その頃、怯える『英雄』は
「早く、早くしろ!」
馬車に乗り込んだ男が御者を急かす。切羽詰まった様子であり、何かに追われているようにも、怯えているようにも見えた。
「は? こんな時間帯の移動は……」
男に呆気に取られた後、誰でも知っている常識を諭すように御者は話しかける。
朝日の昇り切っていないこの時間は魔物の領域。そんな時間帯の移動など馬鹿のすること。
「いいから王宮まで連れて行け! 死にたいのか!?」
「ひっ!」
ばちばちと雷を纏う剣が突きつけられる。抵抗して殺されてはたまったものではないと御者は怯えながら馬車を動かし始めた。
「はやく、こんなとこにいられるか……」
馬車の動き出しにガクンと揺られながら、お世辞にもいいとは言えない顔色でぶつぶつと空中に向かって呟く男。
身体中に返り血の汚れが付き纏い凄まじい悪臭を放つ。身体中の傷には応急処置だけはしてあるものの、滲み出る血は止められず。
そんな危険人物じみた男の方を振り返り、御者はハッと何かに気がついたように目を見開く。
思い出したのだ。以前、異世界から救世主がやってきたという王宮からの通知とともに姿絵が流れてきたことを。
そんの中に、もうずっと現れていなかった『英雄』の『職業』を持った者がいるという情報があったことを。
その似顔絵と今馬車に乗っている男の顔は、詳細こそ違うがおおまかには全く同じだった。
もしこの男が『英雄』だとしたら、無礼を働けば本当に殺される可能性がある。
軍の末端中の末端である自分が殺されたところで国や貴族は何もしてくれない。自分の身を守るには、男の機嫌を損ねないしかない。
急いで前方に視線を戻した御者の顔は、先ほどにもまして青かった。
「ああぁぁ……」
そんな御者の様子など気にもせず、男_『英雄』_は戦場での惨状を思い出してはカタカタ震えていた。
時は少し遡る。
まだ『英雄』がアドヴェント大草原にいた時のこと。
「ははっ、かかってこい魔人ども!」
『技能』によって創造した聖剣を振り、その度に敵が倒れていく。
こんな奴らなど敵ではない。
バッサバッサと悪人を切り倒していく自分こそが英雄。世界の主役なのだと心から信じている。
「よくも同胞を!」
乱戦状態を利用して背後に回っていた一人の魔人が槍を構えていた。
完全に背後を取られた状態。通常ならば反撃などできるはずがなく、魔人兵は勝利を確信していた。
だが、それは現実にならなかった。槍があと10cmほどで『英雄』に届くというところで、見えない何かに止められたのだ。
それに気を取られたこともあり
「背後をとるか、卑怯者め!」
その首には、激怒した『英雄』の剣が突き刺さっていた。
なぜ、といった顔のまま一人の魔人は死んでいった。
「『自律防御』を潜り抜けられるやつはいねえ! 獲物はどこだ!」
『英雄』に初めから備わっているものの一つである、『自律防御』。危険物の接近を自動で検出し、結界に似たもので防御する。
アオイの行っている『独自技能』を応用したそれには及ばずとも、一般の戦闘においては十分すぎる防御システム。
その自信を胸に、目を血走らせながら『英雄』は敵軍の司令官を探しに行く。
その合間、ことごとく出会った魔人は殺されていった。
「これ以上は進ません!」
「うるせえ! 『雷撃』!」
『英雄』が手を前に向け、『技能』の名前を言う。それだけで一筋の光が戦場に差し込み、雷となって敵を襲った。
これこそが数々の熟練の兵を殺めてきた技であり、『英雄』が1年と少しかけて手に入れた『技能』だった。
天からふる雷を受けて平気でいられる者、またそれを避けられるものなどごく一握り。防御できる者でさえそこまでいない。
これもまた、『英雄』が自らを世界の救世主として信じて疑わない理由となっていた。
実際の行動をみれば単なる戦争への参加であっても、当人からすれば世界を魔人という絶対悪から守る素晴らしい行為なのだ。
「ちっ、ここも大した敵がいねえ」
はやく大将首を取らねば功績をあげられない、という意識が彼を支配する。
『英雄』がここまで功績にこだわるのには、ある一つの要因がある。
それは聖樹教国が援軍と称して送ってきた、賢者と呼ばれる人間だ。
自分という人類にとっての最高の協力者がいるのに、わざわざここに援軍を送ってこられた。つまり、自分のテリトリーを荒らしに来た上、お前じゃ頼りないと言われているのと同義だった。
