暗闇と深淵
僕は暗闇に浮かんでいる。
ほんの少し前からここにいいて、もうずっとこのよくわからないこの場所で彷徨っていた。大きな流れにのって、逆らうことなく流されている。
転生する時に一度?だけ通ったことのある不思議な暗闇。相変わらず上下左右の概念がなくて、時間があるのかもあやふや。
ここは一体何なのだろう。ここはどこ、とは思わない。
ぼんやりと昔のことを思い出していた。
僕は学校の中で幼馴染と話していた。
僕は召喚されたことを自覚し、同時に異世界のことを初めて認識した。
僕は『英雄』に殺された。
僕はへノーに出会って、主さまに鍛えられた。
僕は魔王を見た。
僕は魔王軍に入った。
僕は人と会話した。
僕は……また殺された?
僕は死んだのか? ここは死後の世界なのか? それとも仮死状態にある? 単なる走馬灯?
だんだんと思考が加速する。もしかしたら時間感覚が遅くなっているだけかもしれないが。
もし本当に僕が殺されているとしたら。怒るべきなのかもしれないが、もうただ虚しさを覚えていたい。
しかしもし僕がまだ生きているとすれば。最低でも瀕死の状態である。今ここからこの僕が何かできるとも思えない。しかし何もしないわけにはいかない。
二度も殺されるなど、到底許容できない。
『英雄』への復讐すらできていないのに、また恨むべき相手が増えてしまうなんて面倒くさい。ストレスとその他心労でどうにかなってしまいそうだ。
主さまにも申し訳ない。感謝してもし切れないほどなのに、まだ何も返せていない。
へノーにも……まだ何もしていない。せっかく帰れたのに、それで終いなんて嫌だ。
魔王軍関係も心残りばかり。
ブルーメと街の観光でもしようと言ってたのに結局行けていないまま。
第一護衛部隊からは何も言わずに消えてしまった。仮の配属先だったとはいえ一言挨拶する程度には関わりがあった。
エステーゼという同類も居たんだ。血を美味しいと思ってしまったのは不覚だが、少なくともいい友達にはなれた。
しがみつけるなら生に1秒でも長くしがみつく。だがそのための方法を僕は知らない。
しかしこの場で新たに手に入る情報はない。だから探すのは「自分の中から」。
自分の記憶を見つめる。
何もないふわふわしたようなドロドロしたようなよくわからないこの場所。だが幸いなことに「僕」という存在の認識はできる。
ひたすら自分の記憶を漁る。
少しでも過去の会話から、動きから、視覚から、手がかりが見つからないかと。
地球の記憶、城の記憶、戦った『道化師』の記憶、主さまといた森の記憶。
ぐちゃぐちゃに混ざって絡まっているものを、端から端まで絶対に見逃さないように眺めている。
見つからない。だが死の確証がない以上探し続ける。
一生分の自分を眺めてダメなら、もう一度眺めるだけ。
そんなのを繰り返してるうちに、ふと外が気になった。
自分の外、いや正確にはこの空間から見た自分?だろうか。
暗闇の中で、輝く一つの球があった。その周囲には惑星の大気のように、薄くもやもやした光る何かが広がっている。
金と紫を混ぜたような不思議な色。宝石のように美しく、この何もない暗闇の中でどことなく安心感がある。
そしてこの球を包むように網目上に張り巡らされている蒼い光の糸。明らかに異物であるが、嫌な感じはしない。
むしろそれ以上に、別のことへの衝撃が上回っているのかもしれない。
この金紫の光の球は儚げで今にも崩れ去ってしまいそう。
大きな亀裂が入っていた。さらに、その巨大な亀裂から無数の小さいヒビが枝分かれするようにのびている。
こんな状態でも球が球として成立しているのは、蒼い光が光る球を繋ぎ止めているからに過ぎない。
なぜか分かららない。だが、「急いでなおさないと」と思った。
その割れ目をよく観察すると、何か真っ黒な刺が刺さっていることに気がついた。
なんとなく嫌な感じがするそれは、引っこ抜いた。
だがそれをしたところで傷そのものは治らない。
何か他に周囲にはないだろうか、と少し離れたところから光の球を見る。
すると、奥の方に緑色の光が流れているのがわかった。それもまたよく見ると、光の球に引き寄せられるような位置にいた。
そこから、くいっと光を手に取ってみた。
もちろん手があるわけではなく、よくわからない「手にとる」というのに似た現象が起こっただけだが。
その緑色の光を使って、このヒビを埋めて見たらどうだろうと思った。本当に何の理屈もない思いつき。だがなんとなくやってみた。
手に取った緑の光を光の球に押し付ける。
