09・神との再会
フィールドを後にし、二人で控室へ向かう。
「メア様。ジェイド様。初勝利おめでとうございます。勝利ポイントの付与が御座いますので、メア様のみ本部までお出で下さい」
途中で仮面に声をかけられ、芽亜は控え室に向かうジェイドと別れて一人本部とやらに向かった。石造りの長い廊下を歩いて行くと、ほのかに漂う消毒薬の香り。
キョロキョロとする芽亜に仮面は「其方は医務室ですね」と教えてくれた。ふぅん、と相槌を打ちながら何気なく室内に目をやる。そこには先程の対戦相手、ラヴィニアがベッドに横たわる男の手を心配そうに握る姿があった。芽亜は思わず足を止めた。気配に気付いたのか、ラヴィニアが此方を振り返る。
「あ……」
どうしよう。「ごめんなさい」って言うのも何だかおかしい。だけど逃げるのはもっと変。
オロオロしていると、意外にもラヴィニアはニコリと微笑みかけてきた。
芽亜は何故かひどく動揺をした。そして慌ててお辞儀をすると、急いでその場を後にした。
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「此方です」
重たそうな木製の扉を指差すと、案内の仮面はまた元来た道を引き返していった。
芽亜は小さくノックをする。中から「どーぞ」と声が掛かったので扉を開けた。中に入ると部屋の中には燃える様な赤い髪の理知的な顔立ちの青年が座っていた。横には銀の仮面を着けた人物が立っている。護衛だろうか。
「あ、久しぶりー芽亜ちゃん」
髪と同じ紅玉の様な瞳で見つめられて、芽亜は困惑をした。青年に全く見覚えが無い。
「えっと、どちら様ですか?」
「うっわ、寂しい。あんなに色々お話したのに」
赤髪の青年は椅子から立ち上がり、芽亜に近寄るとその顎を掬い上げ、顔をグッと近づけて来る。
「フフ、やっぱり可愛いね。まぁ、うっかりちょっと話してみたいなって思ったばかりに、余計な事アレコレ喋らされちゃったんだけどねー」
――あ、このムカつく喋り方は。
「……カミサマ??」
「正解ー」
クスリと笑いながら机の上を指差す。其処にはあの日の黄金仮面が無造作に転がっていた。
芽亜は顔を捩って神の手から逃れた。神でも何でも、女子高生に気安く触らないで欲しい。
「ジェイド君には首噛まれたり顔舐められたりするの許してるのに、僕は嫌なんだね」
「なっ……!べっ別に……!」
許してる訳じゃないもん。って言うか何で知ってるの?見てたの?もしかしてカミサマだから?
でもそれって……。
「プライバシーの侵害じゃない!」
「別に着替えとかお風呂とかトイレとか覗いてる訳じゃないから良いじゃないか。まぁ、それも全く考えなかったと言ったら嘘になるけど」
「そ、それ以上近寄らないで変態!!」
何という女性の敵。職権乱用にも程がある。
(やだやだ!助けてジェイド!)