それが大いに『英雄』のプライドを傷つけた。確かにこれまで自分は無能なクラスメイトに足を引っ張られ、大きな功績をあげていない。
それでも国は自分の能力を妥当に評価していると信じていたのに、裏切られた。
見返して、頭を下げさせなければ気が済まない。
これが『英雄』の考えであり、彼を今突き動かしている動力源だった。
わかりやすく言ってしまえば、嫉妬である。
「はっ!」
聖剣を振り抜き、苛立ちをぶつけるようにまた1人、また1人と魔人を切っていく。
奇襲部隊を突撃させる提案したのは『英雄』だった。
そしてその次に本軍が奇襲をかけるのも、また『英雄』の提案だった。
わざわざ寝るような遅い時間帯にそこまでして、なお自分が功績を上げられないなど冗談じゃない。そう彼は苛立っていた。
そろそろ位置を変えて、軍全体の中央部分にいくべきか、そんなことを考えていた彼の耳に、ありえない命令が聞こえてきた。
『魔王軍全体に告ぐ! 全軍、退却せよ!』
そう、魔王軍側の、撤退命令だ。
魔法で拡張されたのか妙な響き方をするその声は、『英雄』にとって好機を知らせるものだった。
「ははっ、怖気付いたな!」
背を見せる獲物を狩るほど簡単なことはない。そう思って行動を開始しようとした彼に聞こえたのは、大きな悲鳴だった。
それも魔人側ではなく、人間側からの。
「なんだ……っ!」
それは、突然の爆発。何もなかったはずのところが、いきなり爆発したのだ。
爆風に弾き飛ばされ、強く背中を叩きつけた。
どうやら細かい破片でも混じった爆発だったのか、身体中に切り傷のようなものができていた。
「いっ〜!」
あまりの痛みにうずくまった彼に待ち受けていたのは、突如地中から出現した針地獄だった。
「かっ……」
急所にこそ突き刺さらなかったものの、肩や腕から鋭く真っ黒な棘が突き出ていた。
呆然と自分の手を眺め、漆黒の穴を見つめる。
「……ぎ、ぎゃああぁぁぁ!」
生まれて初めての痛み。
肉体を貫通するその棘に、心からの恐怖を抱いた瞬間だった。
痛みにのたうちまわればのたうち回るほど身体中に真っ黒な針が刺さり、動けが動くほど傷口がえぐられていく。
それでも痛さから体が動いてしまう。最悪のサイクルだった。
ふと、周囲の状況が彼の目にはいる。
そこには、どこまでも続いている地獄の剣山と、急所にそれが突き刺さった数々の人間の死体があった。
「逃げ、ないと……」
なんとかのたうち回りたいのを堪え、それでもなお地中から生えた黒い針から抜け出せない。
そんな彼を待ち受けていたのは。
人間という枠を超越した、大男。
土でその体が構成され、それでなお動いている。
「ひっ!」
化け物。
体の作りは、そこだけ見れば人間のようなのに、それでいて全身が同一の土で作られている。
まるで神話の怪物かと思うほど、それは不気味な様子だった。
その拳が振り上げられ、ゆっくりと振り下ろされる。
それが自分に向けられたものであると理解するのに、『英雄』はしばらく時間をかけた。
「まっ!」
口で待て、と制止しようとも止まらない。
凄まじく重い拳が、彼を叩き潰した。
それから暫くして、『英雄』は死んだと思ったのか、その土人形は去っていった。
「ぁぁ゛……」
ピクッと、数ある死体のうちの一つが動く。そう、『英雄』はいきていた。
悪運強く、しぶとく。そして彼の動きを阻み、体を蝕んでいた数々の針は皮肉にも巨人によって叩き潰され、粉々になっていた。
彼は、動けるようになったのだ。
周囲を注意深く見渡し、敵がいないことを確認した。
「ぁ……」
ボロボロの体を引きずりながら、彼はなんとか歩き出した。
いや、もはや彼の体からすれば最大限走っているに等しい。
軍のこの戦場までの、中継地点まで逃げ、そしてそこから王宮に行く。そうすれば自身の身の安全は保証されると信じて。
こんなところにいてはならない。
多くの人間は死んだ。そして悪魔のような敵に出会った。
そして中継地点で治療を受け、いまここに至る。
「早く、少しでも遠ざかるんだ」
馬車の中でぶつぶつ呟く。
「悪魔だ、悪魔がいるんだ……」
土人形は悪魔の使いか何か、そう信じ、一刻も早く悪魔の住むアドヴェント大草原から離れたがっている。
あまりにも不審な『英雄』の様子に、御者は一層不気味に思って逃げ出したくさえなっていた。
こうして馬車が一台、朝日も昇り切らぬ時間帯に道を駆けるのだった。
祝100話!




