壊れるしかない友情だった
あの子は、自分の正しさを疑わない。
いつでも、正しいのは自分で、間違っているのは周りにいる誰かや何か――それがあの子の、この世界に対する認識だ。
いい加減つき合いも長いから、私もそれは知っていた。
知っていて……そんなあの子を密かに呆れた目で見ながらも、その歪んだ物の見方を、正すでもなく拒否するでもなく、ただ流してきた。
言ったところで直るような性格でもないし、それで害が生じているわけでもない。
だったら、わざわざ友情の壊れるリスクを負ってまで指摘する必要はない――そう思っていた。
あの子は、相手を気遣ったり、相手に合わせたりすることがない。
ありのまま、素の自分を晒すことが友情の“あるべき姿”とでも言うように、いつでも自分の我を通す。
そして、周りが自分の思い通りに動かないと、あからさまに不機嫌になる。
クラス内での立場が悪くなるようなことを、普通に言ったりやったりするあの子を、気遣って、フォローして、周りの人間との調整をするのは、いつも私の役目だった。
あの子はきっと、そんな私の苦労にさえ気づいていない。
そもそも“正しい”はずの自分の言動に、フォローや言い訳なんて必要ないと思っているような子だったから。
私はたぶん、あの子よりずっと、現実というものが見えている。
たとえ自分が正しかったとしても、その正しさが時に他人を傷つけることを知っている。
どんなに親しい人間だったとしても、その立場や都合を思いやってあげなくては、相手を苦しめ、関係にヒビが入るということを知っている。
他人に嫌われるようなことを平気でやりながら「何で皆、私にイジワルするの」なんて、まるで自分が呪われた、不幸な人間であるかのように嘆くあの子に「悪いのはあんたの方だよ」などと言うこともなく、ただ黙ってそばにいた。
他の子に「なんであんな子と友達してるの」なんて訊かれたこともある。
だけど、答えられるような理由なんて無い。
たまたま同じクラスで、たまたま席が近くて、よく話しているうちに、こうなっていた。
友情の始まりなんて、みんなそんな、偶然的なものなんじゃないかな。
性格が良いからとか、相性が良かったからとか、自分で選んで始めたものじゃない。友達になるのに、特別な理由なんて無い。
何も知らないままに、何となく始まって、絶交するほどのトラブルも何もなかったから、そのまま続いていった……少なくとも、私はそうだった。
学校という閉ざされた世界では、“友達”という存在がどうしても必要だ。
遠足や旅行のグループ分け、休み時間に“ひとり”にならないための居場所――友達がいなければ困る場面が、学校には多過ぎる。
そして女子のグループは、一旦“形”が出来上がると、なかなか途中からの合流はしづらい。
嫌になったからと言って、今までいるグループを離れても、他のグループに受け入れてもらえる保証なんて無い。
だから、多少イヤなことがあっても、我慢して友達を続けている人も多いんじゃないかな、と思う。
私は元々、自己主張が得意な方ではない。
「これを言ったら嫌われてしまうんじゃないか」と気になって、言いたいことの半分も口にできない。
相手に意見をぶつけるより、なりゆきに身を任せて流されている方がラクだと思ってしまう。
だから、あの子の「言いたいことを何でも口にする」性格には、どこか憧れめいた気持ちもあった。
あの子は、私にできないことを簡単にしてしまえる。
私だったら他人を恐れて言えないようなことを、ポンポン口にしてしまえる。
慎重な私が躊躇って、なかなか足を踏み出せないようなことを、あっさり行動に移してしまえる。
そんなあの子に無理矢理引っ張り回されて、私ひとりでは絶対やらなかったようなことを、いくつも実行してきた。
恐がりながら、嫌がりながらも、私の世界はそうやって、あの子によって広げられてきた。
世の中、完全無欠な人間なんていない。
優しくて、おもしろくて、頼りがいのある友達が欲しいと思ったって、そんな人間が私のそばに現れてくれるわけでもない。
誰にだって、良いところがあれば悪いところもあるのだから、悪いところは上手くやり過ごして、良いところは大切にして、友情を維持していけばいい――私は、そんな風に考えて生きてきた。
そんな心の持ち方ひとつで、何もかも上手くやっていけると思っていた。
だけど、何でなのだろう。
いつ頃からか、どうしても、何かが上手く回らなくなっていた。
あの子の意固地さ、我の強さは、ますますエスカレートして、とうとうクラスでの孤立を避けられなくなった。
それまでかろうじて仲の良かった何人かも、ついに私たちから離れていった。
あの子に対する皆の嫌悪は、あの子のそばにいる私にも向かって来た。
