雨を眺める
主さまの背後から_と言っても空中だが_首に添えられているもの。それは表面の模様が蠢く、愛用の黒刀。
『……よくここまで辿り着いた』
主さまが感心したように言う。僕があの大量の見えない攻撃の網を掻い潜ったことに驚いているのだろう。
確かに、普段なら僕は何もできずに倒れていた。ほんの一瞬『魂ヲ知ル』を発動させただけでこれだ。
……だがここまできた達成感は無に等しい。
僕の首元、そして心臓の前で浮いているもの。それは魂毒を混ぜ込まれた小さな光の玉。
「……」
体が震えないように、痛いくらい強く唾を飲み込んだ。
体が震えないように、余っている意識を刀に向けた。
簡単に僕を殺すそれをはっきりと意識すれば、僕の精神がどう動くかがわからない。
主さまは動かない。元から動く気がないのだろうし、これは模擬戦の超えてはならぬ一線だと理解していたからだろう。
僕も動かない。
「主さま、僕にトラウマでも植え付けたいのですか?」
この刀をいくら素早く振おうと、主さまの体を殺す前に僕が死ぬことは見たから。
代わりに僕は口を動かす。
話している間にも口角が吊り上がってしまいそう。達成感はなくとも、今は楽しい。
『そんなわけはなかろう』
ふっと体が軽くなった気がした。恐ろしい殺気がと光の玉が消えた。それを受けて僕も刀を下ろした。
どうやら模擬戦は終わりということらしい。
しかし『そんなわけがない』のならば攻撃に魂毒を混ぜないで欲しいものだ。もしこれが爆発すれば、僕はまた長い眠りに着く。
1年前の魂毒の傷でずっと眠っていた僕にこの攻撃。
トラウマをで発狂してもおかしくない。
主さまがどう思っているかは知らないが、別に僕の精神は強靭でもなく、当然狂人でもない。普通の生物だ。
『客人こそ我を殺す気でもあるのか? 無意識的にだろうが、その刀に毒が混ざっているぞ』
「……意識的ですよ」
無意識でこんな器用なことはできない。そんな領域に達するのはまだまだ先だろう。
「これはせめてもの威嚇用です。これくらいなら主さまはすぐ回復するでしょう」
ほんの微かに魂毒の混ざった刀を目線で指し示す。こんな少量の魂毒でどうやったら霊獣を殺せるものか。
僕があの魂傷から回復できたんだ。文字通りの不死鳥に不可能なわけがない。
『………魂の傷は原則治らないことをわかっているのか……』
「ん? どうかしました?」
上空から降下している間に武器を片付けようと集中していた。
しかし一度出現させた魂毒を消すというのは少し手間がかかる。
ゆっくりと丁寧に分解して無毒化して、とかやっていたので主さまが何か言ったのを聞き取れなかった。
「あ」
『どうした?』
僕が突然真上を向いたので、つられて主さまも上を向いた。
一瞬怪訝そうにした主さまだったが、すぐにこの空間の異変に気がついたらしい。
『よっと。アオイ、主さま〜』
ぽんっと僕の少し上に転移してきたのは、スライムのヘノーだった。
急に現れたへノーはそのまま重力に従って僕の頭に落ちてくる。ちょっと驚いて頭が揺れた。
『あ、ごめんボク重い?』
その質問に緩く首を振る。連動してへノーまで揺れているのが伝わってきて面白い。
「このままで大丈夫だよ」
僕に気を使ったのか退こうとしてくれるが、特に負担はないのでそのままでいいと伝える。
僕の頭に乗るときに何か『技能』を使ったのかそこまで衝撃はなかったし、へノー自身も軽い。
そもそも僕の体は頑丈に創ったものなので、よっぽどのことがない限りへノーがどうしようと問題ない。僕自身も嫌だとは思わないので断らないし。
『模擬戦は終わった〜?』
「うん。あとは後始末だけだよ」
地上に広がる、惨状としか言えない光景。これからここの動植物たちを元通りに直さないといけない。
