26・来るべき日
決戦当日。
芽亜は朝早く起きて、入念に準備を整えていた。黒髪を綺麗に梳かし、右側に少し編み込んで銀の髪留めを着け、濃緑のリボンタイブラウスに黒のプリーツスカート。この世界に初めて来た時に、身に着けていた洋服と靴。銀色のアンクルストラップヒールの金具をパチンと留め、鏡の前でクルリと回って全身をチェックする。
「うん、良い感じ」
ガラスの小瓶は右のポケット。ピアス2つは左のポケット。短剣は後ろ側、腰の所に差し込んでおいた。準備を終えた所で、ノックの音がする。芽亜は返事をしながら扉を開けた。
「おはようございます。メア様」
「おはようございますーティリンガストさん」
朝食のトレーを持ったティリンガストが部屋に入って来る。今朝も素顔のままだった。
芽亜はその姿を見てふと思う。ティリンガストは常にゴードの近くに居た。という事は、彼もかなり高い地位の神様の筈。人間の小娘如きに態々、自ら食事を運んで来てくれるなんて、何だか申し訳ない気がする。って言うかこれって。
「パワハラ?」
朝からこんな下っ端がやる様な事をさせられて気分を害してはいないだろうか。
神様界にもイジメはあるみたいだし、<世界の運営>をそのまま会社に置き換えれば納得がいく気がする。
(神様も、楽じゃないんだなぁ……)
芽亜はティリンガストに心から同情をしていた。
◇
「きゃあ!すっごい素敵!」
テーブルに着いた芽亜は、並べられた皿を見て、手を叩いて喜んだ。
――七色のパンケーキに雲に見立てた生クリームがかかり、レモンの香りのするチョコレートで造られたヒヨコ達がその上で遊んでいる。添えられた紅茶は桃の香りのするピーチティーで、思わず写真を撮りたい程の可愛らしさだった。
「ティリンガストさん、ひょっとしてお子さんいらっしゃったりします?」
突然の芽亜の質問に、ティリンガストは少々戸惑う。
「え、えぇ息子が一人。何故ですか?」
「だって、昨日から食事の見た目に凄く気を使って下さってて、元気づけてくれようとしてくれてるから。そういう、言葉にしない優しさがお父さんみたいだなあって」
クスクス笑う芽亜に、貴女には敵いませんね、とティリンガストも笑って見せた。
********
「おかしい。何でお嬢見つからねぇんだよ」
「目撃情報が全く無いってのが変だな」
――早朝。紅茶屋エーベルの前。
頭を付き合わせて悩むクリストルとサフィール兄弟の横で、ジェイドは文字通り頭を抱えていた。
メアが見つからない。少なくともカルナックには来ている筈なのに、何処にも見当たらないのだ。
ここはそれなりに大きな街ではあるが、戦闘以外に情報収集にも長けた自分達が全力で1日探し回って見つけられないなんて事があるだろうか。
「ジェイドさん!」
苦悩するジェイドの元に、一人の少女が駆け寄って来る。鳥人族・隼型の青年アーサーのパートナーである少女ラヴィニア。初戦の相手であったこの二人と再会したのは、エーベルにメアの捜索協力を頼みに行った時だった。ウィーナ夫妻に事の次第を説明していると、カランコロンと言うベルの音と共に、この二人が偶然買い物に訪れた。
既に一度、ここで働いていたメアと言葉を交わしていたラヴィニアは、ウィーナから話を聞くとアーサーと共に捜索の協力を申し出てくれた。そして、アーサーは昨日1日、ずっと上空からメアを探してくれていたのだ。
「悪いな、ラヴィニア。迷惑かけて」
「ジェイドさん大変!赤い旗が立ったわ!」
ジェイドの声を遮る様に、息を乱しながらラヴィニアが叫ぶ。
「今、アーサーが見張ってる。メアちゃんが来たら直ぐ引き留めるって、」
ラヴィニアの台詞を聞き終わる前に、ジェイドは闘技場に向かって猛スピードで駆け出した。
