の中心に、ソレ、がいた。
雪のように真っ白で腰まで届くかという長い髪。
完全なバランスを持ち、誰もが振り返るようで男女を感じさせない顔立ち。
着ている服は闇のような深い黒色。
デザインはコートとローブを足して2で割ったような変わったものだったが、しっかりとその者に似合っていた。
ゆっくり瞼を持ち上げ、見方によっては金紫色ともとれる美しい瞳が現れた。
羨むことすら出来ないほどの、完璧な容姿。
周囲の金属片が光を反射して、この世のものとは思えぬ雰囲気を纏っている。
そう、『この世のものとは思えぬ』ような。
膨大な魔力が渦巻く。魔法を得意とする人間を、100人集めても足りぬような魔力が。
常人であれば気絶してもおかしくないような威圧感が漏れ出す。
『…………これ、は………』
あまりにも元のアオイと変わり過ぎた姿に、霊獣は言葉を失う。
そして同時に困惑する。これは、正常な状態であるのか、と。
ソレ、の目は焦点があっていない。
この量の魔力を放出しているのであれば、それは暴走状態のはず。だが、今目の前の者は何もしてこない。それは正常に判断ができるからなのかもしれない。
もしこれが『鏡』を制御し切り、望む姿となった状態であれば、存分に祝福し祝うべきだ。
もしこれが『鏡』の制御を失い化け物となった状態であるのならば、殺さなければならない。
「アオイ!」
霊獣の子がソレに向かって叫ぶ。それと同時に霊獣は焦りを感じた。
暴走しているかもしれないのに下手に刺激をするのは、そう言おうとした時、アオイ、であろう者が手を上に掲げる。
何が起きるのか、と霊獣は臨戦体制に入ろうとした。
だが、危惧していたことは起こらなかった。
『魔力を、体内に戻している?』
掲げた手から魔力を吸収していく。そして数秒経った頃には、全ての魔力が体内に戻されていた。
全く体外に漏れず、霊獣をもってしても感知できない程に魔力が制御されていた。
ソレは朧げに手を下ろし、そしてピクッと震える。
そしてあやふやだった目の焦点をしっかりと合わせ、霊獣たちの方を見た。
「アオイ!」
気がつくと霊獣の子が走り出していた。霊獣は慌てて止めようとするが、実際に止めるには至らなかった。
「……戻ってきたよ、ヘノー」
アオイは微笑む。
「おかえり!」
ヘノーは破顔する。
霊獣は止めなかった。なぜなら、その必要などもうなかったから。




