07・白いローブの女
「うっわぁ……凄い……」
ドックを後にし、レンに簡単に書いて貰った地図を持ってルードルートの街に繰り出した芽亜は、その人の多さに圧倒されていた。
街並みも、建物の造りなどはかなり古風だが占いの館の様なものがあったり銃火器と剣や槍が一緒に売られていたりする。近代型ファンタジーと言うか本当にゲームの世界なんだなぁ、と感心をした。
――実際には”現実”がゲームになっていただけなのでその表現は妥当では無いのだが。
芽亜はまだ、ゲーム内でルードルートの街を目にした事は無い。
レベルが上がると行ける場所が増えて来るので100レベル以下の芽亜が知らないだけかもしれない。
「先ずは下着を買いたい所だけど……」
流石にレンも女性の下着ショップまでは把握していない。洋服屋で聞くのが一番だろう。
地図を見ながら歩き出そうとした時「ねぇ、そこのアナタ」と何処からか声をかけられた。
(え、私?)
芽亜はそうっと周りを見渡した。自分が話かけられた訳ではないのなら、下手に反応するとこの上なく恥ずかしい事になるからだ。
「アナタよ。金の靴を履いた可愛いお嬢さん」
足元を見る。この辺りで金の靴を履いているのは自分だけ。
ゆっくりと声がした方向に顔を向ける。
「こっちこっち」
其処には先程目にした占いの館。そしてその店の中から芽亜に向かって手招きをする、純白のローブで全身をすっぽりと覆った、怪しい女性の姿があった。
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どうしよう。この上なく怪しい。変な壺とか買わされたらどうしよう。
芽亜は聞こえない振りをして立ち去るか否か迷ったが、結局本当の事を言った。
「すいません私、早くお買い物済ませて帰らないといけなくて」
「アナタ、”花と剣”の出場者でしょ?」
そう言いながら怪しいローブ女は「大丈夫。何も売りつけたりしないから。ともかく、奥に入って?」と優しく言った。
(あれ、何してるんだろう。私)
芽亜は大人しく占い屋に入って行く自分に驚く。でも、何故だか不思議とローブ女に恐怖は感じなかった。何だろう。何か――
女は芽亜が付いて来るのを確認すると、パワーストーンと思しき石が売られているコーナーの奥に向かい、ビロードのカーテンをシャッと開けた。
「どうぞ座って」
カーテンの向こう側には、小さなテーブルと2脚の椅子が向かい合わせに置かれている。
普段はここで占いを行っているのだろう。
椅子に座ると、女がガラスのカップに良い香りのするお茶を入れてくれ、芽亜の前に置いた。
お礼を言ってから、先程から抱いていた疑問を口にする。
「あの、どうして私が出場者だと……」
向かい側に座った女は「それしか考えられないから」とあっさり言う。
「それしか考えられない……?」
「うん」
女は頷くと、フードをバサリと後ろへやった。
下から現れたのは銀色の髪のまだ若い美しい女性だった。胸元に灰の様なものが入った硝子の小瓶をぶら下げている。そしてよく見ると、右目は黒く左目は茶色い。
(オッドアイだ。でも黒と茶って何か地味……)
「今ちょっと失礼な事思ったでしょ」
女は悪戯っぽく笑って自分の眼を指差す。
「いえいえいえ!せっかくオッドアイなのに黒と茶色ってちょっと地味だなって思っただけで……あ、ち、違います違います!」
芽亜はどっと汗を流しながらバタバタと手を振った。女は「良いのよ、自分でもそう思ってるし」と声を出して笑った。
「これは家族の目の色なの」
女は愛し気に両目を細めた。家族の目の色、とはどういう意味だろう。考えない様にしていたが、両親の顔をつい思い浮かべてしまう。芽亜の父の目は黒。母は茶色で。この女性の家族も、同じなのだろうか。ううん、今考えては駄目。両親を思うのは元の世界に、家に帰ってからにしなければ。
「あの、それで私に何か用でしょうか。ちょっとそれ程時間が取れなくって……」
「ふむ。で、どうしてそんなに時間が無いの?」
芽亜はザッと経緯を説明した。ともかく、早く買い物に行かないといけないのだ。
「成程。でも今後の為に私の話を聞いておいた方が良いわ。そうね、ストレスで一時期買い物依存症だったから使ってない洋服類が山の様にあるの。勿論下着もね。アナタと私は体形も似てるから、後で好きなの持って行って良いわよ」
どう?これなら時間あるでしょ?
