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青の君へ

作者: Rookie

第1章 「青い鳥」


きっと誰にも人知れず、戻りたい瞬間というものがあると思う。


夏休み最初の日に戻りたいと考える学生達、仕事から離れ休日へ戻りたいと考える社会人、結婚前に戻りたいと考える夫婦...


かくいう俺も、ただ1度だけ、戻りたい瞬間があった。

太陽が身を焦がすような暑い夏の日。

あの空ですら霞んで見えるほど、美しかった君を見たくて...


「青い鳥?」


桃仙工科大学。

田舎には似つかわしくない大規模な国立大学。

多くの者が学び舎の門を通る中で、男は喧騒を掻き分けながら「電子研究科第3研究室」と書かれた扉に手をかける。

その扉を開けると、聞き馴染みのある声と共に工科大学の学生とは思えないような会話が飛び込んできた。


「来たな?夏輝も話に混ざれよ」


俺、青柳夏輝は茹だるような外の暑さからの解放と引き換えに、目の前の2人の、これまた茹だるような非現実的な会話の餌食となったのだ。


「それで?さっきの話の続きは?」


会話に誘った男の名は白山透。

恐らくこの3人の中、ひいては今の日本において最もノーベル賞に近いと言われている史上類を見ない天才であり変人の男。

高身長、高学歴、超天才とスペックだけ見ればかなりの優良物件だが性格にとてつもなく難アリ。

話の続きを促す女の名は赤瀬百。

この大学に入学できたこと自体奇跡のような自他ともに認めるぽんこつでありながら、感覚的な天才であり、俗に言うシックスセンスというものの扱い長けている。

恐らく十人中八人程度は振り向くレベルの可愛らしい顔立ちだが喋ると馬鹿がバレる残念なタイプ。


小学校時代からの腐れ縁のようなこの2人は、幼い頃から相も変わらず馬鹿げた話で盛り上がっている。


(あほらしい...)


そう思いながらも、この2人の話はいつもなんの根拠も無しに語られるものでは無いと知っている。

中学の時に桃源郷の話で盛り上がった時も、「その時代の人間にとって一体何が理想だったのか」という仮説だけで「らしき場所」を発見した。


(現地行こうって言った時は流石に馬鹿だと思ったけどな…)


つまりこの2人は「ある意味で御伽話を嫌い、ある意味でロマンを信じ続けている」のだ。

それを踏まえた上で俺は一から2人の話を聞き直す。


日本のどこか。

時を忘れた竹林を抜けたその先。

人知れずひっそりと佇む古い小さな一軒家がある。

望まれた扉を開けると、目の前には先程の小さな家の内側とは思えないようなそこには広い空間が待ち受ける。

エントランスでは多くの人達が忙しなくを行き交い、宙を仰ぐと連絡線に吊るされた荷物がひっきりなしに動いている。


そこは過去、現在、未来を行き来できる郵便局。

「青い鳥」と呼ばれるこの場所は、常に不思議で満ち溢れている。

空はまるで暗い星空のように幻想的で、ここだけぽっかりと穴が空いたような、まるで地球上ではなくどこか別世界であるような感覚に陥る。


そして、青い鳥では幾つかのルールが設けられている。


ひとつ、時間を移動する際の規則。

時間を移動することは大きなリスクが伴う。そのため利用者は必ず、ある特殊な技術で便箋の中に詰められる。

そして、送られた先の自分に憑依する形で過去や未来に介入することができる。これは僕にもよく分からないが、タイムパラドックスを防ぐためとか何とか。


ふたつ、青い鳥は真に求める者にしか行き着くことはできず、また、行き着いた者は絶対にその存在を公に出来ないよう記憶を消すことを確約せねばならない。


みっつ、過去を変えてはならない。

歴史の改変は現在のみならず未来まで危険にする行為のため、万が一にも歴史の根幹に触れようとした者はその場で命を奪われる。


「んで?その話の根拠は?」


どうにも話の落ちが見えない話題にたまらず横槍を挟む。

よく出来た話ではあるがそんな伝承があるなら少なからず俺の耳には入っているはずだ。


「そもそもの話、タイムトラベル自体は世界中に伝承として残ってるよ?

ヒンドゥー教のマーハーバーラタ、仏教のパーリ仏典、日本の浦島太郎やアイルランド神話のティル・ナ・ノーグなんかには未来へのタイムトリップの話は沢山載ってる。

でもこいつらはあくまで時間の流れが空間によって違うっていうものを示唆してるものだろ?

それに、過去へのタイムトラベルは伝承では残ってないし、そもそもそんな機関があれば、日本の政府だけじゃなくて世界中のありとあらゆる機関が血眼になって探すだろ。」


捲し立てるようだがこっちだって必死だ。

なんたってこの2人は超がつくほどの変人。

存在に対し疑問を抱いたら、その天性のシックスセンスと最高峰の知識を用いて地球の裏側にだって行ってしまうだろう。

毎度毎度付き合わされるこっちの身にもなってほしい。

2人の度重なる好奇心によって犠牲にされた出席日数やレポート達。

考査の度に死ぬ気で勉強を追いつかなければならないこちらの気持ちを。

それに、この話が仮に真実だとしても腑に落ちないことは幾つか残る。


ひとつ、ここまでの技術を有しているなら噂の露呈は有り得ないはずだ。人の口に扉は立てられないと言うが、それならそもそも青い鳥のふたつ目のルールである記憶の消去と繋がらない。

ここまで詳細な情報を誰がどうやって持ち出したのかという疑問が残る。


ふたつ、これだけ情報が揃っておきながら肝心の場所についての情報が皆無であること。

内部に関する情報は豊富なのに対し、時を忘れた竹林という情報以外に場所に関するデータを摂ることが出来ないのはおかしな話だ。言ってしまえば「中は見ればわかる」

情報の根幹にある人物にとって、最も必要な持ち出すべき情報は、内部ではなく外部であるはずだからだ。


みっつ、そんな噂があるなら何故公になっていないのか。今の時代情報ツールは様々だ。LINEやTwitterに至るまで、日々情報は更新されている。

その中で、何故この情報は一般に出回っていないのか。透は、情報の出処は大学の掲示板、しかも、我々電子研究科第3研究室宛にダイレクトメッセージで届けられていたという。

これはただのいたずらか、あるいは...


「まぁ、十中八九いたずらだろうが...