神、ゴードは微かに眉を顰めた後、芽亜に向かって手を伸ばした。
「ほら、タブレット出して。ポイント付与するから」
芽亜は出来るだけ近づかない様にしながらタブレットを手渡すと、即、後ろに下がった。
傷つくなぁ、と言いながらゴードはタブレットを操作すると、「はい」と再び芽亜の手に戻す。
「今回は種族的有利があったから、そこの加点は無しだね。ただ開始から10秒経たない内に決着ついたのは初めてだから、そこにかなりの加点があるよ」
ポイント交換の所を見て御覧。そう促され、リボンの掛かった箱のアイコンをクリックする。
ポイント交換の対象としてパラメータアップや耐性の付与、装備品など様々な項目がある。そこはゲームと変わらなかった。芽亜の現在ポイントは1100ポイント。
ポイントの一番低い”治療薬”との交換ですら100P必要である事を考えると、これはかなりの高ポイントと言える。
「これは序盤ではかなり有利だよ」
凄いねぇ、芽亜ちゃん。ニコニコと微笑む神に「ありがとうございました」と事務的にお礼を言うとさっと身を翻らせ、逃げる様にその場を立ち去った。
◇
「やれやれ、嫌われちゃったなぁ」
苦笑するゴードに、ずっと無言で立っていた銀仮面は呆れた様な顔を向けた。
「随分あの少女に入れ込んでらっしゃいますねぇ。他の少女達には仮面で対応なさってるのに」
「えーそんな事無いよ?」
「そんな事あります。仮面もですけど、”僕”って思いっきり素を出してらっしゃるし」
部下に曖昧に笑い返しながらゴードは内心密かに思う。あの少女は説明の時には痛い所を突いてくるし、ちょっと可愛いと思った位で人間に直接接したのが間違いだった、と後悔をしたものだった。
だが、”カミサマには人間の気持ちはわからない”その言葉を聞いた――正確には彼女の心を覗いた――時に、自分でも不思議な程不快感が込み上げて来るのがわかった。
後から気付いた。自分は彼女の言葉に傷付いたのだと。神である自分に不愉快な思いをさせてくれた少女が何となく鼻につくだけだ。好意などある筈がない。
「まさか彼女に肩入れしたりしないでしょうね?それに、パートナーを排除したりなど……」
「する訳ないじゃないかー。”天罰”ですら円卓議会に申請出して長ーい審議を待ってからじゃないと行使出来ないのに。自分の世界の住人を理由なく害したりしたら大変な事になるよ」
大体、ちょっと可愛いなって思っただけだからー。
◇
ヘラヘラ笑うゴードに「左様でございますか」と返しながら銀仮面は内心ため息を吐いた。
この神はまだ年若い。人間で言うと二十歳前後位だろうか。世界を任されたのですら異例の抜擢だった。ゼウスに根回しを素早くしたり、要領は決して悪くないのだが。
ただ、この年若い神は気付いていない。彼は明らかにあの人間の少女に執着を見せている。
”肩入れしない”と言う言葉に嘘は無いだろう。
しかし、神の気を引くと言う事はそれだけで、加護を受けているのと同じ事なのだ。
(何事も起きなければ良いが)
世界神補佐・銀仮面ことティリンガストは本日二度目のため息を大きく吐いた。
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芽亜は本部から出ると同時に猛ダッシュで控室に戻り、転がり込む様に部屋に飛び込む。
そして走って来たままの勢いで、コートの前をだらしなく開けて座っていたジェイドの胸に抱き着き、シャツに顔をギュウギュウと押し付けた。
「お、遅かったな?」
思いがけない芽亜の行動に戸惑いながらも、緩む頬と激しく左右に振られる尻尾の意のままに芽亜をしっかりと抱き締めた。調子にのって顔を上げさせ、顎を一舐めした瞬間ジェイドの顔色が変わる。
――俺以外の匂いがする。誰かが芽亜の顔に触れた。
「お前、本部に行ってたんだよな?」
「……うん」
芽亜は俯いたまま、微かに頷く。
「そこで何してたんだ」
「……ポイント貰ってた」
「メア、何があった」
芽亜の頬を挟み、自分の方を強引に向かせる。
「別に、ちょっとしたセクハラ受けただけだから……」
「セクハラって何だ」
「いきなり顎掴まれて、顔ガーッって近づけられて……」
正直「嫌」と言う訳では無かったけれど、「ジェイドではない」事が不安で仕方がなかった。
全く、神様のくせに妙な事をしないで欲しい。本当はジェイドにすら気を許す訳にはいかないのに。
「……誰だ」
「え、何?」