特に今回は楽しすぎて幻世樹の領域外まで影響が出てしまった。
『では……客人も癒しの炎は使えるようになったな?』
「はい」
これまでは他者の傷や植物を元に戻す魔法を使えなかったので主さまに後始末を任せていた。
だが今は『金霊獣ノ祝福』を僕が取り込んだことにより獲得した、『蒼ノ癒炎』がある。
今まで任せっきりで申し訳なかったが、これで少しは僕も協力できる。
『まだ慣れないだろうから、客人は樹に対して南を。残りは我がやっておく』
「わかりました。主さまの負担が多めですけど僕一人は難しいのでお願いします」
『ああ』
そう返事をすると主さまは一度大きく頷き、幻世樹の奥の方へ飛び去っていった。
「とりあえずこのまま南に飛んでいこうか。へノーも来る?」
『うん!』
「じゃあ大丈夫だと思うけど少し揺れるから気をつけてね」
頭の上でへノーが頷いたのを確認し『亡霊は迅速に』を起動させ……ようとしてやめた。
せっかくだから今までとは違う、ある別の飛行を試そうと思ったのだ。
「ちょっと別の飛び方を試そうと思うだけどいいかな」
『もちろんいいよ〜。アオイの好きにしてね〜』
「じゃあ__“風の精霊に願う” “我が身を大空に” “縛る者なき自由の風に”__『精霊の飛翔』」
心地よい風が僕を包み、しっかりと空を舞えている。
このままでも問題がなさそうなことを確認した後に、『亡霊は迅速に』を停止した。
僕がやってみたかったのは精霊魔法での飛行だ。前にブルーメがやっているのを見た時に、とても滑らかで穏やかに飛んでいた。
今は戦闘中でもないのだから、そちらの方が合っている。そして何より体にかかる負担が少ない。
『あれ? アオイって精霊魔法使えたの?』
なぜ精霊魔法とわかったのか不思議だったが、詠唱と僕の魔力の動きで普通の魔法ではないことに気がついたらしい。
「使えるようになったのは少し前……じゃなくて一年と少し前くらいに使えるようになったんだ。これくらい使えるようになったのは目覚めてからだけど」
昔はほんの小さな攻撃を使えるくらいだった。
だが今なら、一瞬で使える魔力もふえた。なぜか感覚的に効率よく『技能』を使えるようにもなっている。
ゆっくりと太陽の輝く南側に移動しながら、規格外の祝福の性能を噛み締めていた。
『風が気持ちいいね〜。でもなんでだろう。ちょっと精霊魔法っぽくない気がする』
「そうなの?」
『うん。ボクも風じゃないけど精霊魔法使えるんだよ〜。で、アオイの魔力と、その時とちょっと周囲の……魔法の対象の動きが違う気がする』
へノー曰く、風の動きが精霊魔法にしては少し妙らしい。
自然物に報酬として魔力を渡し、そのかわりに言うことを聞いてもらう魔法。自然と対等、それが精霊魔法のはず。
だがなぜか僕の周囲の風の動きは対等な契約というより、忠誠と絶対服従に近く見えるらしい。
最初に僕の魔力の動きが普段と違うことに気がつき、そして僕の供給した魔力に対して近辺の風の動きがおかしいとも思ったそうだ。
『特にアオイに近いほどそんな感じ。まあボクの感覚だけどね〜」
「なるほど……」
『全然関係ない可能性もあるよ。単に精霊魔法の種類の違いかもしれないし』
「いや、多分勘違いとかじゃないと思う」
『え? そうなの?』
「うん。今使っている魔法は『精霊魔法:風』に属する魔法なんだよ。だけど、僕の持ってる『技能』は『精霊魔法:風』じゃないんだ」
『ん?』
どうやら伝わりにくかったらしい。
ここまでの説明はだいぶ詳細を省いているし、僕のステータスなんか知るわけないだろうからわかりにくいのは当然だ。
一見矛盾しているし。
「えっと、僕の持ってるのは精霊王法、っていうのなんだ。多分精霊魔法が進化した『技能』」