調査依頼、もしくはそれに類似する挑戦の可能性も捨てきれなくないか?」


...恐ろしい。

こちら側の思考を読んだ上で尚且つ逃げられないようルートを塞いできた。

本当にこの白山透という男は恐ろしい。


そう、わざわざこの掲示板にDMを送ってくる輩はみっつの可能性を持っている。

いたずら、挑戦、そして依頼...


「そうと決まれば、早速調査開始だ」


「やったぁ、遠足だぁ」


「はぁ...」


透と百のでかい声に頭を抱えながら、俺は3人分の研究セットと昼食を抱え、研究室をあとにするのだった。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


第2章 「求めた「応え」」


「とまぁ、意気込んでも場所の手がかりがないよな」


透の声に俺と百はガックリ肩を落としながら研究室の冷房に肩を寄せる。


「やっぱり無謀だと思うんだけど…」


言葉にはしてみる。

してみるだけだ。

この2人はこの程度じゃ辞めないから…


「私、汗臭くない?」


やたら顔を赤らめながらこちらの顔を覗きこんでくる百を暑いと言いながら引き剥がし冷房の室温を2℃程下げる。


「...俺も大概だけどお前も馬鹿だよな...」


何故か肩を落としている百を横目にまるで「お前なんでこんなことも分からないの」と言わんばかりの視線を浴びせてくる透に何かを言い返す気力もなく、俺はゆっくりと冷たい水を口に運ぶ。


「とりあえず今上がってるネタは時を忘れた竹林っていうワードだけだな」


情報の整理に取り掛かろうと地図を広げ、透と百がそれをのぞき込む。


「竹林...で探すのは最終手段にした方がいいな」


「なんで?竹林の方が絶対に楽じゃん」


透の意見を遮るように百が口に出すがここは恐らく透の方が正しい。

これだけ徹底して情報封鎖をしているような機関だ。

恐らくその技術力に見合った移動手段もあるだろう。

一箇所に留まり続けるという可能性はほぼゼロに等しい。

それなら...


「優先すべきは時を忘れたってワードだよな」


さすが長い付き合いなだけはある。

透の意見に指を鳴らしながら、俺は頭に入っている知識を片っ端から引っ張り出す。

透ほどではないが、ことこういった伝承や歴史分野となれば俺は透よりは役に立つはずだ。

伊達に幼い頃から伝承や歴史の文献を読み漁ってきた訳ではない。

恐らく並の考古学者くらいなら知識量で負けることは無いという自負もある。

その上で導き出す答えは...


「これ多分どこでもない場所なんじゃないかな」


考えている最中に百の声が響く。


「どういうことだ?」


「どこでもない場所だよ。ここっていう限定的な場所じゃなくて、どこか朧気で掴めないような、それこそおとぎ話に出てくるような場所。」


言いたいことは痛いほど伝わってくる。

あとはそこに、俺の意見を足すだけだ。


「恐らくこれは、掲示板にこの情報を貼り付けたやつの独自解釈だ。

日本の伝承でタイムトラベルと言えば浦島太郎辺りがぱっと思いつくが、海じゃなくて竹林は山だ。

多分これ関係ないね。

そんでこの表現。

時を忘れたってのは恐らくその時の心象風景と景色の感覚が合わさったものだろうな。

そこから察するに...」


「場所はわからないってことだな」


言葉を遮る透の口を指で止める。


「差出人は望まれた扉を開くとって表現してるだろ?

てことは、わざわざこっちから探す必要ないのさ。

こんなあからさまに難しく魅せようとしながら、伝承や他の歴史にもこの文の謎を紐解くリードがない。

なら、この文をそのまま落とし込むだけだ。

つまり、望んだものの前にそれは現れるってことだろ。

それがたまたま、差出人が竹林の中にいたってだけだ。」


ぽっかりと開けた口が閉まらないでいる透と、ぽけーと顔をふにゃつかせている百を尻目に、俺は三流小説にも劣るような仮説を与えた。


「そんなことあるか?

ここまできて?」


そりゃ俺だって信じたくはない。

こんな感情的にも程がある文章、誰だって深読みせずには居られないだろう。

それでも...


「全ての不可能を除外して最後に残ったものが如何に奇妙なことであってもそれが真実となる。」


「...シャーロック・ホームズの名言か。

よし乗った。

これで見つからなかったらジュース奢りだからな。」


軽口を叩きながら拳を合わせる俺たちを横目に、百はただただ頬を膨らませるだけだった...


:


「さてと、仮説が本当だとしてどう実証するつもりだ?青柳探偵。」


不敵な笑みを浮かべる相棒に、俺はただ一言こう告げる。


「なんてことは無い。ただ望めばいいのさ...

ここに材料は揃ってるからな。」


頭上に?を浮かべる2人を他所に俺は仮説をもう一度確認する。

もし今回の仮説通りなら必要な情報はたったのふたつ。

ひとつ、恐らく場所は何ら重要ではないということ。

まぁ、雰囲気作り程度はしといてやらんでもないが。


思考をある程度まとめられた。

2人を連れ一度研究室の外に出る。

そう、あとはこうすればいいだけだ。


「そしてもうひとつは...」


勢いよく扉を開く。

眼前に広がる光景は、掲示板に書かれていた内容そのままに本人たちの意識が少なからず反映されるのだろう。

細部は想像していたものとあまり遜色がなかった。


「なっっっ!?」

「ふぇっっっ!?」


驚くのも無理はなかった。

そりゃ目の前にロマン行きの扉があるなんて誰も信じないだろうから。


それでも...


何かを話そうとする透と百を遮り、俺はただ一言呟くのだ。


「ちょっと行ってみたいとこがあっただけだよ...」


もうひとつは、行きたい未来、振り返りたい過去に想いを、焦燥を焦がれているということ。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


第3章 「未知の先へ」


ことの説明をした上で改めて3人で施設を観察する。

決して古ぼけている訳では無いが最新とはかけ離れた設備、多くの便箋や小包とそれを運ぶ何人かの職員。

そして1番目を奪われたのは恐らく3人とも満場一致で天井から壁一面に張り巡らされた「夜空」だろう。


「偽物じゃないな。

本物の星空だ。」


透の言う通り触れることが出来ない。

壁は触れられる距離のはずなのに触ることが出来ず、天井は瞬く間に吸い込まれてしまいそうな、深海の奥深くのような感覚に陥る。


「でも今は昼のはずだよ?」


百に言われ時間を確認する。

時計の針は正常に動いており、先程の眩い太陽とは比べものにならないほど幻想的な空間に俺たちは呆然とその光景を見守るしかなかった。


「凄いでしょ、ここの景色」


落ち着いた声音に冷静さを取り戻す。

振り向くと、そこには一人の男性が立っていた。

身長は170前後、ホテルマンのような服装に整った顔立ち、惹き込まれそうな香りはなんとも形容し難いものだった。


「すみません。

なんかよくわからないうちに迷い込んじゃって。」


(ナイス透。

上手く誤魔化してあとは...)


