秋川千鶴の場合24
その日の内に水原さんの退職届は受理された。彼女に残った仕事は業務の引き継ぎと有給休暇の消化手続き。それだけだ。まぁ、引き継ぎと言っても彼女が担当していた業務は庶務だけだ。蛍光灯の交換だとか備品の発注。そんな総務部の小間使いみたいなことばかりしかない。
それでも彼女のしていた仕事の割り振りにはそれなりの時間が掛かった。あまり意識していなかったけれど水原さんはかなり小まめに備品の補充や部署内の整理をしてくれていたらしい。きっと彼女の性格なのだろう。その手のことになると彼女は優秀なのだ。蛍光灯のストック数ひとつとっても完璧だと思う。
思えば水原さんが仕事中に止まっていたり、ぼさっとしているところを見たことがない気がする。いつも忙しなく動き回っていた。肉体労働だってお茶くみだって彼女は率先してやった。ただ結果に結びつかなかっただけで真面目に仕事はしていたと思う。いや……。違う。そこには結果がきちんとついていたのだ。ただ、その結果があまりにも自然すぎて気づけなかっただけなのだろう。
不憫な子だ。私は改めてそう思った。一生懸命で真面目で細かいことにも気が回る子なのだ。人間関係の構築が苦手というだけで決して悪い子ではない。水原さんの実直さに比べたら及川さんのほうが明らかに悪い子だとさえ思う。表面的には要領よく他人に取り入り、自分の不手際は極力目立たないようにする。そんな及川さんの方が。
そこまで考えて私は自分自身はどうだっただろうか? そんな自問が浮かんだ。果たして私は真摯に仕事に打ち込めただろうか? 誠実に仕事に向かい合ってこれただろうか?
否。私だって及川さんと同じ……。いや、及川さんよりもずっと多くの汚い部分があると思う。
そう気づいた瞬間。ふいに胸の奥のつっかえが取れたような気がした。そうなのだ。私には確実に悪意がある。他人を軽蔑したり蹴落としたり。もっと子供っぽい言い方をすれば虐めたりしてきたのだ。
それは明らかに正義ではないだろう。どんなに取り繕って醜悪な行いだ。
いつからこうなってしまったのだろう? 昔はこんなではなかったのに。叔母さんと一緒に花屋の二階で暮らしていた頃はもっとずっと……。正しかったはずなのに――。
「秋川さんすいません。ここに判子貰えますか?」
水原さんは私の前に書類を差し出した。私はシャチハタでそこに捺印した。
これが最後の決済印か。そんなことを思った。




