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世界一うまいクレープの作り方

作者: Vojack

 母さんが死んだ。

料理上手の母さんだった。


 愛妻家の父が亡くなって、もう10年以上経ったんだ。

それを考えれば、俺が上京したのもあって、10年間寂しかったろうに、大往生だった。

葬式では母さんの思い出に浸りながら、静かに泣いて見送った。

親父の葬式ではぐちゃぐちゃに泣いてた俺を元気づけてくれていたのも母さんだった。

だから母さんを送るときは、不安がらせないように泣かないと決めていた。


 思えば、俺は両親に愛されていた。

共働きでふたりとも忙しい中で、寂しがらせまいと俺をかわいがってくれた。

父は新聞記者で、繁忙期は本当にひと月くらい会えないときもあったから、母さんはそういうとき、いつも以上に張り切ってくれた。

俺は甘いものが好きだから、子供の頃はよく手作りスイーツを作ってくれた。


 「お父さんには負けないわよ!」


 そう言って腕まくりをして、パンケーキだのクッキーだの、いろんなものを俺に作ってくれた。

負けないわよなんて息巻いてたけど、よく考えれば親父は料理が下手だから、負けることなんてありえないんだけど。


 そんな家庭事情だから、一緒にいてくれた時間の長い母親のほうが、正直なところ親父より記憶に残っている。

悪い親父だったなんてとんでもない、賢くて力強い自慢の親父だった。

でも、まあ、しょうがないだろ、それは。

親父も多分許してくれるだろう。

俺が死んだら謝りに行こうか。


 ……いや、そういえば。

何をどうしても、母さんが親父に勝てないところがあったな。

腕力とか、そういう話じゃないぞ。


 母さんと親父、どっちの料理のほうが記憶に残ってるかと聞かれれば、当然母さんだ。

なんせ親父は料理できないんだから。

でも、一番うまいもんを食わせてくれたのはと聞かれれば、親父になる。


 それはクレープだった。


 小学校五年生くらいのことだ。

ぶっちゃけ俺は、太っていた。

だから俺の健康を気遣って、母さんは俺に甘いものを禁じていた。

今思えばそれも愛ゆえなんだけど、当時の俺はそれが不満だった。

母さんがたくさん甘いものを作ってくれてた時期も長かったから、余計にそう思った。


 そんな折に、両親と三人で大きなプール施設に遊びにいった。

晴れた夏の日で、ガラス張りの屋内プールだった記憶がある。

確か不況のあおりをうけ、もうつぶれてしまったので、どんなところだったかは最早確かめようがない。


 母さんがトイレに行っているときに、俺はクレープを売ってる出店に惹かれた。

昼時直前の小学生男児には、夢心地の香ばしさだった。

でも、食べたら母さんに怒られるし、ましてや昼前だ。

せっかく三人ででかけたのに、母さんが不機嫌になるのは見たくない。


 そう思ったとき、親父がしゃがんで俺に耳打ちしたんだ。


 「お母さんには内緒で、一緒にクレープ食べちゃうか?」


 俺は無心で首を縦に振った。

喜びのあまり、俺の表情は一周回って空虚感に満ちていた気がする。

気を使って笑う余裕も無いくらい嬉しかったんだ。


 そして、親父は普段食べないのに、めちゃくちゃ甘そうなクリームたっぷりのクレープを注文した。

俺も親父に遠慮せず、一番うまそうな……一番太りそうなクレープを注文した。

もう母さんの心配はしていなかった。


 日当たりの良いベンチに並んで座って、俺は親父と一緒にクレープを頬張った。

これよりうまいもんを、どういうわけか俺は生涯食べたことがない。


 直感的に思う。

俺は多分、あれより美味しいものを食うことはきっと一生ないだろう。


 親父、これだけは間違いなくいえるからさ、母さんにそれを自慢しておいてくれ。


 俺はもう少し遅れていくから。

ついでに、あの味を誰かに教えてあげられたらいいな。



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― 新着の感想 ―
[良い点] おふくろの味ならぬ親父の味ですね。 何気ない思い出なのですが、ぐっとくる話でした。
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