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ほっとカクテル―『Bar at Takai』にようこそ―  作者: 澄原千景
1杯目~教鞭とカウボーイ~
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虚を突くナイフ

 実習が始まって1週間が経った。朝7時過ぎから夜7時過ぎまで働くリズムに、最初は心身共に悲鳴を上げていたけれど、最近は少し慣れてきた。休み時間の度に子どもたちを体中にぶら下げ、長い休み時間には、足の速さが自慢の男の子に、残暑厳しい校庭でチャイムが鳴るまで鬼ごっこで追いかけ回されることにも慣れてきた、はず、だ。ぜえ、ぜえ。

 僕の体力が底なしに元気な小学生に適応したか否かは置いといて、子どもたちの顔と名前が一致し、1人1人の実態が分かってきた。授業でよく的を射た発言をする石田君。元気なムードメーカーの近藤君。女の子の中心的存在の松田さんなど。他にもたくさんの子どもたちの実態を同じグループの仲間と擦り合わせて、学級の長所と課題を考えた。そして、いよいよ僕が授業をする日がやってきた。


 専門の国語の授業。赤ペンで大量の直しがついて返ってきては練り直し、6度目で合格した指導案。不器用なりに頑張って作った掲示物。授業の流れをど忘れしたとき用の台本。準備は万端。大丈夫、やれる、とドクドク脈打つ胸に言い聞かせて教壇に上がる。

 実習生が担当する単元は、動物園の獣医の仕事についての説明文だ。教卓の上に、準備してきた教科書、指導書、台本、掲示物を広げる。当然、教卓はいっぱいになり、台本は埋まって見えなくなった。あっ、やばいどうしよ、不安。

 挨拶をして、授業が始まる。今日は、にほんざるに薬を飲ませる工夫について読み取る学習だ。

「今日は、じゅういさんのおしごとのくふうについて勉強していきます。最初に出てくる動物はなんですか?」

 はい!と近藤君が真っ先に手を挙げる。

「にほんざるー!」

「そうだね。では、じゅういさんは、にほんざるにどんなお世話をしようとしてるかな?」

 はい、と今度は松田さんが指先までまっすぐな手を挙げる。

「苦い薬を飲ませようとしてます。」

「そのとおりです。実は先生も、初めての授業で緊張しちゃって、朝おなか痛くなったから、苦―い薬をがんばって飲んできました。」

 あははは、と子どもたちから笑い声が上がる。「授業中に一笑いさせる」という密かに抱いていた目標を達成し、心の中で小さくガッツポーズをする。これをきっかけに程よく肩の力が抜けた僕は、初授業を大きなトラブルもなく終えることができた。


 国語の授業を終えて、ルンルンで担当の掃除場所へ向かう。この学校には、掃除中に一言も喋ってはいけない「無言清掃」という文化がある。とても真剣な雰囲気で子どもたちが掃除している中で、ニヤニヤしてゴミを掃いていたら気持ち悪がられることは明らかなので、グッと抑えて真顔で掃除する。

 掃除が終わり、2年生のクラスに戻ることにする。後はいつも通り、酒井先生の授業支援をするだけ。今日はいい気分で帰れそう、と再びルンルンしてきたところで、

「先生。」

足元からの声に呼び止められた。

 浮き足だった体と心をひとまず鎮め、そっと地に足をつける。

「どうしたの?」

 しゃがんで目線を足元の女の子に合わせて聞くと、

「先生って、お姉ちゃんのクラスの先生?」

と聞かれた。お姉ちゃんって、誰のこと……?と彼女の名札に視線を移す。

「ああ、竹井さんの妹。」

「うん。ねえ、先生って、お姉ちゃんのことどう思ってる?」

「どうって……。」

 困った。いい子だね、なんて無難でテキトーな気がするし、かといって好きだよ、と言うのも変な誤解を生みそうでいやだ。

「先生は、自分の教えてる子のことはみんな好きだよ。」

「えー、そうなんだあ。」

 おかしな子だなあ。何でそんなことを聞くんだろう。なんて考えていると、

「でもね、お姉ちゃんは先生のこと嫌いだと思うよ。」

サクッ、と完全に虚を突いて、耳から胸に真っ直ぐ鋭い言葉が突き刺さった。心臓が一度、ドクンと跳ねる。

「なんで、そんなこと」

「だってお姉ちゃん、学校から帰ったら筆箱の中全部消毒してるもん。」

 耳を塞がれたかのように、急に周りの音がぼやけて聞こえなくなる。代わりに強く、早く鳴りまくる心音が、うるさいくらいに聞こえてくる。苦しい。息ってどうやって吸うんだっけ。

「そうなんだ、残念。ごめん、先生もう行かなくちゃ行けないから。」

 やっとのことでそれだけ話し、逃げるように教室に向かって歩き出す。ありえない。どうして?あれだけ心を尽くして支援してきたのに。一生懸命に関わり続ければ、心は通じると思っていたのに。

 教室に着いた。いつものように、5時間目が始まる。

 視界の隅に、竹井さんが見えた。

 けれどもこの日、僕は彼女の支援ができなかった。

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