そう笑う女は「お茶のお代わりを淹れるわ」と立ち上がった。
********
「終わったよ、お疲れ様ー」
書類をピラピラと振りながら歩いて来るレンを見やり、ジェイドは肩の力を抜いた。仲間以外とはあまり関わりを持たない自分には苦痛の一時だった。何時も手続きや挨拶周りに同行するのはカータレットかクリストルの筈なのに、何故今回に限って。
仕事の内容によっては他のチームの連中と手を組む事だってあるしその反対もある。
レンは積極的に他と交流を持ち、さり気なく情報を手に入れたり逆に与えたりといった努力を怠らない。”銀の鴉”が一線を画した存在であるのは、構成員の実力は元より、そんなレンの努力の結果でもあるのだ。
「ねー、メアちゃんはお部屋でゆっくりしてるし、ちょっと飲みに行こうよ」
ペッタリとしたジェイドの三角耳と萎れた尻尾を見て、レンは気を遣う。
と言うよりも、「メアの気配がしない」と騒ぐジェイドを彼女の部屋から遠ざける為でもある。
(は~、面倒くさい)
レンは笑顔を崩さないまま、内心大きくため息を吐いた。
********
占い屋は二階が居住区になっているらしい。
「ここじゃ落ち着かないから上に行きましょうか」
女性はそう言い、二階に案内してくれた。お茶のお代わりと共にクッキーを皿に盛り付け持って来てくれた女性は脇に地図の様なものを挟んでいる。
「じゃあ先ず、この国の事を教えてあげるわね」
そう言うと、テーブルに大きな世界地図を広げた。
「私達の暮らすこの国の名前は”リサリア王国”ゲームでは”とある王国”としか表記されてないわよね。そしてアナタが最初に居たゲーム上”闘技場のある町”は”カルナック”と言うの。それから――」
「待って!待って下さい!」
「あら、なぁに?」
うっかり聞き流しそうになったけど、今この人サラッととんでもないフレーズ言った!
「ゲ、ゲーム上って……!」
知ってるの!?この世界がアレな事を!?
「あらごめんなさい。肝心な事言ってなかったわ。私”元出場者”なの」
残念な事に、決勝で負けちゃったんだけどね。そう朗らかに笑う女を、芽亜は呆然と見つめた。
◇
「その辺りはまた今度説明するわ。今は現在アナタが暮らす、と言うか当分暮らす世界について説明するわね。で、」
「パートナーさんは今お留守なんですか?」
”元出場者”ならば、パートナーが共に居る筈なのだが、その姿は見えない。今自分が単独行動をしている様にパートナーも外出中なのかもしれないが、ただ、何となくここには他に人が住んでいる気配が感じられなかった。
「あぁ、そうね、留守と言うか……」
女は胸の小瓶を指差した。
「彼は此処」
「こ、此処って……」
「”花と剣”はその時によって選択出来る種族が違うみたいでね?私の時には”吸血鬼”が選択出来たの。だから私は吸血鬼をパートナー種族に選んだ。そしてこの世界に呼ばれた。で、彼を灰にした。以上」
「い、以上……?」
女は悲し気に笑い、再び地図の上に指を伸ばした。
「さぁ、続けるわね。この街はルードルート。親愛度が高くなると行ける”薔薇園”あるでしょ?あれ、このルードルートにあるの。”花と剣”は恋愛要素に重きを置かれてるから、街や都市じゃなくてピンポイントで”場所”に行く事が多かったわよね。せっかくだから色々行ってみて。そうそう、王都”シンカウル”はとても綺麗な都市よ。戦いの合間にでも行ってらっしゃい」
――小瓶を弄りながら話すその横顔に、彼女は”灰の彼”と行った事があるのだろうか、とふと思った。
◇
「あら?何か音が聞こえない?」
「え?」
我に返って周りを見渡すが、芽亜の耳には何も聞こえない。
「それじゃない?メアちゃんの持ってる袋」
女が支度金袋を指差す。
「あぁ、通信機が鳴ってるんだ」
普通に通信機に手を伸ばした芽亜の身体が、ビキリと強張った。
しまった!今何時!?慌てて室内の時計を見る。時計の針は、12時過ぎを指していた。
「やばっ!!2時間どころか3時間近く経ってる!」
慌てて通信機を取り出しオンにする。
「レンさん!ごめんなさ、<何処に居るんだメア!!>
凄まじい怒声に思わず通信機を取り落としそうになる。レンさん、誤魔化してくれるって言ったのにー!
