1級幹部会 聖樹教国と九賢者
「ああ、皆食事を続けていいぞ」
そう言いながら上座の豪華な_玉座に腰掛ける魔王。
その顔にはいつも通りの圧倒的な自信と_僅かに、ほぼ誰も気づかぬであろう小さな焦りが浮かんでいた。
「……『神域』様は?」
だが魔王の僅かな焦燥感を感じ取ったものも当然いたようで。
しかし何も気が付かぬふりをしたまま、無表情に空軍の元帥はいつも通り話を進める。
「欠席だ。いつも通りに」
1級幹部会への出席権を持ちながらこの場にいない存在。滅多に会議と名のつくものに顔を出さない、魔王軍たった一人の最高幹部。
その顔を思い浮かべつつ、だからといって特に何を思うでもなく魔王は注がれた酒を口に流し込む。
その間、暫く『美食の間』は静寂に包まれることになった。
「炎葡萄酒はなかなか旨い」
常人では口に含む間もなく焼け死んでしまう温度まで熱せられたワインを、魔王はごく普通の飲料であるかのように飲んでいく。
「炎に入れ、一本の木が燃えつきるほど経ってから取り出したものが特に良くてな。私のコレクションの中でも気に入っている方だ」
カタッと小さく音をたて、ワイングラスを机上に据えた。それから魔王は先程まで少し離れたところに浮かせていた意識を引き寄せ、自らの意識を切り替えた。
それを見た七色たちも敬愛すべき王の動きに続く。
わずかな時間だけ開催されたワインの試飲会はこれで終いということ。これからが、本当の意味での1級幹部会だとわかっていた。
「では、今回発生した事態について説明したいと思う。まずアドヴェント大草原についてだ」
それを聞いた上級幹部たちは首を傾げた。
果たしてそれが1級幹部会を開くに値するほどの事態には思えなかったからだ。
「申し訳ありません、アドヴェント大草原には何がありましたか?」
海軍元帥の彼女にそこまで陸地の知識は入っていない。海ならまだしも、大量にある草原の特徴一つひとつまで覚えてはいない。
もしや自分だけアドヴェント大草原の特殊性を忘れているのかと思っての質問だった。
そういってフェーユは自分の記憶を探り、アドヴェント大草原の重要性を考えようとするが……
何らかの特殊施設があるわけでもなく、激戦区ではあるものの命運を左右するほどでもない。
霊獣関連の何かがあるわけでもなし、特殊な魔物の生息圏でもなければ、何か七色が動くほど変わった動植物が生息していた記憶もない。
「重要なのはその土地ではない。エイガー、説明せよ」
「かしこまりました」
真っ黒な肌に尖った長い耳。ナイトエルフの陸軍元帥に詳細の説明を投げた。
彼はその立場上、陸地で起きた戦闘に関してはほぼ全てを把握し、また今回の事態もしっかりと理解しているためだ。
「アドヴェント大草原での戦闘が激しいというところまでは周知であるとして。今回問題なのは、聖樹教国の上層部が動き出したことです」
「上層部が!?」
思わずといった様子でグリーガーが立ち上がり声を上げる。
他の上級幹部も流石に驚きを隠せないようで、目を見開いている。確かに人間の国家である聖樹教国が動いているのはいつものことである。
しかし、上層部が動いたとなるとまた意味が大きく変わってくるのだ。
「知っての通り、聖樹教国は『賢者による統治』を標語に、九賢者を名乗る者たちが君臨しています」
長年の人類による侵攻。今となっては一般人には全く知られていないその始まり。
今でこそそれは魔人を悪とする宗教の名の下に行われているが、昔、本当の始まりは聖樹教国の上層部にあった。
常に戦争を操っている者たち、それが『賢者』。
宗教まで作り上げ、常に魔王軍を狙う。中位以上の魂を持つ人間で構成された、最悪の組織だった。
「アドヴェント大草原には王国が召喚した異世界人がいたそうですが、それを隠れ蓑に教国は第五賢者を派遣したようです」
「な!?」
「なぜ今まで我々がそれを知らないのだ!? なぜ報告しない!?」
九人いるうちの第五とはいえ賢者の一人。上位魂保持者ではないものの、それでも中位魂保持者。
魔王軍で言えばその実力は上級幹部に相当し、放っておけば街の一つや二つ簡単に壊滅してしまう。
到底一般兵には対処は不可能。
即座に上級幹部を派遣しなければならないのに、それを今まで陸軍元帥を除くこの場のほぼ全ての幹部は知らなかった。
そのことに強い焦りを感じ、それが報告を怠った陸軍元帥への怒りに変わろうとしていた。
「落ち着け。エイガーが報告しなかったのは理由がある」
「はい。私が上級幹部への報告をしなかったのは、魔王陛下が『対処しておく』とおっしゃったからです」
魔王とエイガー2人による説明に一瞬固まった後、今度は怒りの火種が困惑に移り変わっていった。
「魔王陛下が直々に対応されたのですか?」