「ちょ、ちょっと待てよジェイド!」
クリストルは、慌ててジェイドの後を追おうとするサフィールの腕を掴み引き留めた。
「俺はレンに連絡して来るから!お前はジェイドを追っかけろ。ラヴィニアさん、アンタは紅茶屋の夫婦に教えてやってくれ」
「わ、わかった」
「わかりました!」
サフィールとラヴィニアも素早く指示に従い、それぞれの行動についた。
◇
噴水広場の前まで辿り着いたジェイドは聴覚と嗅覚を限界まで高め、激しく息を乱しながらも懸命に芽亜の気配を探る。すると闘技場入り口近くに佇むアーサーがジェイドに向かって軽く手をあげ、駆け寄って来た。
「アーサー、メアは」
「俺の眼で見ても姿を捉えられないから、彼女は少なくともこの辺りにはいないと思う。キミが来る前に旗を掲げている係の奴に話掛けてみたんだけど、対戦開始はこれから2時間後だって」
だとしたら、そろそろ近くに居ないといけないと思うんだけどなぁ。
そう呟くアーサーの言葉も耳に入らない位、ジェイドは昏い不安に苛まれていた。
********
「ありがとうございましたティリンガストさん。行って来ます」
「えぇ、どうかお気をつけて」
笑顔で頭を下げる少女に、ティリンガストは複雑な顔を向ける。
――最初、自分が戦うと言い出した時には何を言っているのだろうと思った。
当然、ゴードと共に必死で止めたが、ルール上は問題無い筈、と少女は頑として譲らなかった。
そこで二人で相談し、相手側も無力な少女を無闇に傷付けたりはしないだろう。勝ち目が無いと見れば流石に諦めて降参するだろう。との結論に達し、本人の好きな様にさせる事にしたのだ。
だが、この言い知れぬ不安感は何なのだろう。ティリンガストはその不安を払拭する様に芽亜に笑顔を向けた。
「貴女が私の娘だったら、さぞかし大変でしょうね」
「ふふ、もし私がティリンガストさんの息子さんと結婚しちゃったらどうします?」
そう悪戯っぽく笑う芽亜に、ティリンガストは思わず言葉を失う。
何を馬鹿な、と言うより(そうなったら良いのに)と思ってしまった自分に戸惑ったからだった。
「あ、でもそんな事この前言われたなぁ。”自分の息子の嫁に”って」
「……誰にです?」
知らず、声が尖る。
「えーと、ロキ……?」
――少女の口から発せられた名前を聞いて、ティリンガストは全身の血が引いて行くのがわかった。
まさか。此方の世界に派遣された事は上司から聞いて知ってはいたが、この子と接触していたなんて。焦りながらもさり気なく少女の全身を注視する。
ゴードの加護による虹色の香気に強く覆われる中で、性質の違う香気がもう一つ、微弱に少女の身体に纏わりついているのが確認出来た。加護と言うよりも祈りに近い。極々弱いが温かい、己の良く知る者の与えた庇護の色。
(そうですか。貴方もこの子を気にしていたんですね)
内心嬉しく思いながら、静かにティリンガストは自身の加護も少女に与えた。
◇
「ロキ殿は他に何を?」
「んー、何だか無駄に色仕掛けしてきて。耳舐められた辺りでぶん殴ってやろうかと思いました」
その時の事を思い出したのか、少女は眉を顰めて憤慨する。
「殴れば良かったんですよ。それにあの方はあまり性質の良い方ではありません。他に何も言われたりしてないですね?」
ティリンガストは吐き捨てる様に言いながら、少女に再度の確認をする。
「……えぇ。何も」
芽亜はティリンガストの薄水色の髪をぼんやり見つめながら頷いた。
(そう。何も言われてはいない。”毒”は貰ったけれど)
「それは良かった」
心底安心した様に微笑むティリンガストはホッと胸を撫で下ろす。その為、もう行きますね、と言って背を向けた少女の顔から一切の表情が消えている事に全く気付いていなかった。