「この場所がなんで星に囲まれているか知っていますか?」


立ち止まる。

俺たちはただ、解けない謎の回答を待っていた。

どれだけ凄いことが待ち受けているのか、どんな技術なのか。

その時はこんなことばかり考えていた。


「空というものは、時間に囚われないんです。

何億年もずっと昔から、少しづつ動きながら私たちをずっと見守っている。

星に願いを託した者もいました。星に夢を託した者もいました。

空はね、名前も顔も知らない、だけど同じ夢を、願いを抱いた人達を、永遠に繋いでいるんです…

だからここには星があるんです。

託す側として、託された側として、自分の夢を見失わない目印になるように...」


あぁ...

俺は愚かだ。

ただの知的探究心でこの場所は来ていい場所じゃない。

きっと何千年、何億年の時の結晶。

それがあの星々なのだろう。


軽く会釈をし俺たちはその場を去る。


はずだった...


:


「お届け物です。

おかえりになるのはこちらを見てからでも遅くはないかと。」


去り際に渡された手紙。

その宛先を見てしまったがために、俺はその場からしばらく動けなくなっていた。


「あり得ると思うか?」


「私にはよくわからないけど、私の感覚はあるんじゃない?って言ってる。」


2人の会話を他所に書かれた内容を確認する。


「拝啓、青柳夏輝様。

このようなお手紙という形でのご挨拶誠に申し訳ございません。

諸事情によりその場に居られず、説明も簡略化してしまうことを先にお詫び申し上げます。

私は十年後の未来の人間です。

本来ならば、あなたにこの手紙を残すべきではない。

それでも、ただ一言だけ、あなたに伝えておかなければならないことがあります。

ずっと貴方が大切でした。

もっともっと話したかった。

恋人にだってなりたかったし、デートもしたかった。

恐らく、貴方の次元での私は事故で無くなっているでしょう。

混乱を招くので詳細は省きます。

ただこれだけは覚えておいて頂けたら嬉しい限りです。

私は貴方をずっと愛しています。」


差出人、黒井翔子。


:


「本当に行く気か?」


「戻って来れないかもなんだよ?」


落ち着いた...というよりは諦めている透とは正反対に百の大きい声はこの広い空間にやけに響く。


「落ち着けって、何よりあの掲示板のメッセージが戻って来れるって言う何よりの証拠だろ?」


恐らくこの場所に来るための絶対条件は何よりも行きたい時代があるという確固たる意志と、この場所を認識しているという空間に対する理解だろう。

実証結果が少ないのは少々心残りだが、俺が時間旅行をする際はこの2人はここにいていいと青淵さんも言ってくれた。


「なんかあったら」


「なんもないよ」


やけに食いついてくる百の制しを振りほどき、青淵さんにタイムトラベルの準備をしてもらう。


「んじゃ、あとは頼むぞ」


「おう」


すすり泣く百を横目に俺と透で拳を合わせる。


「青柳様。

このトラベルの際に注意事項を一つだけ。

タイムトラベルは確かに夢あるものです。

しかし、その分リスクもある。

それでも貴方は、その一瞬の輝きのために、命さえも賭けられますか?」


人生で最も輝いた一瞬。

人はそれを見た時、言い表せない幸福感と永遠を求める。

自分であれ、他者であれ、輝いた人間の光は全てを繋ぎ止めるのだ。

誰かの一瞬のような時間が、誰かの永遠を感じる幸福の瞬間であるように。

それは俺にとって、紛れもなく「賭ける価値のある瞬間」なのだ。


「もちろんです。だって、俺の初恋ですもの。」


その微笑みには恐怖も、後悔も、嘘もなかった。


「それでは、良い旅を」


青淵さんの言葉と共に意識が微睡む。

戻された時は約1年の猶予を与える。

次に目を開く時は、きっと...


「ここは...」


見慣れた景色、聞き慣れた喧騒、嗅ぎなれた部屋の匂い。


「夏輝、朝ご飯はー?」


そうかここは...


「...今行くよ、母さん」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


第4章 「黒井翔子」


「高校の...二年の頃か」


学校から帰ってきて今日一日を振り返る。

時期は高校二年の五月。

黒井がちょうど転校してきたタイミングだ。


「正直半信半疑だったけど、確かにタイムトラベルできてるな」


自分の体を触りながら異常がないかを確かめる。

今のところ倦怠感や吐き気などのわかりやすい症状はないが、長期的にこちらにいる以上色々と不調が現れるかもしれない。

そう思いながら寝床に着き、今後のスケジュールを頭に浮べる。


「明日は確か...」



「ねぇ君何年生?かわいいね」


「黒井さん!良かったら一緒に」


「転入生なんて初めてで」


変だった。

正直だいぶ変だ。

いや、当時は気づけなかっただけで恐らくだけどこれは確定で変だ。

三年の誰もが振り向くイケメン灰枝虚先輩、同世代の陽キャ水谷さやかに学級委員の浦和紅葉。

誰もが初見では気圧されるほどの圧倒的異物。

恐らくこの高校が地元の人間以外が集まるような市内の高校なら明らかに3メートルは間を開けたくなる曲者。

学年問わず学校内において変人三銃士と呼ばれるこの三人を相手にまるでわかっていたかのように微動だにしないこの感覚。


「有り得るのか?

嫌でもそれくらいしかないよな…」


頭の中に浮かんだのはただ一つの仮説。

本来ならばありえないことだが...


「世界有数の名探偵の助言を信じてみますか…」


その為にも一つだけ、俺はトラップを仕掛ける。

本人に悟られぬよう...

必要なのは数多の銃弾より1本のナイフでいい...

最も効率的に獲物を仕留める一撃必中の切り札として...


指定した時間は放課後。

夕焼けの染るロマンチックな校舎の屋上。

舞台と役者は整った。


「話ってなんですか青柳さん」


この言葉で、俺は、今の彼女が嘘の塊だと確信した...


:


「君は...未来の自分になんて言われた?」


顔が強ばる。

自然な笑顔を出来ている自信が無い。

いつ、どこで、どの場面でバレた?

ボロは出てないはずだ。

なぜなぜなぜ...


