色々泣く
空っぽだった肺いっぱいに空気を取り込む。咳のせいで呼吸がままならないのか、それとも久しぶりの呼吸だからなのか。
「ゲホッ、ァッ〜!」
急激な変化のせいか体が痛む。その感覚が懐かしくて涙が出てきそうだ。
僕の身体がうずくまっている間にも、魂が反射的に体を守るように黒い服を創造しているのがわかった。
暫くして体が少しは言うことを聞くようになった時、目を開けるってこんな感じだったなと。
眩しくてごちゃごちゃしていて、やけに入ってくる情報が多い。
身体中にかかっている蒼い液体が気がつくと蒸発している。何かの液体の中にいたようだが、いったい僕は何に漬けられていたんだろう。
震える手を床について、ぐっと上半身を持ち上げた時。
「……ああ」
普段より冷え込んでいた僕の心が、元通りに、それ以上に温まる。
ぼやける目に飛び込んできたのは僕がこの世界で一番感謝している人たちの姿だった。
「……アオイ……?」
信じられないと言うように声を震わせる。隣に浮いている蒼い霊獣も珍しく、わかりやすいくらい目を見開いている。
かなり衝撃的だったのか、よほど心配をかけてしまったのか。
どちらにせよ僕は嬉しい。
「……おはよう、へノー。……主さま、ちゃんと戻りましたよ」
また二人の顔を見れたのだから。
「っ〜!」
駆け寄ってきた勢いのまま抱きつかれる。
寝起きの体にはきついくらい強く抱きしめられているが、その感覚すらも心地良い。
「ねえっ! ボクが、どれだけ……! 本当に、帰ってきて……!」
それだけ言ったっきり泣き出してしまった。あのボロボロの状態で帰ってきた時にトラウマを作ってしまったか。
「……心配かけてごめんね」
「うん……! でもよかった……本当に死んじゃうんじゃないかって……」
申し訳なさが募っていく。でも僕もこうやってまた生きて会えたのが嬉しすぎて何も言えずに。
彼女のこの紫の瞳も、この魂の色も、雰囲気も何もかもが懐かしくて愛おしい。
「あ、僕も泣けてきた」
あの暗闇からようやく抜け出した。そんなふうに気が緩んだからか涙が出てきた。なかなか自分の体なのに不思議なものだ。
「え!? 大丈夫!? 後遺症!?」
「大丈夫だから……ちょっと待って」
「んっ!? アオイ!?」
慌てたような声。その様子がまたちょっと懐かしい。
「……僕だって安心したんだよ」
「ちょっ……泣いてるボクが言えることじゃないけどさ……」
なんだかんだ僕も不安だったんだろうと、我ながら他人事のように思う。一方的に心配をかけておいてさらに縋り付くなんて申し訳ないが、それでも今顔を上げるのはちょっと無理だ。
結局二人とも泣きながら、気分が落ち着くまでしばらくハグしていた。
「改めて、介抱ありがとうございました」
ちょっとは落ち着いてから、改めて主さまとへノーに礼を述べる。
あそこまでボロボロになった僕を介抱してくれたのは二人だろう。特に、僕の体を濡らしていた蒼い炎のような何かは主さまのものな気がする。
『客人も回復して何よりだ。……回復、しているな?』
「はい」
むしろ今までより調子がいいくらいだ。
単に力が強くなったとかではなく、今までより綺麗に力を出せるという感じ。
魔力の動きも、思考速度も、世界の見え方までも美しい。魂らしき何かを修復した時に、無駄だった部分が削ぎ落とされたのだろうか。
「僕はここについてからすぐ気絶したのでわからなかったんですが、僕ってどんな状態でした?」
『瀕死だ。一体何があった?』
『そう、なんであんなにボロボロだったの〜?』
「戦闘の結果なんだけど……」
丸太の椅子に座ったまま頭は動かさず、視線だけ真上を向けて答える。
久しぶりに見たスライム体型のへノー。僕の頭にもう逃さないと言わんばかりに僕の頭に張り付いているのがちょっと可愛い。
『戦闘だと? 一体何をどうしたらあのような状態になる。魂に傷が入るなど並の相手ではありえんぞ?』
「……簡単に言うと、相手は上位魂保持者でした」
『えっ!? そんなのと殺し合ったの?』
ぶるんとへノーが体を震わせたため、つられて僕の頭も大きく揺れた。
やはり僕みたいな中位魂保持者が上位と戦うなんてあり得なくて無謀らしい。
『……魔王のやつは何を考えている』
「っ!」
低い唸るような声と共に、恐ろしい殺気が放たれた。僕に向けられているものでも無いのに、周囲の空気が手が震えるほど冷え切った。
恐ろしい。霊獣の殺気というのはここまで重いのか。もしこれが自分に向けられていたら、と思うと。
でも、たとえ恐ろしくても屈するほどではない。
「主さま、落ち着いてください」
声を上げる程度の余裕はある。あの『深淵』の吐き気のするような安定や停止より遥かにましだ。
『ああ、悪かった。ここで客人やへノーに怒りをぶつけても仕方がないしな』
そう言って殺気が消え去った。ようやく落ち着ける、と思うと上から小さな念話が降ってきた。
『ありがとう。ちょっと怖かったから』だそうだ。それを聞いて頭に乗っているスライムを安心させるように撫でた。まだ少し震えている。
『で、なぜそのような状況になった。まさか魔王は敵と味方の実力すら読めなくなったか?』
「いえ、そうではなく__」
要点をかい摘みながら、あの突発的な上位との戦いの経緯を説明していった。
「__ということです」
『……なるほど。元々計画されていたように敵を殺した直後、新たに敵が出てきたのか』
相変わらず険しい顔、は分かりづらいが相変わらず空気はピリついていた。だがこれくらいになると微風程度の影響しかない。
へノーも慣れてきたのか、震えは治ったようだった。むしろ今度は撫でていた僕の手にも体の一部を纏わり付かせてくる。
『しかし魔王め。完全に味方が死んだのを感知した敵が出てくることは十分予想できだだろう。それに対して何ら対策を講じないとは……』
主さまの魔王に対しての敵意は変わらないらしい。だがこればかりはどうしようもないし、僕もそこまでして魔王を庇いたくはないので放置する。
それにしても会話自体随分久しぶりな気がする。人(霊獣)と話すってこんな感じだったな、と不思議な新鮮さを感じる。
『しかし上位魂ともなると……客人を害したものは限られてくるな』
やはりそうだろうな、と僕も思う。
そもそも霊獣だって世界に4体しかいない。となると人間や魔人の上位魂保持者だって、1000人や100人いるわけではないはずだ。
『……いくらここで過去を悩もうと変わらないか。魂に傷が入っているのを見つけた時には生きた心地がしなかったが、まずは無事こうやって客人と話せることを喜ぼう』
『うん! やっぱりアオイの近くはいいよ〜』
「っと」
スルッと頭から降りて僕の膝に乗ってきた。全身がぷるぷる動いているのも見ていて楽しい。
『客人は不可逆的とされていた魂の傷を乗り越えたのだ。……ああ、言ってなかったな。さすが客人だ。誇りに思うぞ』