すると周囲の元からあった金紫の大気がそれに纏わりつき、球のひびにたどり着いた時には緑の光は緑色で無くなっていた。
そしてしばらく見ていると、ほんの少しヒビが小さくなっているのがわかった。
もう一度同じことをやってみる。するとまた少し、割れ目が小さくなった。
もう一度同じことをやってみる。するとまた少し、割れ目が小さくなった。
少し嬉しい。
繰り返した。
大量にあった緑の光が全てなくなるほど、それを掬っては球の割れ目につけて、と言う動作を繰り返した頃。
完全に金紫の球のヒビがなくなっていた。
元からあったモヤモヤした光も、全て球本体に吸収されている。いつの間にか蒼い光の網も消えてしまった。
だが美しく、表面で金の輝きと紫光の妖しさが混ざり合う、見ていて飽きることのない完全な球が出来上がった。
単なる宝石など比べ物にならない。世界中の財宝を並べたところでここまで美しいものはないだろう。
しばらくしてその球は「僕」の魂であることを思い出し、自画自賛に気づいた。ちょっと恥ずかしい。
その後、球の修復という目標を達成した僕はすることもなく。
また暗闇に流されていった。
どれだけ流されていたかは知る由もない。時間感覚がなく、苦痛にも感じなかった。
だが、この闇しかない空間で、あるものを見つけた。
一度だけ見たことのある無すら無い何かが広がっている。
自分の真下に潜んでいる本当に何もない空間。延々と続く闇の果て。
僕は流されていると思っていたが、もしかしたらあれに引き寄せられて落ちていたのかもしれない。
あれこそ深淵と呼ばれるのだろう。
深淵を覗いていると、先ほどよりもさらにそれが近づいていることに気付いた。
しかし気付いても逆らう術などなく、だたそこへ落ちていく。ブラックホールに吸い寄せられるように。そこで一旦意識が途絶える。
なぜ肉体もないのに意識を失うのだろう。
再び目覚めた時、そこは暗闇ではなかった。
ここが何か本能的に理解させられる。
僕は、完全な何かの領域に入ってしまったのだ、と。深淵の中に沈んでしまった。引き込まれてしまった。
あるはずもないのに冷や汗が噴き出るような気さえする。
なんの生物もいない。暖かみを感じる風もなく、平穏の暗闇すら与えられていない。
側から見ていた時は単に完全な空間なのだろうとしか思わなかった。だが実際に中に入ると、その程度では済まないことがよくわかる。
冷え切っているし停まっている。
この場において、ものである僕は不完全以外の何者でもない。
存在すると言う時点でもうそれは絶対性から離れているのだと察せられた。
安定しすぎていて動けない。何もないが故に死の血の刺激が愛おしい。つまり完全すぎて気持ち悪い。
ただでさえそう思っていたところで。
ゾッとした。体もないのに恐怖と吐き気に襲われた。
何かの意思が一切の僕の抵抗を許さずに僕の意識に侵入してくるから。
意味がわからない。
声でもなく、文字でもなく、振動でも何でもない。それなのに、焼け付くような痛みとともにその意志が伝わってくる。
僕の意識という領域の壁を無理やり引きちぎって、そこに一方的な意志を流し込まれた。
生身の人間にマグマを口から流し込むような凶行。
深淵からの伝言? ふざけるな。これは人間の受け入れられるものではない。
最高次元のなにかから、一生物に対してそれを受け渡されても処理しきれるわけがない。
ああ逃げ出したい。こんな無欠の絶対性こそが深淵ならばそんなものには近寄りたくもない。
また意識が遠のいていく。やはり意味がわからない。
だがその前に、魂が壊れる前にその伝言を文字として起こしておかねばならない。
暴風雨のように僕をかき乱すその伝言という名の深淵の意志を、一定の形の文として処理しなければ。僕自身が壊れかねない。
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Woleacjelcoo.
『よく来た』
Ve ic geklsej qrjee.
『貴方は要件を満たした』
Ve ke kjsaer.
『貴方は最初だ』
Aaa ve ogpvn pcso bu yule lo ke nu acJelcoo.
『従って貴方は来訪者となる権利を手に入れることができる』
Qua ke ac rara.
『私は待っている』
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強引に「文」と言う僕の理解可能な概念に落とし込んだ結果。
なんて深淵は_神は身勝手なんだ。