迫り来る疑問を押しのけ、ゆっくりと彼女は返答をする。


「なんのことですか?」


それは確かに上手い人間の嘘の付き方だった。

相手を油断させる笑顔、警戒心を持たせない空気、本質から注意を逸らす会話の流れ...

どれをとっても、彼女の嘘を吐くというスキルは天賦の才と見紛うほど素晴らしいものだった。


ただ一点、相手がこの俺、青柳夏輝であるということ…

それだけが彼女の唯一の誤算だった...


「なんで俺の名前を知ってる?」


「そんな...の...」


やらかした...

恐らくこの時の彼女の思考はその一択だっただろう。


俺がこの場に来るまでに用意していたトラップはただ一つ。

それは俺の名前を秘匿するというただ一つの単純な行為だった。


「俺の名前を今日一日、君が知ることなんて不可能だったはずだ」


持ち物に名前を書かない癖と同級生や教師陣から「夏輝」呼びが定着している俺の「苗字」を知ること...

それはこの学園において不可能な事だった。


「高校って言ってもこの地域にはここしか通う高校はない。

市内まで出るにもかなり時間がかかるから地元の人間はみんなこの高校に進学してくる。

そのせいで、だいたい顔見知りしかいないからみんな呼び方がひとつに統一されるんだ。

しかも、誰も名前しか呼ばない中で持ち物にも苗字は書かれていない。

それなのになんでお前は俺の苗字を呼べたんだ?」


あからさまな挑発だった。

初対面の人間に名前呼びをする人間なんてかなりコミュニケーション能力に長けた人間でもない限り大抵は他人行儀になる。

まして転校初日、クラスの連中とある程度打ち解けたとしてもおよそ「苗字」と「さん」付けは抜けないだろう。


「初対面の印象操作は愚策だったな」


「...貴方は話に聞いていた通りかなりねじ曲がった性格のようですね。

青柳夏輝さん。」


「それはそれは、お気に召して頂けたかな?」


「えぇ。

大変腹立たしいですがぐうの音も出ない。

その上でシンプルにして的確なトラップと今この場で''未来を知っている上での挑発行為''中々お目にかかれない逸材ですね。」


不敵に微笑むその笑みに嘘はなかった。

出会った時からそうだった。

こちらを弄ぶようであと一歩のところで詰めの甘い策。

並の人間なら直ぐに掛かるトラップに掛からない俺を彼女はいつも観察対象としていた。


「ほんと、食えない男」


「何か言ったか?」


「いえ...」


少しの静寂が辺りを包む。


「...彼女は、私に謝りました」


その一言に体が硬直する感覚を覚える。


(そうか、やっぱり君は...)


「未来の自分が過去の私に介入した時点で何らかの副作用はあった。

それでも、自分の存在が不安定になるほどの大きな副作用とは彼女も予想していなかったのでしょう。

未来の私はどうなっても構わない。

それでも、過去の彼を傷つけること、ましてや、この先の貴方を殺してしまう結末になってしまったことを後悔している。

彼女はそう言い遺して消えていきました。」


「次元の歪みに飲み込まれたか、あるいは既に消滅してしまったか。」


「そうですね。

恐らく彼女はもう、存在しないでしょう。

かくいう私の運命も、どうあっても変わることはないですが…」


しばしの沈黙が続く。

犠牲により生を閉ざされる少女と犠牲を背に過去に来た少年。

俺はまだいい。

帰る未来がある。

何もせずに、この笑顔だけが見たかったから。

不敵に微笑み、他者を寄せつけない孤高の笑みが...

塔の上のお姫様のような可憐さはなく、どちらかと言えば研究好きの物好きな性格をしていようが、俺はただ、彼女に会いたかっただけなのだから。

何もしなければただこれで終わり。

俺はただ時間旅行をしに来ただけの旅行者。


それでも...


「一つだけ聞いてもいいか?」


「なんですか?」


それでも、確かめなければならないことが一つだけあった。


「彼女は、なんのために過去の君に会いに来たんだ?」


「なんのために...ですか...」


言い淀む彼女を急かさず、俺はただ真っ直ぐに彼女の瞳を見つめる。

大体の予想だってついてる。

それでも彼女の口からちゃんと聴いておかないといけない。

ただただそんな気がしていた。


「貴方の話をする時の私は...いつもそんな瞳をしていました...」


夕焼けでよく彼女が見えない。

だが心做しか、彼女はとても綺麗な嘘をついていたように思える。

まるで涙を隠すように...

自分自身を欺くかのように...


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


第5章「彼女と考察」


家に帰ると、今までの疲れが全身を襲うように俺は自室のベッドの上で大の字になった。


「俺の為...か...」


黒井の話はこうだった。

未来の黒井は自分の境遇ではなく、初めから俺を助けるために過去に飛んできた。

つまり、初めから青い鳥の規約違反覚悟でこのタイムトラベルに挑んだのだという。

確かに当時の記憶を振り返ると、俺はいつの頃からか「いじめ」なるもののターゲットになっていた。

今になって理解はできるが意味が分からない。

なんで当時俺はいじめられていたのか。

黒井曰く、転校してからというもの元々口数も少なく無愛想なあいつはクラスの連中にいつからか煙たがられていたらしい。

それをよく思わなかった俺が無理やりいじめを制止したのが連中は気に食わなかったようだ。

結果として彼女が事故で亡くなる1年後まで、俺へのいじめは無限に続いていたらしい。


「つまり未来の黒井は、過去の俺に対していじめが振りかからないように人付き合いに釘刺しにきて、失敗したらとりあえずいじめを悟られないようにしろって言いに来てたのか。」


口から出た言葉に後悔しかない。

あの時の俺は彼女にどんな態度を取っていただろう。

記憶の限りでは特別なことをしている訳でもなければ、むしろあまりに無愛想な態度だった筈だ。

思春期の男子なら幾度か経験する「女子と何話していいかわからん病」のせいでどれだけ不快な思いをさせたかも分からない。

ただ...


「黒井、綺麗だったな...」


当時の感情が湧き水のように緩やかに溢れ出す。

自覚した瞬間に恋は始まっていると言うが俺が自覚するのは遅すぎた。

失ってから気づいて、泣いて、苦しんで...

