作戦実行
「怪しまれても知らないわよ……。」
夕方の住宅街を、あっちに曲がり、こっちに曲がりしながら歩く。不意に差してくる西日に照らされる度、いけないことをしているのが見つかったような気持ちになり、早足で建物の陰に隠れる。
健の右手には、A4サイズの封筒が抱えられている。その表には「連絡袋」という印字と「竹井さんへ」という手書きの文字が書かれている。先日、健が仁君から預かった物だ。
「大丈夫だよ。バレやしないって。」
健が突拍子もないことを言い出してから数日が経ったある日、仁君の悩みの発端である竹井さんが、忌引きで学校を休んだ。仁君の実習先の学校では、欠席した子にお便りや宿題を入れた連絡袋を渡すことになっている。普通なら兄弟や、下校先の近い子に届けてもらうのだが、そこを健にお願いされて、仁君が預かってきた。その連絡袋を、健は近くに住んでいる実習生のフリをして、竹井さんの家に届けようというのだ。
「仁君が言うには、実習生は小中合わせて100人ちょっと。全員を把握できているわけがないからね。」
「それは、そうかも知れないけど。もしバレたら、迷惑なんて言葉じゃ済まないわよ。」
「大丈夫だよ。ていうか、ゆかまでついて来なくてもいいのに。」
「健だけに任せておくのは不安なのよ。」
信用ないなあ、と苦笑いする健。2人並んで歩くことしばらく、私たちは目的地の前に辿り着いた。
「ここか……。」
住宅街にいきなり現れた、自然石の立派な門。その間を通ると、ひらけた庭の大きな松の木が、龍のように曲がりくねって、こちらを睨むように枝を伸ばしている。頭を下げてくぐり、石畳を渡ると、4枚建の大きな引き違い戸の前に着いた。まさしく日本のお屋敷といった建物で、少し面食らう。仁君から「うちの学校、お金持ちのお家が多いですから、竹井さんの家も凄いかも知れないですよ。」と聞いてはいたけれど……。
「想像以上ね、これは……。」
「そうだね……。こんなに大きな家、来たことない。」
これまで飄々としていた健だったが、流石に緊張している様子だ。そりゃそうだ、こんなに大きなお屋敷の人に、今やっていることがバレでもしたら、あっという間に噂が広まって、廃業に追い込まれかねない。
「……やっぱり、やめにする?」
「はあ!?何言ってんのよ。渡さないで怪しまれて、学校に連絡されでもしたら、それこそバレちゃうでしょ!」
「そ、そうだよね……。」
急に怖じ気づいた健の背を叩き、発破をかける。ここまで来てへたれる?フツー。
「よ、よし、じゃあ行くよ。」
ゆっくりと、健の指がインターホンに近付いていく。指先がボタンに触れ、目の高さにある健の喉が、ゴクリと動くのが見えた。そして
ピンポーン
……。
…………。
「留守かぁー……。」
ぶはぁ、といつからか止めていた息を吐き出し、項垂れる健。けれど、表情はめちゃめちゃほっとしていて、首から上と下があべこべだ。その横で、私もいつの間にか止めていた息を吐き、胸に詰まった空気を、まだ蒸し暑さの残る夏の空気と入れ替えた。