04・パートナー
コンコン
何処となく遠慮がちに響くノックの音に、芽亜はビクリと身体を震わせた。
「だ、誰……?」
扉の向こうから返事は返って来ない。どうしよう、と迷った後、芽亜は勇気を出して扉に近づいていった。震える手で、そっと扉を開いて行く。
ギイィ……と音を立ててゆっくり開いていく扉の向こう側には、戸惑った様な顔の獣人の男が立っていた。
(ジェイド、だ……!)
先程の神との話である程度予想はしていたが、自分の造ったキャラクターが目の前に実体化しているという事実にはやはり驚く。
「お、お前が俺のパートナーなのか?」
片手を後頭部に回し、黒髪をガシガシと掻きながら此方を見下ろして来るジェイドに芽亜は無言で頷いた。ゲームでは声だけは設定が無いのだ。初めて聞くその声に、芽亜は思わず感動した。
「……チッ、ガキかよ」
それに、眉を顰めてぶっきら棒に言う眼前の獣人の男に、失礼な事を言われたとは全く思わなかった。
――言葉とは裏腹に、黒い尾がパタパタと左右に振られていたからだ。
(わ、わかりやすい……)
「初めまして。あの、私は行平 芽亜と言います。これからよろしくお願いします」
芽亜は丁寧に頭を下げて挨拶をした。
「俺は、ジェイド、だ」
そっぽを向きながらボソボソと言うジェイドに(知ってる)と思いながらもニッコリと笑顔を返す。
「はい、ジェイドさんですね。よろしくお願いします」
そのまま、ジェイドのじっと顔を見つめる。うーん、我ながら完璧な造形。髪質も髪型も身長も、整っていながらも甘過ぎない精悍な顔立ちも。
「な、何だよ」
ジェイドは少し引き気味だ。芽亜は慌てて正直に訴えた。
「いえいえ、カッコいいなぁと思いまして」
まぁそれもそうだけどね。だって私が造ったんだもの。そう自画自賛する芽亜の内心とは裏腹に、ジェイドは顔を真っ赤に染め、尻尾は更に激しく振られる。
(やだ……可愛いかも)
――彼の事は”理想の彼氏”ではなく”理想のペット”として思えば良いのかもしれない。
その考えに一抹の物悲しさを覚えながら、ジェイドの顔を見つめ、ふと気付く。
右耳に填められている緑色のピアス。見た所、何かの宝石だろうか。
(私、耳にアクセサリーなんて設定してない)
「あの、ジェイドさん。ちょっと屈んで貰えませんか?」
芽亜の身長だとジェイドの耳まで手が届かない。
上目遣いで頼み込むと、ジェイドは顔を赤く染めたまま、口中でブツブツ呟きながらも芽亜の前に膝まづいてくれた。
礼を言い、そっと右耳に触れる。ジェイドの身体がビクリと動く。耳は動物にとって敏感な所だから痛いか擽ったいのだろう。
ごめんなさい、と思いつつピアスをじっと観察してみた。
ツルリとした質感ではなく、表面は不揃いにデコボコしているが透明度の高い、硝子ではなく石。
母の持つエメラルドによく似ていた。ジェイドの瞳の色にピッタリ合い、敢えて荒く研磨してある所など彼の雰囲気にも合っているけれど。
何となく、この耳輪は嫌な雰囲気を纏っている感じがする。
「これ、外しても良いですか?」
そう言うと、ジェイドはとんでもない、と言う風に芽亜の手を振りほどき荒々しく立ち上がった。
「嫌だ。これは形見なんだよ、親父の」
耳と尾の毛が逆立っている。余程嫌なのだろう。
芽亜はジェイドの親については当然作成してはいない。これが神が言っていた”歴史が造られる”と言う事なのだろうか。
「……ごめんなさい」
一先ず謝罪し、ジェイドの耳から手を離すと彼から少し距離を取る。
「いや、別に」
ジェイドは立ち上がりながら、離れて行く芽亜に一瞬寂しげな眼を向けた。
◇
覚えの無いピアスの件は気にはなるものの、まだこの世界に踏み出してもいない内から疑心暗鬼に囚われていては身が保たない。
(私は帰るんだから。絶対に)
ふと、神の言葉を思い返す。
『この世界で”花と剣”を実際に行っていただきます』
それは分かったのだが、このパートナーは何処まで理解をしているのだろうか。
ゲームでは、ただライバル達やイベントで魔物と戦いながらキャラと親睦を深めていくだけで、勝ち残り戦の体を成してはいない。
彼は現状、どういうつもりでいるのだろう。
芽亜はジェイドの方を向いた。ジェイドも芽亜の方を向き、意外にも向こうから声を掛けて来た。
「お前は、もし勝ち残ったら何を願うつもりなんだ?」
――ここは本当の事を言うべきなのだろうか。迷う。
勿論、彼自身が”造られた存在”である事など死んでも口には出来ない。
でも、目的を誤魔化すのは失礼な気がする。彼は芽亜の為に戦って怪我をするかもしれないのだから。
「私、家に帰りたいんです」
「家?」
「はい。私の家はすごく遠い所にあって、この国じゃないんです。私はどうしても家に帰りたくて」
ジェイドの瞳の温度がスッと下がる。芽亜は思わず身体を竦めた。
(流石に正直に言い過ぎたかしら。”家に帰りたい”程度で戦わせるのかって思うよね)
「……お前、誘拐でもされたのか?」
「いえ、違います。あ、違わないかもなんですけど」
どう言ったものだろう。芽亜が思案していると、頭をポンポンと優しく撫でられた。
驚いて顔を上げると、ジェイドが優しい顔で見下ろしている。
「あ、あの」
「わざわざ願わなければ帰れないって事は、何か事情があるんだろ?分かった。俺が必ずお前を家に帰してやるよ」