”2時間でもキツい”と注意を受けた事などすっかり忘れ、胸中でレンを罵る。
<勝手に動くなと言っただろうが!早く何処に居るか言え!>
怒り狂っているジェイドには説明も言い訳もする隙が無い。芽亜は無言でブチッと電源をオフにした。
「あらあら。良いの?電源落としちゃって」
「もう良いです。どうせ帰ったら怒られるんだし」
女は小首を傾げた。
「”レン”って、”銀の鴉”の?」
「はい。あ、ご存知なんですね。ひょっとしてお知り合いとか?」
驚いた様に言う芽亜に対し、ううん、と首を横に振る。
「だって有名だもん。え、じゃあアナタのパートナーはレンなの?」
「いえいえ!私のパートナーはジェイドです。今、すっごい怒鳴り散らしてた人」
「あー!”根暗のジェイド”!」
――何、その格好悪い通り名。って言うか最早ただの悪口なのでは。
やだ、ウケるー!と腹を抱えて笑う女に多少ムッとする。
「別に良いじゃないですか。”陰気”の特殊スキルが欲しかったんです!」
女はごめん、と謝りながらも涙を流して笑う。
「そっか。”銀の鴉”はアナタから始まったのね。フフ、ついこういう風に考えちゃうから、普段は”連れて来られた”女の子達に声かけたりなんかしないんだけど」と呟いた。
「どうして私には声かけたんですか?」
「アナタは特別だから」
サラリと言う女に、特別ってどう言う意味……と言いかける。女はその芽亜を遮る様に「あ!」と声を出しポンと手を叩いた。
「そうだ!早くお洋服選びましょうか。ジェイドが怒ってるんでしょ?彼らに睨まれたらこの街で商売しづらくなっちゃうわ、さぁ急ぎましょう!」
早口で言う女にグイグイ手を引かれ、芽亜は引き摺られる様にして洋服部屋と向かった。
◇
大量の衣類に加えドライヤーや化粧品、鞄や靴まで貰った、と言うか半ば押し付けられた芽亜は女にお礼を言った。そこでこの期に及んで未だ名前を聞いていなかった事に気付いた。
「あの、今更なんですがお名前を伺ってなくて……」
芽亜は申し訳なさそうな顔をした。何て失礼だったんだろう、と胸中で反省もしていた。
「あーそうね、私名乗ってなかったわね。私はネリ。占い師のネリよ、よろしくねメアちゃん」
「あれ?私名前言いましたっけ?」
名乗った覚えの無い芽亜は少し戸惑う。
「ほら、さっきジェイドが凄く怒ってたでしょ?その時に聞こえたの」
――その説明にふと違和感を覚えたが、微笑むネリを見て直ぐにその考えを振り払った。
「メアちゃん、先ずは初戦を頑張ってね。それからもう一つ」
ネリは優しく芽亜の頭を撫でた。
「此処は現実。ゲームじゃないの。パートナーは”キャラクター”じゃなくて”人”なの。それを絶対に忘れては駄目」
芽亜は困惑しながらも、その言葉に素直に頷いた。
「また会いに来ても良いですか?」
「勿論よ!出来たら対戦が終わる度に来てくれると嬉しいわ。また色々お話してあげるから」
嬉しそうに言うネリに笑顔で手を振りながら、芽亜は占いの館を後にした。
********
ネリは胸元の小瓶を強く握ると目を閉じ、”あの時”の事を思い返す。
――自分を見つめる瞳には悲しみと絶望、そして揺るぎない愛情が宿っていた。それでも自分は、その姿を滑稽としか思わなかった。造られた感情で愛を囁く、哀れな人形だと蔑んですらいた。
太陽が、昇る。陽光に晒され、灰燼に帰す姿を見続けるのは流石に忍びなく、ネリはくるりと踵を返すとそのまま固く両目を閉じた。
――何度も聞こえる、自分の名前を呼ぶ声。今なら分かる。自分がどれ程愚かだったのかを。
瓶の中の灰を見つめる。貴方の名前を呼びたい。でも私にはもう、その資格は無い。ネリはフードを再び深く被り直した。日の光は嫌いだ。彼の命を奪い、そして私の消せない恥を照らし出すから。
◇
「芽亜……どうか自分を見失なわないで……」
小瓶を抱き、祈る様に呟くネリの声は、誰にも聞こえる事はなかった。