目の前にある「大好き」を、今となってようやく飲み込めた気がする。


「しゃあっっっ、母さん飯くれ」


腹が減っては戦は出来ない。

俺は台所の母に兵糧を要請し、戦の準備をするのだった。


:


「おはよう黒井」


げんなりした顔でこちらを眺める黒井を見ながら、俺は満面の笑みで隣の席に座る。


(ここまできて、後には引けないからなぁ)


俺は指を交差させ、頭の中にイメージを広げる。

まずここで大切なのは時系列の確保。

次にどのタイミングが黒井の死に繋がるピースになるのかということだ。

恐らく過去の自分に干渉するという一点においてのタイムパラドックスはいずれも該当しない。

まずそもそも黒井が過去の自分の行動を変えたとしても、今回の行動から察する限り、できる限り自分が歴史に影響を及ぼさない程度の安全牌を張っていた。

クラスメイトとの会話の流れ、俺へのいじめを止めるのではなく悟られないように隠すという行為。

どちらをとっても、歴史に対する影響は限りなく少なかっただろう。

なら時系列はどうか。

転校初日から黒井の死までの空白の1年。

対人関係、いじめの秘匿以外で彼女を死に至らしめたピース。


(...嫌な想像だな...)


一瞬考えたのはある筈のない彼女の死のピース。

物騒な考えだったと振り払いながら、俺は予測を立てるべく隣人の乙女に笑顔で声をかける。


「黒井、今日暇か?」


絶句した表情を他所に、俺の瞳は希望に満ちていた。


:


「今からですか?」


「今から今から。」


黒井の気だるそうな表情を横目に、俺は彼女の手を取り商店街の一角にある小さなゲームセンターに行く。


「タイマンで全ジャンルゲーム対戦やるぞ」


「えっ?これ全部?」


頭を抱える彼女を他所に俺は次々とゲームを勧めていく。

格闘ゲームにFPS、レーシングにダンシング、音ゲーにパンチングマシンなど...

およそ小さなゲームセンターの箱いっぱいに詰められた時間を、俺達は飽きることなく楽しんだ。


「制覇できたな」


「ですね」


およそ1ヶ月という時を経過させ、俺達はルーティーンになりつつあるゲーセン後の駄菓子屋通いを楽しみながら制覇という甘露な響きに頬を緩めていた。


「それじゃまた明日」


「おう、またな」


帰り道はいつも決まって十字路で分かれる。

俺は北に、彼女は東に分かれて、各々の帰路に着く。


「送迎は、いらないよな」


「はい、それでは」


この生活が続いて1週間の頃は俺も彼女を家まで送ると言っていたのだが、頑なとなって彼女は送迎を拒んでいた。


「1ヶ月経っても何も進展がないってのは逆に進展だよな」


肩を落とすと同時にひとつの予測を立てる。


自宅に帰って開いたノートのページには、もはや日記の領域を超越した「記録」が残っていた。


「これからどうするよ」


声に耳を傾ける。

内包意識。

この時代の俺の意識。

恐らく時間が経つにつれ、便箋の効果が弱まるのだろう。

初めの頃は自分が疲れているという錯覚を受けたが、今では良き理解者でもあるこの時代の自分に、俺は問いを返す。


「わからないことだらけでも、わかることはあるもんだよ」


「ふーん」


...声が聞こえなくなった。

恐らく便箋の効果が残っているのだろう。

1週間前から聞こえはじめたこの声は、一日の不定期な時間に現れては少し話をしたらすぐに黙り込む。


(まだ完全に話すのは無理か…)


この先できるかはわからないが、過去の自分を表に出せるようになれば何かしらの役に立つ日が来るかもしれない。


(まずは目の前に集中しよう)


気を取り直してノートに目を向ける。

この1ヶ月を通して気になったことはおよそ3点ある。


ひとつ、対人関係について。

積極的に俺が話しかけているのもありこの点に関しては良好。

俺だけでは分からないので彼女に聞いている感じではいじめの兆候もないとのこと。


ふたつ、彼女の周りの環境について。

恐らくここで最も大事なポイントになってくるのが家だろう。

担任の紫苑の話ではあまりいい家庭環境ではないと聞いている。

金はあるが愛がないという典型的なお嬢様家庭なんだとか。

恐らく俺の送迎を断っていたのは両親に合わせたくないっていうのが大きいかもしれない。


みっつ、彼女はどうして死んだのか。

ここが疑問になるとはまさか思わなかったが、俺の見立てが正しければ、彼女の死は恐らくタイムパラドックス関連ではないということ。

俺がそもそもこちらに来た際、青淵さんに頼んだ期限はマックスの1年間だった。

仮に彼女が同じように規定期間最大の1年で過去に来たとしても、俺のように自分の内包意識と会話できるようになるのは1ヶ月はかかるはずだ。

だとすれば、最低見積もりでも転校の1ヶ月前にはこちらにタイムトラベルしておかなければ会話すら成り立たない。

尚且つ俺に問い詰められた時点で彼女が未来の彼女であるならわざわざ嘘をつく必要も無い。


「ここでの問はなんで彼女があと11ヶ月で死ぬのか...だな。」


タイムパラドックスに巻き込まれていないということは、無事時間旅行を果たして未来に帰っているということになる。

なら何故彼女は死ぬ運命になってしまったのか。

当時の新聞やニュースでは原因不明という文字が見出しを飾るほどには不可解な死を遂げていた。


「...少し、策を練るか...」


俺は暗い夜とともに、この薄気味悪いパズルに挑むのだった。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


第6章 「唇」


「ふぁ...」


小さいあくびを出しながら退屈な授業を受ける。

いくら考えても俺1人の頭ではどうにもできないことだってある。


(透や百に話せたらいいんだけどな...)


この時代の透や百との関係も相変わらずだった。

懐かしい感覚を覚えながら俺は頭を抱える。


(巻き込むわけには...いかねぇよな...)


下手をすれば俺諸共死んでしまうかもしれない賭けにあいつらを巻き込むわけにはいかない。

ましてあの透と百だ。

百に関しては勘づいてはいるようだが行動に移させたら負けと思わないと行けない。


(多分あいつら相手じゃそれとなく聞いてもめんどくさいことしそうだもんな)


思考を一点に集中させる。

何故彼女は死ななければならなかったのか。

事件なのか事故なのか。

自殺なのか他殺なのか。


彼女の性格、仕草、態度、声音。

全てを総合して考えろ。

何一つ見逃すな。

お前の行動ひとつでワイルドカードにもジョーカーにも成りうるこの情報を...

何一つ無駄にするな…


そう頭に訴えかける。

頭が少しぐらつく。


(誰だよ...頭揺らすなよ...)