魔王はその名の通り魔人を束ねる王であり、その立場に伴う負担も、するべき仕事も他のものとは比べ物にならないほどある。
人類との戦闘、魔王にしかできないような特殊な敵の監視、その他当然政を行わなくてはならない。それも凄まじい数の民を抱える国家のように。
幹部たちは、その魔王が直接対応するような余裕があることに驚いたのだった。
「私が直接対応したわけではない。独立官に任せた」
「独立官ですか? あのものたちの実力は我々上級幹部に次ぐように思えますが、それでも第五の賢者を討伐するほどとは……」
信じられないといった様子で1人を除いた幹部たちは首を傾げる。
いくら優秀な部下であれ、単なる下位魂と中位魂には天と地ほどの差がある。例え独立官が10人集まろうが、100人いようが、討伐できるとは思えなかったのだ。
「それが可能な独立官がいるのだよ」
「は? 我々と同等の力を持つ独立官がいるのですか?」
「いる。正確には、1人だけいた」
「そんな人材が!? 一体どこにいたのですか!? 今までどこに所属していたのですか!?」
「失礼ですがそんな者がいるとは、到底」
上級幹部と同等の実力を持つ者がいる。その情報に『美食の間』は驚きと懐疑に包まれる。
信じられないが、魔王がそんな嘘をつくわけがなく、そんなことをする理由もない。だが、それでも非現実的すぎて信じきれない。
大半の上級幹部はそんな複雑な心境だった。
「あ」
ただ1人をの除いて。
「エステーゼ? 何か知っているのか?」
普段任務以外で人と関わることが少なく、意味のわからない発明品を大量に作り出す偏食家。
ボロボロの布が瞬時に武器になるなどの一見素晴らしい物を開発し、そして操作法が複雑すぎて本人以外誰も使えなくなるまでが決まりきったルート。
そんな彼女に心当たりがあることを知り、魔王が来るまで言い争いをしようとしていた隠密部隊隊長は密かに衝撃を受けていた。
「あったことある。珍しい、どうるい」
「ほう、貴様が同類と称すとは……」
「珍しいこともあるものですね」
「確かに珍しいな。この変人がそこまで親しげに……」
「なに?」
少々殺気を感じる視線をエステーゼが隠密部隊隊長に向けたところで、話が元に戻る。
正確に言えば筆頭政務官が強引に話を引き戻した。
「魔王陛下、そんな者がいるとは全く知らず疑ったこと申し訳ありません」
「よい。私が最近勧誘したばかりだからな。知らなくて当然だ」
「直々に誘われたのですか!?」
「ああ、それだけの価値があの者にはあると思ったし、実際にあったからな」
魔王が自ら魔王軍へ誘う。
それは、ほんの一部のものにしか行われていないため、それによって入ったものは尊敬の念を向けられる。
上級幹部たちでさえ、勧誘を受けて入ったのは一部に過ぎない。魔王がその人物にそれだけの価値を認めたということであり、自らが圧倒的に強い魔王故にそれは滅多にない行為だった。
だが、魔王が勧誘を行うほどの人材なら、賢者に対応できてもおかしくない。こうして大半の疑問は解消された。
しかし、まだ残るものがあった。
「それで、その者が対処したなら問題はないのでは?」
その疑問は最もなものだった。
いくら九賢者が出てこようと、それに対応できるものを派遣したならなんの問題もない。
いや、事実予定通りなら問題ないはずだったのだ。
「問題がない? 違うな。1級幹部会を開催したのだ。それだけな訳があるまい」
「これ以降のことは私も知らないのですが……まさか、その者が失敗を?」
現地に退却命令が出て、さらに向かっている最中だった補給部隊などの進路に影響が出たことまでは知ってる。
だがこの先は陸軍元帥も知らされていなかった。
派遣したものが討伐に失敗、それで街の一つや二つ潰れたか、軍団が使い物にならなくなりでもしたのだろうかと恐る恐る陸軍元帥が問う。
「それの方がよほどよかった。銀環が破壊された」
「……!」
魔王軍における身分証の破壊。階級が下のものであれば紛失や過失による破損も考えられるが、上位になればなるほどその可能性は低くなる。
皆が小さな魔力まで感知できるようにるから紛失の可能性は低くなるし、能力が高ければ高いほどものの取り扱いなどお手のもの。
その身分証に対して特殊な結界なりなんなりを使えばいいし、普段身につけているからこそ壊れることはない。
なぜなら強ければ強いほど、身につけたものが壊れる要因=自らが傷つく要因からは限りなく遠ざかるからだ。
それが破壊された。それが意味するところは。
「おそらく、私が派遣した者は殺された。それも魂から完全に」
「なっ……」
「魂から!?」
「うそ……」
幹部のうち6人は事態の深刻さに顔を青くし、そしてたった1人、アオイを知っている彼女は……
他の幹部とはまた違う理由で愕然としていた。