「誰なんだ?お前に触った奴は」
ジェイドは酷く優しい声で問い掛けて来た。但し目は全く笑っていない。神様だけど。……何て事言える訳が無い。あぁ、余計な事を言わなければ良かった。
「えっと、よく知らない人。でももう平気。特にそれ以外何もされてないから」
芽亜は怒りに逆立つジェイドの耳の毛並みを指先でそっと撫でる。
「ねぇジェイド、もう帰ろう?」
メア、お腹空いちゃった。と甘えた声でねだる。
「ハァ……仕方ないな、わかったよ」
今度は俺も一緒に行くからな。そう一言だけ言うと、ジェイドはそっと芽亜の身体を抱き上げた。
********
闘技場を出た後、氷鱗亭へ向かった二人は昼食を取っていた。
芽亜は揚げた白身魚の野菜餡かけを頼み、ジェイドは、と見ると何とステーキの様なものを頼んでいる。
「えっ!?焼いたお肉なんか大丈夫なの!?」
「別に食えなくはないからな」
好きじゃないだけで。そう言いながら物凄く辛そうな顔で肉の切れ端を噛むジェイドに、芽亜は呆れと申し訳なさを半々に混ぜた顔を向けた。
(これは多分アレかな。”好き嫌いの無い人が好き”って言ったからかなー)
それにしても、こんなにマズそうにお肉食べる男の人初めて見た。
芽亜は溜息を一つ吐いた。
「すいませーん!サラダくださーい!」
大声でサラダを別に注文する。
そして「そんな顔して食べられたらお肉が可哀想」とジェイドの目の前から皿を取り上げた。
◇
肉を放棄し、いつも通りサラダを食べて機嫌の直ったジェイドは優雅にコーヒーを飲んでいる。
芽亜はタブレットを起動させ、ポイント交換の画面を出した。
今回のポイントはどう割り振ろうか。
そう頭を捻りながら画面を何となくスクロールさせて行くと、一番下の左端に黒いリボンがかかった箱のアイコンが目に入った。先程は気付かなかった。何だろう。取りあえずクリックをしてみる。
瞬時に画面が切り替わり『敗戦後、若しくは優勝後に開く事が出来ます』と素っ気ない一文が示された。
これは何なんだろう、と首を傾げるが直ぐに考えるのを止めた。
どちらにしても今は確認が出来ないのだ。”何方かの状況”になってから確認すれば良い。
「そうだ、次の対戦日時はいつだろう」
芽亜はメッセージを確認した。ネリに会いに行きたいし、結構後の日程だと嬉しいけれど。
…………。
「えぇっ!?」
「どうした?」
芽亜は無言でタブレットをジェイドに見せた。画面を覗き込んだジェイドは軽く目を見張ると、やれやれという様に肩を竦めた。
「仕方ないな、取り合えず一度ルードルートに戻るか」
”花と剣”の期間中、出場者とそのパートナーは蒸気バスや蒸気列車、飛行船に加え普段は高額な転移魔法陣までもが無料で使える。飛空艇はルードルートに停泊中でレン達が仕事に使う為、来る時も蒸気列車を使って来た。ジェイドはポケットから古めかしい懐中時計を取り出し、時間を確認する。
「列車で帰ってる時間は無いな。じゃあ郵便局に行くか」
急がないと窓口が閉まる、とブツブツ言うジェイドに「何で郵便局?」と純粋な疑問をぶつける。
「はぁ!?お前どれだけ田舎に住んでたんだよ。郵便局に行かないと転移魔法陣が使えないだろ」
そんな事言ったって。知らないもん、そんなの。密かにむくれる芽亜を連れて店から出たジェイドは、はた、と気付く。
「って事はお前、転移魔法陣使った事無いのか」
「無いけど?」
チッ、と舌打ちをしながらジェイドはいきなり方向転換をすると芽亜の手を掴んだままグイグイと歩く。
「ちょっと、何処行くの?」
「薬局」
今度は薬局?
何で?と芽亜は不思議そうな顔をする。
「転移魔法は慣れてないと酔うんだよ。俺は慣れてるから平気だけどな。お前、係員の前で吐きたくないだろ?」
そう言いながら、ジェイドは芽亜の頬をくすぐる様に撫でた。
だから酔い止め買ってやるから。
サラリと言われたその言葉に、芽亜は立ち止まりイヤイヤと首を振った。
「ね、ねぇ、じゃあ列車で帰ろうよ」
芽亜は尋常じゃない程酔いやすいのだ。
「列車だと時間がかかり過ぎる。お前また風呂がどうとか着替えがどうとかごちゃごちゃ言うし、支度に時間もかかるだろ?転移魔法の方が断然早い」
「でも……」
愚図る芽亜の頭をくしゃくしゃと撫でるとジェイドは困った様に笑った。
「仕方ないだろ?次戦は”明日”なんだから」
――まるで小さな子供に言い聞かせる様に言うと、ジェイドは芽亜の手を引き再び足早に歩き出した。