不意に倒れ込む自分の体に意識を預け、俺は深い微睡みの底に落ちるのだった。


:


「ねぇ、大丈夫?」


目を覚ましてはじめに見る光景が惚れた女の場合、みんなはどうするのだろう。


「あなた急に倒れたのよ。

良かったわね、周りに人が居る時で。

自己管理ぐらいちゃんと...ッッッ」


驚いた黒井の顔なんて見えない。

俺はただ彼女を愛おしむように優しく唇に唇を重ねた。

そしてまた、謎の激痛と共に微睡みに沈むのだった。


「...まったく...」


ただ優しく、少し熱をもった唇に触れる彼女に気づくことなく...


:


「なんかすげぇいい夢見た気がする。」


「...気のせいでしょ。」


あらためて目を覚まし、保健室で看病をしてくれた彼女に礼を言ってから、俺たち2人は帰路に着く。


「そもそも。

あなた最近色々と抱え込みすぎよ...」


「悪かったよ。

ちょっと考え事が重なっただけだ。

なんてことないから。」


不安な表情を浮かべる彼女に心配をかけないよう、俺はできる限り自然体を装った。

変に嘘をつくのはかえって相手に対し微妙な違和感を与える。

嘘ではなく、真実でもあり、相手を心配させない言い回し。

なるほど。

意外と難しいものだ。

今度透辺りにやり方を...


(ッッッ)


まただ。

誰かが頭を揺さぶるような衝撃。

不意に意識が乗っ取られるこの感覚は…


「なぁ黒井。」


「なに?」


「俺はお前が好きだ...」


:


不意に意識が戻る。

間違いない。

この感覚は…


(ふざけるなよ。

なに勝手に出てきて勝手なこと言ってんだよ。)


脳内意識。

あるいはこの時代の青柳夏輝。

昼間の原因不明の衝撃はこいつのせいだったのか。


(いいじゃん別に。

お前ら観てて焦れったいんだもん。

やだよ将来の自分がこんな朴念仁なんてさ。)


勝手にでてきて好き勝手暴れまわるこいつを野放しには出来ないが...


「く、黒井。

今のは聞き間違いだ。

空耳だ。

気のせいだ。

気にせず家に帰ってくれ。」


精一杯の愛想笑いをしながら、何故かすごく悲しそうな顔をする彼女に戸惑いを隠せない。


(なんでだよ。

やっぱり俺が乗り移って...)


(お前は出てくるな…)


「あのさ...」


過去の自分と言い合いをしていると彼女が真剣な顔をして見つめてくる。


「昼間のキスは...あなたにとってなんだったんですか…」


「え?」


(お前んな事やったのか。)


(そんなことやるわけ...)


「今日はもう帰ります。

さようなら、青柳さん」


向けられた笑顔は不自然で不格好で、あの嘘が得意な黒井とは別人にさえみえた…


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


第7章「苦悩と決意」


涙を流したのは何年ぶりだろう...

あの日、あの人の話を聞かされてから...

最初はどんな奴かと思った。

約1年間「彼」のことを嬉しくも懐かしく、またどこか悲しそうに話す「彼女」を見て、未来の自分がどれだけ愚かなのかとも思った。

人を愛する喜びを知っていた、愛を失う痛みも知っていた...

何も知らない私とは違った。

(これが嫉妬...)

感情も学んだ。

それでも涙は出なかったのに...


「私って…嫌な女だよね...」


もう声を発することは無い内側に話しかける。

未来の私の姿がやけに鮮明に蘇る。


(幸せそうだったな)


消えるその瞬間まで、彼女はずっと美しかった…

自分と同じとは思えないほどに...

恋する乙女は綺麗だったのだ...


「笑顔...下手だったよね...」


一人でいるには冷たすぎる夜に、私はしばしの沈黙を訴えた...


:


「明日からどう接すればいいんだよ」


(お前がまいた種だろ?お前が何とかしろよ)


「他人事みたいに言いやがって...」


正直、こいつがやってないというのなら恐らく本当にキスはしていないんだろう。


「寝惚けてしてしまったじゃ怒るのは目に見えてるよな」


(当たり前だな朴念仁)


いちいち突っかかってくる2Pカラーは放っておいてまず目下の課題を考えなければならなかった。


「その1素直に謝る。

その2土下座する。

その3...」


言える訳がなかった...

本当に好きだった...

キスに嘘は無いなんて...

あんな状況普通なら殴られてもおかしくない。

それでも彼女が何もせず去ったってことは...


「もう二度と、戻れないよな...」


(珍しく弱気だな…

まぁ朴念仁にしちゃ少しは考えたみたいだけど…

まだ固いな...

どんな人間も世間を見下す瞬間ほど悦に浸ることは無いが、恋ってのはお前が見下してる世間よりもよっぽど簡単に出来てるんだぜ)


やけに心にくる言葉だった。

自惚れや過信...

自分が今まで抱いていた感情よりも簡単だと言われるものに、俺はずっと右往左往していたのか…


(You can't blame gravity for falling in love.だろ?)


「アルベルト・アインシュタインかよ。

頭いいフリすんな馬鹿野郎。」


(お前もな、相棒)


交わした言葉は紛れもない真実だった。

俺は黒井が大好きだ。

ならあとは簡単な事だった。


「絶対勝つぞ。

この戦。」


(おうよ)


夏間近の暑さを他所に、戦いの火蓋が切って落とされた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


第8章「夏と戦と彼女と家族」


「おはよう」


「...おはようございます...」


相変わらず挨拶はぎくしゃくしたまま...

お互いの胸の内を知ることなんて出来ないこの状態で、清々しい挨拶なんて本来は不可能だろう。

なら...


「夏休み入ったら、黒井の家に遊びに行くわ。」


「あーはいはいそーですか。

いいわ...け...なんて?」


彼女の惚けた顔を他所に俺は1つ作戦を練っていた。


「それで?

一体どう言う魂胆か知りませんが、うちに来るのは不可能ですよ?