元から人目を気にする性質の私には、耐え難い日々だった。
それでも私は、あの子を見捨てられなかった。
それが友情だと思っていたから。私までが見放してしまったら、あの子が完全にひとりぼっちになってしまうと、分かっていたから。
なのに、あの子はそんな私のことも、平気で傷つけてきた。
あの子はこんな状況に追い込まれてさえ、正しいのは自分だと思っていた。
状況を打開しようと私が口にしたアドバイスは、全て否定され、あの子の機嫌を最悪にしただけだった。
あの子は苛立ちやストレスを全部、唯一そばにいる私にぶつけてきた。
そしてあの子以上にストレスを抱えていた私は、いつもなら「仕方ないなぁ」と流せるあの子の言葉を、受け流すことができなくなっていた。
どうして世の中、一度友情を結ぶと、安心して、油断して、その友達を平気で傷つけてくる人が多いんだろう。
何をしても、何を言っても許してくれるのが友達だなんて……そんなわけはないのに。
友達からだって、誰からだって、酷い言葉をぶつけられれば、心が痛い。
非道いことをされれば、その相手を好きだった気持ちも、薄れていく。
友情なんて、永遠のものなんかじゃない。
関係を保つ努力が無ければ、そのうち壊れていってしまうものなのに……。
私は、あの子より少しは“大人”だったから、友情を保つのに努力が必要なことを知っていた。
あの子を傷つけないように、嫌われないように、気を遣ってきた。
だけど、あの子は私との友情を保つために、何かひとつでも努力してくれていただろうか。
人間関係は一人で築くものじゃないから、片方だけの努力では、どうにもならないこともある。
私の努力だけじゃ、あの子との友情を保つのに足りなかった。
あの子の努力が少しも見えない――私だけが心をすり減らしているようなこの状況に、私の心が耐えられなかった。
人の心が離れていくのは、あっと言う間なんだな、と思う。
何年も続いた友情も、冷めてしまえば、初めから何も無かったかのように、もう何も感じられない。
どうしてあの子を友達だと思っていられたのか、不思議に思うほどだ。
愛や友情は目に見えないものだ。
だけど、確実に存在してはいるのだと、今なら分かる。
前は許せていたあの子のワガママや文句が、今ではもう許せない。
今までは見過ごせていた、あの子のささいな言動のひとつひとつが、今は私の心をザワつかせ、不快な気持ちにさせる。
きっとこれが、友情の有無による差なんだ。
きっと私はもう……あの子のことを、友達だとは思えていない。
この期に及んでも、まだ私は、この友情を断ち切ることへの躊躇いがある。
だけどそれはもう、友情からではない。あの子を見捨て、“非道い人間”になるのが嫌なだけだ。
心はもうとっくに、あの子を見放しているのに。
自分が急に、冷酷で醜い、最低な人間になってしまったような気がして、自分自身に絶望する。
だけど、きっともう、この心は偽れない。
あの子と一緒に嫌われた私が、今さらあの子と離れたところで、他のグループに入れてもらえる可能性なんて、ほとんど無いだろう。
でも、そんな“ひとりぼっち”も、あの子との“ふたりぼっち”よりはマシだと思えてしまう。
あの子はきっと、私の心変わりを「裏切り」と言ってなじるだろう。
私がこれまで何を想い、何を耐えてきたか知らないまま、自分一人が悲劇のヒロインのような顔をして、これからも何度でも同じ過ちを繰り返すのだろう。
だけど私はそのことに、もう何の感慨も覚えない。
きっと、これは初めから、壊れるしかない友情だった。
あの子がもっと大人だったら、あるいは、私があの子と同じ性格の“似たもの同士”だったなら、もっと関係は続いたかも知れない。
だけど、そうじゃなかった。
だから……私とあの子の相性では、きっとこれが限界だった。
壊れるしかない友情のために、自分の心を犠牲にしてきた。
壊れるしかない友情でも、守れると思って必死に努力してきた。
だけどもう、諦めよう。
これ以上は、私の心が壊れてしまうから。
今ではもう、疑問にさえ思う。
この友情は、私がここまでして守るような、価値あるものだったのかな。私のこの数年間の努力に、意味なんてあったのかな――と。
だけど、もし数年前の私に訊けるとしたら、きっと即答するだろう。
「大好きな友達との友情を守るのなんて、当たり前だ」と。
今はもう何も感じない友情でも、あの頃の私にとっては、“私の世界”の大半を占めるものだった。
失えないほど大切で、ずっと守っていくつもりだった。
……そのことだけは、嘘じゃないんだ。
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