06・ルードルートへ
コンコン
――ドアをノックする音で、芽亜はゆっくりと目を覚ました。
今、何時?緩慢に身体を起こすと、ベッドの縁に腰掛け、ぼんやりと周囲を見渡す。芽亜は寝起きがあまり良くない。動き出すまでに何時もかなりの時間がかかる。
コンコン
また、ドアがノックされる音。
「ん……お母さん、目覚まし鳴らなかった時は起こしてって言ったじゃん……」
扉の外がしん……と静まり返る。
「メア朝ご飯いらないからねー、それから制服にアイロン掛けておいてくれたー?」
母の返事は帰って来ない。その事に苛立ち「もう~、お母さん?聞いてる?」と言いかけた所で芽亜はハッと我に返った。
――あぁ、ここは。
お父さんもお母さんも居ない場所だった。芽亜は扉の外に向かって「ごめんなさい、今起きた所なんです」と呼び掛けた。
失礼だとは思ったが、下着姿を晒す訳には断じていかない。
「メア。起きたか?」外からジェイドの声がした。
「ジェイド?ごめんね、寝坊しちゃって。これからシャワー浴びても良い?」
自分が遅いのか、ジェイドが早いのか時計が無いから良く分からない。
「あぁ、急がなくて良い。準備出来たら食堂に来てくれ。部屋を出て右に進んだ先の階段を降りたら直ぐだから」
「わかった、ありがとう」
ジェイドの足音が遠ざかるのを聞き届けると、芽亜はシャワー室に入っていった。
********
ジェイドは食堂に向かって歩きながら、先程の芽亜の様子を思い浮かべていた。部屋の中から聞こえた、子供っぽい甘えた様な声。
寝起きで意識が混濁していたのか、『お母さん』と何度も母に話掛けていた。事情は良く分からないが、国から離れ寂しい思いをしているであろう芽亜に対して可哀想に思う気持ちも勿論あるが、それよりももっと強く感じるのは激しい嫉妬の感情だった。
(チッ、何だよ!俺には、あんな甘えた声出さないくせに!)
メアと自分は昨日会ったばかり、と言う事実も忘れ、苛々と廊下を歩くジェイド。そこに「朝っぱらから荒れてるねぇ」とのんびりとした声がかかる。
「うるせぇよ、レン」と声のする方を睨み付けると「わぁ、怖い怖い」と水色の髪の小柄な男がおどけた表情で肩を竦めた。
「メアちゃん、どうだった?」
――昨夜、芽亜を休ませてから仲間達の元へ行き、芽亜の事を含め大体の説明をした。対戦日時によっては傭兵稼業を休まないといけない事もあり、仲間達に了解を得る必要があったからだ。芽亜が恐らく誘拐されて来たのだろうと話した時には皆が一様に眉を顰めた。
妹の居るアイカーなどは自分の事の様に憤っていた位だった。
「あぁ、まぁ」
「何だよ、”まぁ”って」
「寝惚けて何度も母親に話掛けてたよ」
「そっか……」
レンは頭をガリガリと掻きながら「こっちの事は気にしなくて良いよ。出来るだけメアちゃんの傍に居てあげなよ」と言うとジェイドの肩を軽く叩いた。そして「食堂で待ってるから」と芽亜の部屋を指差すとさっさと先に歩いて行った。
「傍に居ろっつったってなぁ……」
芽亜はシャワーを浴びると言っていたし、部屋に入る訳にもいかないだろう。ジェイドはどうしたものか、と頭を悩ませた。
********
シャワーを浴び終わり、部屋に戻った芽亜は新しい下着を身に着けながら(昨日と同じ服着て皆の前に出るの嫌だなぁ)と少女らしい悩みに襲われていた。やっぱり宿に泊まれば良かった。女性スタッフも居るだろうし、そもそもアメニティも揃ってたかもしれないのに。
そうブツブツ言いながらベッド脇に目を向けた芽亜は、目を見張った。
だらしないと思いつつも、寝る寸前にベッド脇に脱ぎ捨てたままにした洋服達。
緑のリボンタイ付きブラウスは黒に、黒のプリーツスカートは緑に、銀色のアンクルストラップヒールは金色に、それぞれ色を変えていた。
「何て微妙な気遣いなんだろう」
リバーシブル感覚なんだろうか。もしや、と思い枕元を見ると、銀細工の髪留めも金色に変わっていた。