「えっ!?」
良いの?そんな簡単に引き受けても。
「お前の見た目からして、東の国出身だな。まぁ確かに遠いが連れて帰ってやれない事もない」
いえ、そうじゃなくて。そう言いかけた芽亜は、少し考えた後に言葉をグッと飲み込んだ。
どうせ利用するのならば、このまま誤解していて貰おう。
大丈夫、私が元の世界に還っても、彼の人生はこの世界で続くんだから。
――芽亜は、すっかり忘れてしまっていた。
神の『”花”を失った”剣”は壊れてしまいます』と言う言葉を。
********
芽亜はジェイドと共に部屋を出て外に向かった。
歩きながらタブレットを起動させると、”花と剣”のトップページが表示される。
各項目の中から、”パートナー”を選択。画面にジェイドのステータスが現れた。
<レベル92・特殊スキル”嫉妬”>
プレイしてた時のままか。
更に見ていく内に”メッセージ”の項目が点滅をしているのに気付いた。
クリックをすると<メア&ジェイド様。初戦のご連絡を致します。5日後の午前10時に闘技場正面へお越し下さい。準備資金は出口に居る係の者からお受け取り下さい>とメールが入っていた。
5日後か。
それまでに宿を見つけないと。きっとこの戦いは長くなる。
芽亜には当然土地勘が無い。世界の住人であるジェイドに聞くのが早いだろう。
「ジェイドさん。この街で何処か泊まれる所ご存知ないですか?出来れば長期で泊まれてお買い物にも便利な所だと嬉しいんですけど……」
後、ジェイドさんとの待ち合わせにも不便がない場所だと尚良いです。
そう付け加えると、ジェイドがキョトンとした顔で此方を見た。
「何を言ってる?」
今度は芽亜がキョトンとする。
「え、だって……。私、今夜泊まる所無いんですよ?」
「俺の所に来れば良いだろ」
芽亜は酷く動揺した。未だに彼氏もいないのに、いきなり男の人と一緒の部屋に住むの!?
「い、いえ、あの……」
「俺は傭兵団に入ってるんだ。そこの飛空艇なら部屋が空いてるから」
”銀の鴉”は専用の飛空艇なんか持ってるんだ。
って言うかタブレット見ても驚かなかった様子から薄々察してはいたけど、案外文明発達してるのね。でも……。
「ありがとうございます。でも一人で考えたい事もあるので、私はやっぱり、」
「駄目」
「えぇっ!?」
一人で考えたい事があるのは確かだが、本当は利用する相手に余計な情を抱きたくなかったと言うのが本音なのだ。あまり日常を共にするのは良くない気がする。それなのに、あっという間に却下されてしまった。
「お前、誘拐されてる自覚あんのか?無防備に一人になるんじゃねぇよ」
「はぁ……」
ここまで言われて断るのも不自然だ。
そう思い「じゃあ、お世話になります」と素直に頭を下げる事にした。
気を強く持っていれば大丈夫。元の世界に還る事だけ、自分の事だけ考えていれば。
芽亜は何度も、同じ事を胸中で反復する。
――そう言い聞かせている時点で、既に目の前の男に心惹かれるものがある事に気付かない振りをして。
********
ジェイドは傍らを歩く己のパートナーの少女をそっと見下ろした。
サラサラとした、肩より少し長い位の黒髪は右側で凝った銀細工の髪留めで留められていて、少女の愛くるしい顔立ちをより引き立てている。
(……可愛い)
全く期待せずに扉をノックし、出て来た少女を見た時の衝撃。
”今直ぐ抱き締めて首筋を甘噛みしたい”と言う欲望を瞬時に抑え込み、平静を装いながら何か話掛けた所までは覚えているが、正直その後は耳を触られるまでは少女に見惚れていてあまりよく覚えていない。
ただ、少女の願いを聞いた時、心が冷たくなる感じがした。
まさか願いたい事が『家に帰りたい』とは。
人狼の嗅覚で素早く探り、少女が穢されてはおらず、未だ乙女のままである事を確認すると心底安堵した。
東の方は確かに人身売買が横行しているとは聞く。この少女ならば確かに高く売れるだろう。
ジェイドは、何としても少女を”一旦”家族の元に帰してやろうと思った。
正義感からでは全く無い。
恩を笠に着て少女を自分のものにするのが目的だった。
――この少女を手放す気は、既に自分には無いのだ。
◇
闘技場の外に出ると、辺りは夕闇に包まれていた。仮面の連中に連れて来られたのが昼過ぎだったから、随分時間が経っていた事に少し驚く。
胸元のポケットから通信機を出し、仲間に連絡を入れると、ジェイドは芽亜をつれて近くの店へと入った。
「腹減っただろ?何か食おうぜ」
物珍しそうに店の中を見回す芽亜の手を引いてテーブルに着かせる。
「ここは氷鱗亭って言って魚が美味いんだよ。東の出身なら魚の方が馴染みがあるだろ?」
おずおずと頷く芽亜に「で、お前は東のどこ出身なんだ?ミナヅル?華影?それとも……」
そう言いかけたものの、軽く首を振って言葉を止めた。少女に無理強いをしたくなかったからだ。
「ありがとう、ジェイドさん」
小さく微笑む少女に、ジェイドは胸が高鳴るのを感じた。
「……俺の事は、ジェイド、で良い。”さん”はいらない」
「あ、じゃあ私の事もメアって呼んで下さい。さっきからずっと、”お前”なんだもの」
クスクス笑う芽亜に、ジェイドは噛み付きたい衝動を懸命に堪えながら「分かった。メア」と曖昧に笑ってみせた。