精霊王法を持っているならば、それの下位互換にあたる精霊魔法に属する魔法は使える。
ピラミッドに魔法が順々に配置してあるとする。
精霊魔法はピラミッドの下の階層にある魔法を使えるようになる『技能』。
対して精霊王法を持っているとは、ピラミッドの上の階層までの魔法を使う権利が得られる。
そこには当然ピラミッドの下の階層にある魔法を使う権利も含まれている。
だから、僕は精霊魔法を使える。
しかし、ピラミッドの上層まで行く実力のある人が、下層のものを使うとどうなるか。
当然、下層までしかいけない人が扱うのとは違いが生まれるだろう。
まあこれは補足で余談だ。あくまでイメージ図であって、細かくは違うかもしれない。
「多分、風の『王』として使ってるからへノーが感じたみたいになってるんだと思う。よく見ただけでわかったね」
僕だったらこの状況にいても、景色や別のことを考えていて気がつけないだろう。
初見で魔法に違和感を感じ、そこから深く観察して答えに辿り着く。僕にはできないことだ。
『……ボク、アオイとかそのすごい近くばっかり見てるからかな……景色なんて見なかったよ……』
「ん?」
『なんでもない! それより、精霊魔法より強いの持ってるってすごいね〜!』
「……ありがとう」
ちょっと遅れて嬉しさがやってきた。
何気に人に褒められるのが久しぶりかもしれない。特に普段からずっと近くにいる人に認められると、より嬉しいものだ。
『あ、そろそろ着いたんじゃない?』
「そうだね」
大体樹の南側の中心にたどり着いた。ここからなら満遍なく周囲を癒せるだろう。
主さまは昔翼をはためかせるだけで、周囲全てを回復させていた。流石に効果範囲までは真似できないが、やり方は真似してみる。
右手を突き出し、そこに癒炎を這わせていく。元の腕が見えなくなるほど炎を強く、そして圧縮してみた。
『おっ、すごい主さまっぽいね〜』
「確かに」
言われてみると主さまとそっくりの見た目になっている。どうせならば炎を羽状に加工してさらにそれっぽくしよう。
羽根一枚一枚を丁寧に再現するように、かといって全体のバランスも崩れることのないように。
慎重に丁寧に、ちょっと遊び心を込めて形を変える。
『アオイに翼が生えたみたい! ボクもなんかやろうかな〜でもそんなに細かくは無理だしな〜』
何やらへノーが悩み始めた。僕も改めて自分の生み出した蒼い炎を眺める。
少々時間がかかったが、僕の体から蒼い翼が生えたように見える。
なかなか再現度が高いのではないだろうか。しょっちゅう主さまを見てる僕からしても満足できる出来栄えだ。
「____よっ!」
仮の翼を大きく、強くはためかせる。
はじめに一つ羽が飛んでいき、二つ、三つとどんどん飛び出していく。
風に乗ったようにふんわりと、癒しの炎は全方向に向かって広がっていった。これで僕の治すべき範囲は全てカバーできたはず。
「いい感じだね。じゃあ、起動!」
ドミノのように、ぼくのいる所から連鎖して次々と羽が崩れていく。
そして崩れた『蒼ノ癒炎』が小さな粒となり、雨のように地上に降り注いでいった。
その雨の落ちたところから、順に地面が潤っていく。植物が生えてゆく。模擬戦に巻き込まれた小動物たちもまた動き出す。
ふと横に気配を感じて振り向くと、いつの間にかに人型になったへノーが立っていた。
僕らにも降ってくる炎の雨を一粒。手に取り、魔力の香りを楽しんでいる。
「綺麗だね〜」
「……そうだね。すごい綺麗だと思うよ」
何がかは言わない。
言っても意味がないし、僕がそう思っていられればそれは十分だから。
やっぱり帰って来れてよかったと、改めて思えだ。