あの銀のヒールも銀の髪留めも、結構気に入っていたのに。
(まぁ、良いか)
これで皆の前に同じ服を着て出て行かなくて済む。芽亜は気持ちを切り替え、さっさと着替えを始めた。
◇
「……メア」
「きゃあっ!」
食堂に行こうと廊下に出た途端、急に声を掛けられ芽亜は飛び上がった。
先に食堂へ向かった筈のジェイドが廊下の壁にもたれ「悪い。驚かせたか?」と片手を挙げる。
「ジェイド。先に行ったんじゃなかったの?」
「あぁいや、ちょっと一度部屋に戻ったんだよ」
何となく”芽亜の傍にいてやろうと思って”とは言い出せず、適当に誤魔化す。歩きながら他愛ない話をしている内に、目指す食堂へと到着した。
「中に皆が居る。昨日紹介しとけば良かったんだけどな、お前が疲れてるみたいだったから」
そう言うとジェイドは扉を開け、中に通してくれた。
――騒がしく会話をしていた数人の男達が一気に静まり返り、一斉に此方を注視して来る。芽亜は身体を強張らせながらも「おはようございます……」と挨拶をした。
「おはようメアちゃん」
長テーブルの中央から小柄な男が声を掛けて来た。確かリーダーの、レン。
「丁度朝ご飯来たトコだから。メアちゃんも座って?食事しながら俺達の紹介するから」
レンに促され、ジェイドの隣席に着いた芽亜はテーブルの上を見る。
フワフワのオムレツに焼き立てのパン。瑞々しい野菜がたっぷりのサラダにミルク。
「わぁ、美味しそう……!」
思わず歓声を上げる芽亜にレンは優しい笑顔を向ける。
「それは良かった。ウチは人数も多いけどそれ以上に食事にこだわり強い奴や偏食の奴が多いからねー、料理人をわざわざ雇ってるんだよ」
そう言うと、レンは微かに肩を竦めた。
その言葉を聞き、そっと隣を見るとジェイドの前には山盛りのサラダと果物の入ったヨーグルト、それに小さいパンが一つ。
「ジ、ジェイド、それだけしか食べないの?」
芽亜が驚いていると、奥から料理人と思しき男が出てきてもう一つ皿をジェイドの前に置いた。
(ゆ、茹でた鳥のササミ……!)
何と言う女子力の高さ。むしろちょっと引く。
真面目な顔でサラダに取り組むジェイドから視線を外し、レンに目を向ける。どうぞ食べて、と目線で促して来るレンに頷きを返し、芽亜はオムレツをフォークで掬いながらレンのメンバー紹介に耳を傾けた。
◇
”銀の鴉”は構成員は数十人にもなる大所帯だが所謂幹部クラスは今この食堂に集まっている7人だけ。
水色の髪の小柄な男は既に紹介を受けた団長のレン。妖精族とのハーフだと言う。
見かけからは全く想像つかないが、団長を務めてる以上、実力は相当なものなのだろう。気安い会話をしているが、メンバーの目にはレンに向ける確固たる信頼が見て取れた。
副団長は昆虫族・蟷螂型のアイカー。
初対面の時は少し怖かったが、妹がいるらしく芽亜をとても気遣ってくれた。
爬虫類種・大蛇型のクリストル。下半身が赤銅色の鱗に覆われた蛇である。
少々目つきが鋭いが、気の良いお兄さんと言った感じ。
その弟サフィール。鱗の色は青銅色。
言葉遣いは粗野だが、笑顔がとても可愛らしい。
「よろしくな、お嬢」と人懐こく挨拶をしてくれた。
紫色の髪の豹型獣人、テトラ。
横の髪を複雑に編み込んでいて、とってもお洒落。
同じ獣人でも、ジェイドよりも洗練された雰囲気を持っている。
幹部の中で唯一の純粋な人間族のカータレット。
長い髪を後ろで縛り、全員の中で最も背が高い。柔和な笑顔を浮かべていて、芽亜は密かに(お父さんみたい)と思っていた。
近接戦闘担当なのがアイカー・サフィール・クリストルの3名で魔法担当がテトラとカータレット。
レンとジェイドは”両方担当”と言う事らしい。
個性豊かな面々に気圧されながらも、芽亜も改めて自己紹介をした。
「なぁなぁ、お嬢はどういう男がタイプなの?」
サフィールが尾を床にビタビタ打ち付けながら無邪気に聞いて来る。
