出会いと思い上がりと未熟な野心
「今日からみんなと一緒に3週間過ごす実習生を紹介します。では1人ずつ自己紹介。」
始めに自己紹介の時間がとられた。と言っても、4人揃ってさっきまで名札をつけてもみくちゃにされてたから、ほとんどの子どもたちに名前は知られている。だから、名前と一緒に意気込みも言うことになった。
自己紹介は苦手だ。大勢の人の注目を浴びると、急に頭が働かなくなる。そのくせ何か言わなきゃと口だけはよく動くから、余計なことを口走って後で後悔する。今回は失敗しないようにしなきゃ。そう思っている間に僕の番がやってきた。
「きょ、今日から、みんなと一緒に勉強する葉山仁ですっ。短い時間だけど、みんなのことたくさん知りたいので、たくさん教えてくださいっ。あっ、仲よくなりたいです。よろしくお願いしあむすっ!」
噛んだ。あと「知りたい」と「仲よくなりたい」の順序が逆になってしまった。これじゃあ怪しい人だ。しかも「みんなと一緒に勉強する」って何さ、お前も2年生なんか?戻るか?8歳児に。
ぬおおお、と心の中で転げ回りつつ反省の意を込めてツッコミを入れている間も、子どもたちは拍手を返してくれる。うう、あったけえ。優しさが沁みるう。
子どもたちの優しさに救われて自己紹介が終わり、授業が始まった。3週間のうち、始めの1週間は担任である酒井先生の授業や休み時間でとにかく子どもたちと関わり、その実態を観察する。放課後には気づいたことを酒井先生と話し合い、その後グループで授業の指導案作り、という一日の流れとなる。
酒井先生の授業はそれはもうすごいものだった。言葉に無駄がなく、内容がスーッと耳に入ってきて、淀みなく頭で理解できる。授業が分かりやすいからか、子どもたちも授業に真剣で前のめりだ。実習生仲間が言うには、県に認められた授業名人らしい。そりゃすごいわけだ。
とはいえ、いくらすごい先生であっても30人の子どもたち全員がどの教科の授業も理解することは難しい。学力や集中などに課題があるなど、様々な事情で授業の流れについて行けない子どももいる。だから、授業中は子どもたちの様子を見て、困っていれば理解できるように支援する。
ある日の算数の授業中、僕は1人の女の子が気になった。クラスの隅っこで、鉛筆を持ったままじっとしている。
「大丈夫?今、どこの勉強をしてるか分かる?」
そっと近づいて話しかけると、無言で首を縦に振る女の子。手元のノートを見ると、板書をそのまま写した式だけが書いてあった。
(板書から進んでいない……ということは、計算の仕方が分からないのかな。)
「ゆっくり、ひとつずつ解こうか。鉛筆貸してくれる?」
隣に腰を下ろし、そっと差し出された鉛筆を使ってノートに解き方を書いてあげる。声こそ出さないが、こちらの話には頷いてくれるので、「分かる?」「ここまで大丈夫?」と丁寧に確認をとりながら教えてあげた。
放課後、酒井先生との打ち合わせ。そこで先程の女の子の話になった。
「そういえば葉山、今日竹井に算数教えてくれてたね。」
「え?はい。」
「会話できた?」
「いえ、こっちから問いかけても一言も発しませんでしたね。でも首は振ってくれたので、それで確認をとりながら教えました。」
「そうかい。あの子、去年からあたしが見てるんだけど、あたしもほとんど声を聞いたことがないのよ。」
「えっ、そうなんですか。」
「そうよ。あたしは授業しながらそんなに丁寧に関わることはできないから、助かるわ。ついでに、あの子に関することが何か分かったら教えてくれるとありがたいし、これからも頼むね。」
「はい!分かりました!」
酒井先生でも、上手く関係を築けていない子がいるんだ。僕は意外に思った。それと同時に、全員は無理でも、竹井さんの中では酒井先生よりも心を許せる存在になろう、この一点だけでも授業名人に勝ってやろうという強かな思いも生まれた。
それからは困っていそうな姿を見かける度、何度もそばについて支援した。反応は相変わらずだが、それでも関わり続けた。顔には出ないけど、きっと頼りになる先生と思っているだろう。心の中では実は打ち解けているはずだ。なんて竹井さんの心の内を都合よく想像し始めていた。
きっと、根気が足りなかったんだ。彼女の実態から状況を読み取らなくちゃいけないのに、反応の変わらない彼女の様子に頑張りきれず、自分を甘やかして好かれているはずだと錯覚した。
そうやって思い込んでいたから。思い込んで、思い上がっていたから。
だから、事件は起こったんだ。