今は家族も海外から帰ってきてますし。」


彼女の父親は大手企業の代表取締役、母親はそんな父親のライバル企業の社長秘書として海外の本店を主軸に活動している。

家には帰ってくることはほとんどなく、年に数週間帰ってきても企業方針や黒井自身の学校生活などで永遠と言い争いをしているらしい。


「そんな家庭ですから不愉快なものも多いでしょうし、ただ集まるだけなら別に今のままでも...」


「いや、むしろ家族が居ないとこの話は出来ないんだよ」


頭にはてなと同時に俺の性格を理解している彼女は今まで見たことの無いような心底面倒臭いという顔を露わにしていた。

当然と言えば当然の反応だろう。

あんなことをした野郎が辛気臭い雰囲気の中、急に家に行くだの両親に会うだの。

誰だっていい印象は持たないだろう。


だが現状時間はなかった。

黒井の死亡記録のタイムリミットは刻一刻と迫っている。

そんな多少強引にでも突っ込んで行かなければ間に合わないのだ。


「まぁ見てなって。

全部上手くいくから」


「不安しかありませんよ。」


気づけば、いつも通りの軽口を言い合う。

俺と黒井の間には、本当はもう、目に見えない絆のようなものが出来ているのかもしれない...

そう感じてもいいほどに、今の雰囲気が俺は好きだと思えた...


:


照りつける太陽。

噎せ返る熱気。

白い砂浜も青い海もないが、そこには白亜の城がひとつ...


「ホワイトハウスか?」


「ただの一軒家ですよ。」


いやいやいや。

普通の一軒家は百坪も土地はないんだよというツッコミをグッと堪え、重々しい雰囲気を漂わせる鉄格子の門をくぐる。

庭の薔薇は美しく手入れされ、敷地内には小さな池とおよそ一般家庭にはないだろうテニスコートまで完備されていた。


(あれは...)


庭の隅に追いやられた小さなブランコを横目に、黒井の後ろをついて行く。


「でっ.....か......」


敵地はとても広かった。

旧大英帝国をイメージさせるシンメトリーの建築は美しいの一言に尽き、装飾の細部に至るまで「一人の人間が一生の間で稼げるであろう収入」の許容量を簡単に超えた調度品ばかりだった。


「っっっ...」


案内された先。

とてつもなく「かわいい」に包まれた謎の空間。

白を基調とし、至る所にクマやウサギ、ハムスターなどのぬいぐるみを満遍なく飾り付けた動物園のような部屋。


「お前の部屋にしては随分かわいいな。」


「殴りますよ?

...茶番はさておき、一体何を企んでるんですか?

少なくともここには、あなたの求める情報はないと思いますけど。」


確かに。

ここに来たのは情報のためでは無い。

ある意味でもっと大切なこと。


「翔子、なんのつもりだ。

こんな手紙をよこして。」


「いい加減にしてちょうだい翔子。

わがままを言うような歳ではないでしょ?」


「パパ?ママ?」


さぁ、役者は揃った。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


第9章「記憶と後悔」


「はじめまして、黒井翔様、黒井春子様。

私、翔子様と御付き合いさせて頂いております。

青柳夏輝と申します。」


あまりの唐突な俺の発言に、一同唖然だった。

ただ一人を覗いて...


「あっ...あなた、一体何様の」


「黙れ」


母、春子の言葉を遮る翔。

言葉の端々から言いようのないプレッシャーを放つ。

さっきまで赤面し、何を考えているのかとこちらを見ていた翔子ですら顔を青ざめる。

この男の、この家での発言力が何を意味するかを物語っていた。


「...」


「...」


「翔子、私たちは別室に行きましょう。

今はこの二人の時間よ。」


静寂を破ったのは意外にも春子だった。


:


「...娘は、君にはどう見える...」


翔の言葉がやけにか細く聴こえる。

まるで、壊れた硝子をそっと振れるような...

そんな儚い声...


「...とても強い人です。」


「そうか...」


まだ湯気の立つコーヒーを一口飲み、その人は、「父親」として彼女のことを話した。


それは、まだ幼い日のこと。

ブランコで怪我をして以来高いところが嫌いになった。

あの子は今もブランコには乗れないのだろうか。


それは、まだ手のかかる日のこと。

うっかり落とした壺の破片で手を切り血を出してしまった。

あの子の傷はまだ残っていたな。


それは、もう届かない日のこと。

私と春子の喧嘩を聞かせてしまった。

あの子は笑わなくなった。


それは後悔だった。

語られる過去は、もう取り戻せないであろう日々。

時間では解決できなかった、巨万の富でも、豊富な知見でも癒すことの出来ない傷跡。

それは、一人の父親の後悔だった。


「いつか、こんな日が来ると思っていた。

私たちの知らない翔子に、私たちには見ることの出来ない未来が来ると...

そんな時に、せめてあの子の...

人並みの幸せを願ってやりたいと...そう思っていたんだがな...」


「...言葉にしないと届かない本音もありますが...

目に見える「なにか」にしか宿らない...

そんな情緒もあるでしょうよ...」


窓の外に見えるブランコ。

脚元にツタが絡まっているほど古い年月放置されているにも関わらず、あれは今でも使えるように立派に手入れされていた。


きっと、この夫婦にとって翔子は、今も昔も変わらずそういう存在なのだろう。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


第9章「秘め事」


「あれから家族とはどうだ?」


「最近はすっかり。

母は癇癪が無くなりましたし、父は相変わらず無口ですが、ちゃんと会話をしてくれるようになりましたよ。」


俺が勝手に呼称している「黒井家夏の陣」から早2ヶ月。

10月という季節はもう秋を告げていた。


「しかし寒いな。」


「なんだってこんなに寒いんでしょうね?」


空き教室のストーブにかじりつきながら今後の方針について練っていたが、あまりの寒さに2人とも頭を使った会話を出来なくなっていた。


「そういえば、彼女もこんな風に、寒いのがダメだったんですよね...」


最近、黒井はよく「未来の黒井」の話をよくするようになった。

仕草や口癖、言葉や愛。

彼女の真似をよくするようになった。


(いいこと...なのかねぇ....)


不意に内包意識、この時代の青柳が呟く。


(...良くは...ないな...)


気づけば自分の真似をしている。

そんなのはまるで...


言葉には出せなかった。

それを認めると、そういうことなのだろうと理解してしまう自分がいると知っているから。


「昼休み終わる前に起こしてくれ」


:


「寝顔、あの時以来...かな...」


彼の顔をゆっくりと見つめる。

吹き抜ける風になびく髪を、整った顔立ちを、彼女の愛した彼を...


今にも消えてしまいそうな寝息を聴きながら、ゆっくりと問う。

私じゃ駄目かな...

触れた唇をゆっくりと離す。

この罪だけはどうか秘めたままで居られるようにと...


