水原雪乃の場合1
ラッコ。食肉目イタチ科ラッコ属に分類される哺乳類。現生種では本種のみでラッコ属を構成する。
北アメリカ大陸から千島列島の沿岸にかけて棲息。毛皮を採取するため乱獲され、日本では二〇世紀初頭にいったん絶滅した。北海道東部で一九八〇年代から再び目撃されるようになり、モユルリ島、霧多布岬では繁殖も確認されている。水族館で飼育もされている――。
そんな水生哺乳類と私が出会ったのは北米でも北海道でもなく東京都武蔵野市のとある貯水池だった――。
水原雪乃という名前。それが私の持っている唯一綺麗なものだ。我ながら大和撫子みたいな名前だと思う。ただ、決して名は体を表さなかったけれど――。
物心つく前から周りの連中は「雪乃は器量が悪い」と私を責め立てた。もっとはっきり言えばブッサイクだなと言われた。
親も姉も事あるごとに私の容姿をからかったものだ。まぁ、あの人達は私にとって他人なので仕方ないとは思う。
父親から聞いた話だと私は彼の妹の子供らしい。……らしいというのはかなり曖昧な表現だけれど、間違いはないはずだ。ただ、生みの母が消え去ってしまったので確かめようがないというだけ。そんな感じ。
私の生みの母は相当ヤンチャだったらしく、私を産み落とすとすぐに蒸発したようだ。置き手紙さえせず、家族に知らせもせず、何も分からない赤ん坊を残して。
そんな状況でもかろうじて生き残れたのはアパートの大家がたまたま私の泣き声を聞きつけたからだそうだ。だから今でもその大家さんには感謝せずにはいられない。(就職してからは年一で菓子折を送っている)
出生がそんな感じだったから私は親戚縁者の鼻つまみ者だった。おそらくは育ての両親だって本当は私のことなど引き取りたくなかったのだろうと思う。
そんな客観的に見て悲惨な状況の中でも私は不思議と嫌だとは感じなかった。両親も姉も祖父母も私を疎んだけれど、それでもまっすぐに育つことが出来た。親がなくても子は育つ。まさに格言通りに――。
仕事帰り。私は井の頭公園近くの貯水池に立ち寄った。一五メートル四方くらいの小さな貯水池。横には公園の簡易トイレを一回り大きくしたような小屋が立っている。そんな場所だ。
「ラッコさーん!」
私が貯水池の真ん中らへんに声を掛けると「チャプン」という水のはねる音が聞こえた。そして厚い毛に覆われた彼が姿を現す。
「おかえり」
ラッコさんはそう言うと黒々しい前足を挙げた。
「ただいま! お魚買ってきたよー」
「おおぉう。ありがとう。いつも悪いねー」
「いいって!」
ああ、ラッコさんだ。と当たり前のことを思った。いや、都内の貯水池にラッコが居ることはおかしいのだけれど。