普段ならその手の質問には眉を顰める所だが、当分お世話になる手前、邪険にも出来ない。
――うーん、ここはやっぱり。「そうですね。好き嫌いしない人が良いです」
澄ました顔で言う芽亜の横で、ジェイドがビキリと動きを固めてしまっていた。
◇
食事が終わると芽亜は隙を見計らってレンの所に近寄っていった。
ジェイドはテトラと何やら話していて、此方の様子には気付いていない。
「メアちゃん?どうしたの?」
「すいません、ルードルートには後どれ位で着きますか?」
「そうだね、後20分位で着くかな。何かあった?」
芽亜はそこで街に着いたら買い物に行きたい、と伝えた。場所さえ教えて貰えれば一人で行きたい事も。
「絶対にご迷惑お掛けしない様にしますから!」
「ジェイドが心配するよ?何で一人で行きたいの?」
困惑した様な顔のレンを見て芽亜は迷う。
やっぱり理由言わなきゃ駄目かなぁ。
「お洋服とかまだ良いんですけど、その、下着類とかも買いたいしそういうの試着してから買いたいので……」
真っ赤な顔で俯いた芽亜に「あ、あぁそうか、そうだね。うん。ごめんね気付かなくて」ここには女の子いないから……と慌てるレン。
「分かった。とは言えジェイドにはキミの傍に居る様に言っちゃったからなぁ。うん、まぁボクが何とか上手く誤魔化しておくよ。その代わりコレ持って行って」
レンはそう言い、小型の無線機を渡して来た。
「何かあったらコレで連絡して。後、2時間位で帰って来てくれるかな。そう長く誤魔化せないと思うし」
2時間かぁ。短い、正直。
芽亜の不満そうな気持ちを見てとったのか、レンは苦笑をする。
「あのね、2時間でも結構な苦労なんだよ?いくらタイプでも出会ったその日に女の子にキスするなんてジェイドの性格からして有り得ないんだから。それ位キミに惚れてるって事で、」
「ちょ、ちょっと待って下さい!私キスなんてされてません!」
いきなり何を言い出すんだこの人は。
レンは小首を傾げながら「?されたでしょ?だってホラ」と芽亜の首を指差した。芽亜は慌てて食堂の鏡で首筋を見る。薄っすらと紅くなっている肌。点状に少し濃い部分があるのは牙が触れていた所だろうか。
「違います!その、ちょっと噛まれただけで……!」
「うん。だからされたんでしょ?」
キス。と真顔で言われ、芽亜は混乱してしまった。
「レン、メアちゃんは東の出身なんだろ?きちんと説明してあげなきゃ分からないぜ?」
カータレットが横から割り込み、混乱する芽亜を宥める様に微笑みかけてくれた。
「あー、成程。ごめんねメアちゃん。さっきから気が利かなくって。あのね、狼型とか豹型みたいに牙のある獣人は唇をくっ付けるキスはしないんだよ。相手の口の中や舌を傷つけちゃうからね。彼らのキスは相手の首を噛む事なんだ」
勿論、所謂”普通”のキスも出来なくはないけど、大体嫌がるよね。
――無邪気な笑顔で、恥ずかしい解説をサラリとされ、またそれをニコニコ見守られると言う羞恥プレイに耐えると、芽亜は急いで自室に逃げ帰った。
********
芽亜が最初に居た町には無かったが、ここルードルートには他の傭兵団やハンター達がそれぞれの飛空艇を停めるドックがある。”銀の鴉”は3番ドック。
(ここに2時間後に帰ってくれば良いんだよね)
レンから先程<ジェイドには補給の手続きと他の傭兵連中への顔出しに同行を頼んだよ。凄い嫌がってたけどねー。キミは部屋で休んでるって言ってあるから>と通信が入った。
芽亜は通信を受けると同時に行動を起こし、今は無事に飛空艇の外に居た。
船の脇腹には大きく”銀の鴉”の紋章が描かれている。瓦礫の上で大きく翼を広げる銀色の鴉。
髑髏や薔薇、炎や竜を組み合わせた様な紋章が多い中、それは一際異色で逆にそれが良く目を引いた。
これなら間違った船にうっかり戻る、なんて下らないミスを冒す事も無いだろう。
芽亜は、クルリと踵を返すとルードルートの街に一人、飛び出して行った。