:


「夏輝、起きろ」


声をかける。

そしてまた、彼に笑顔を向ける。

彼女の顔をした偽物の顔を。


ああ、私は嘘吐きだ。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


第10章 「決別」


「...もう、うんともすんとも言わなくなったな...」


あれから2ヶ月。

当初便箋の効果が弱まっているという過程は当たっていたようだが、この事態は想定していなかった。


「内包意識と会話を重ねるほど、こっちにいられる期間は短くなるってことか...」


なるほど、それならとおおよその辻褄は合う。

何故初めて会った時に未来の黒井の人格が現れなかったのか...

黒井の話を聞く限り、結構な頻度で接触していた彼女は、力を使いすぎて強制リタイアしたってところか。

それに最近の頭痛や眠気...


「こんなこと説明してなかったじゃないの青淵さん。」


いない人間に愚痴を吐きながら、俺は思考を整理する。

おそらく当初の引っかかりであった人間関係、家族関係の問題は解決した。

しかし、まだ課題は残っている。


「黒井の死の真相」


俺の滞在期間は恐らく、どう頑張っても今年一杯が限度の中、何故ここが重要なのか...

古い原因を取払ったから後は大丈夫なんてことは軽はずみには言えない。

引っかかることは全部まとめて拾い上げる。

それに...


「あれは多分、そういうことだよな...」


不意に過去の記憶が蘇る。

思い出したくもない違和感。

初めて黒井と出会った時、未来の彼女の話をした瞬間のあの悲しげな表情。


不意に痛む頭を抱えながら、ゆっくりと事実を飲み込んでいく。


「ピー、ピー」


不意に鳴り響く携帯電話の音に冷や汗を流す。

そんなはずはないと必死に心を律しながら、俺は受話器に耳を当てる。


さよなら。


それが、黒井の言葉だと気づくには、余りにも遅すぎた。


:


(どんくせぇな。

もうちょっとだけがんばれ、相棒。

まだ、俺たちの花嫁を救えてないだろ?)


ベッドから飛び起きる。

夜の帳が降りていたはずの部屋はまだ夕日が差し込んでおり、西日がとても眩しかったのを覚えている。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


第11章 「言葉」


「すまんな透。

原付借りて。」


「いいけど壊すなよ?

それ高かったんだから。」


透が原付を、俺が免許を持ってて良かったと心から感謝する。

ありがとう母ちゃん。


「...」


「どうした百?」


「...絶対、無事に帰ってこいよ...」


透も百も、それ以上は何も言わなかった。

2人に礼を言い原付を走らせる。


(あいつがいるとしたら...)


足取りが思い。

やっとの思いでここまで来られた。

パパとママには申し訳ない気持ちしかないが、それでも...

これは私がやらなきゃいけないことなのに...


「よう」


その男は、私の視界を奪って離さなかった。


:


「少し歩くか...」


静寂が流れる。

思えば、この目まぐるしく動く1年の中で俺達に「ゆっくりと2人で過ごす時間」というものはあまりなかった。


ベンチに座る。

暖かいココアを彼女に渡しながら、次に言う言葉を考える。


「もう...気づいてるんでしょ...

なんで未来の私が死んじゃったのか...」


沈黙が正解を表す。


「おかしいな...

上手く隠してたはずなのに...」


無理に笑顔を見せる彼女。


「嘘が下手なのは変わらないな」


あの日のように、お世辞にも上手とは言えない仮面を纏っている。

最後の最後まで弱音は吐かない。

最後の最後まで涙は見せない。

彼女らしいと言えば彼女らしかった。


「それでも俺は、お前の口からちゃんと聴かなきゃならないからな…」


「そっか...」


それから彼女はゆっくりと話しはじめた。

未来の彼女と出会う前のこと…

この1年のこと…

俺のこと…


「私は、やっぱり貴方が好きよ…

でも、貴方が愛したのは「私」であって、「私」じゃない...

貴方が愛したのは、不器用なりに器用に立ち回って、下手くそなりに貴方を救おうとして、不格好でも最後まで足掻いた...

そんな彼女...

過去を過去として置き去りにせず、未来を未来として手放しにしない。

過ぎた時間でも必死に繋いで...消える未来でも精一杯微笑んだ...

そんな、未来に生きる人だもの。」


ああ...

やっぱり...


「ほんとに、お前は馬鹿だよ...」


泣き顔を見せないように取り繕っている。

涙だって溢れているのに。

突き放すように壁を作っている。

触れれば壊れるほど脆いのに。


抱きしめた肩が震えている。

きっと、俺が消えたあと「彼女」の後を追うつもりだったのだろう。

引き摺っていくくらいなら、「彼女」に誇れる自分ではないからと...


「俺が好きなのは…どんなに辛い選択が待ってても毅然とした態度で乗り越えて、怒るとあからさまに不機嫌になるくせにずっと傍から離れないで、俺の言葉に一喜一憂するような...

そんな女だ。

未来のお前がどれだけ誇らしくても、俺が世界で1番愛してるのは...今目の前にいる「今を生きる」黒井翔子なんだよ...」


そんな顔するなよ…

安心して帰れないじゃないか...


消えかけている俺の腕を、彼女が強く握る。


「私、居てもいいの?

あの人程強くないのに...貴方を護れるかも分からないのに...

貴方の隣に居ても...」


思わず笑みが零れる。


「当たり前だろ。

お前は俺の、青い鳥なんだからな。」


触れた唇の感触が消える。

あの頃とは違う。

寝ぼけた彼でも、ずるい私でもない。

そこには確かに、私達の、私達だけの絆があった。


「もう...大丈夫...」


温もりが風に攫われていく。

漂う時の流れに身を任せるように...

それでも傍に居ると言うように...

涙を拭う。

踏み出した足に、彼女の瞳に。

もう迷いはなかった。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


エピローグ


「夏輝、早く来いよ」


「そうだよ〜、はやくはやく〜」


あれから1ヶ月。

青い鳥から無事帰ってきた俺は、何気ない日常に戻っていた。

過去が改変されたことにより透と百は覚えていなかったが、俺があの日々を忘れることはなかった。

青淵さん曰く、「知っている人がいるというのも大切なのかもしれません。」とのこと。


「急がなくても服は逃げないだろ?」


「逃げるかもしれないだろう?」


わからん。

まじでわからん。

なんで服にこんなに命がけになるんだこいつらは。


ショーケースに並んだ服を眺めながら、ゆっくりと目的地に近づいていく。

先には、はしゃぎながら服を選ぶ二人の姿がある。


「...あっ...いた...」


声が聞こえた懐かしい声。

温かくて、優しい声。

触れた手が、見据えた目が、重ねた唇が...

いつまでも胸に残り続ける。


「おかえり、翔子」


「ただいま、夏輝」

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