********
「どーいう事だよ!?もう時間だぜ!?何でお嬢来ないんだよ!」
ぎゃあぎゃあと喚くサフィールを無視しながら、レンは褐色の肌の上からでもわかる程顔色の悪いジェイドを心配そうに見る。
――ここは観客席。
闘技場が開場され、続々と観客が集まって来ても尚、現れない芽亜に業を煮やし連絡を受けて合流した”銀の鴉”の面々やネリと共に一先ず観客席から探す事にしたのだ。
アーサーとラヴィニアは観客席の反対側で、隼の視力を使い芽亜を探してくれている。
「ったく、何でこんな人混みん中に来ねぇといけねーんだよ」
「”最後まで見守る”つったのはアンタでしょうが。っつか自分、アンタとは別行動したいっす」
「駄目だっつーの。姉貴から目を離すなって言われてんだから」
「その割には、この前思いっきり目を離してたじゃないっすか」
ジェイドは聞こえて来た会話に何となく視線を向け、そして両目を大きく見開いた。メアと、最初に異世界の話をしていた連中。考えるより早く、ジェイドは二人の前に立ち塞がった。
「あ?何だお前」
「これはこれは。お嬢ちゃんとこの狼クン、今日は見学っすか?」
訝し気な青髪の少年とは対照的に、意味ありげな顔でジェイドを見やる灰銀の髪の男。
「メアの居場所を知らないか?」
ジェイドは苛立ちを懸命に堪えながら、努めて穏やかな声で聞いた。視界の端に、焦った様に此方に駆け寄って来るネリの姿が見える。
「狼クン、話はキチンと最後まで聞くもんっすよ?そしたらこんな事になんかならなかったのに」
何言ってんだお前。と首を傾げる青髪少年を余所に、灰銀男は端正な顔を歪めて嗤った。
「お待ち下さい!」
思わず立ち尽くすジェイドを押し退け、ネリが前に進み出た。
「お、おい」
「心配しないで。私達の世界の神様なの」
腕を伸ばし、自身を庇おうとするジェイドに安心させる様に笑ってみせ、再び少年に向き直る。
「今度は誰なんだよ」
「初めまして、須佐之男命」
ハァ、とため息を吐きながら苛立たし気に髪をかき上げる少年に、ネリは丁寧に挨拶をした。
「ん?あぁ、何だお前もウチのモンか。俺達の事何で知ってんだ?」
「メアちゃんからちょっと聞いたもので。何か、調査にいらしたとか?」
「まーな。でももうそれは終わったんだ。つかお前、此奴等の言ってる事わかるか?」
勿論です。とネリは恭しく頭を下げる。
見た事も無いネリの対応に、ジェイド以下「銀の鴉」の面々も、目を丸くした。
「後で詳しくご説明させていただきます。それよりもお願いが御座いますの。私の友人、行平 芽亜が現在行方不明なのですわ。どうにかお力添え願えませんでしょうか?」
両手を胸の前で組み、祈る様に縋るネリの姿を見てスサノオは満足気な様子を見せた。しかし、直ぐに些か申し訳なさそうな顔になる。
「日ノ本の民の願いとあっては叶えたいのはやまやまなんだが、俺達はこっちの世界じゃ力を行使出来ないんだ。すまないな」
「…………えない」
「あ?何だって?」
ボソリと何事かを呟くネリに、スサノオは長身を屈め耳を近付ける。
「つっかえないなぁ!神力行使出来ないだと!?じゃあとっとと帰れよ!税金も払ってない分際で、この国の空気吸ってんじゃねぇ!」
被っていた猫を瞬時に引き剥がし、怒鳴り散らすネリをジェイドは呆然と見つめる。ビキリ、と石像の様に硬直したスサノオに、役立たずが!!とネリは更なる罵倒を続ける。その腕を引っ張って後ろに下がらせ、はは、すいません、と謝るレンに周囲は尊敬の念を禁じ得なかった。
「いやー、面白いお姉さんっすねー。ま、お嬢ちゃんが今どこにいるか、自分知ってるっすよ?」
背後で爆笑していたロキが笑い過ぎて溢れた涙を指で拭いながら答えた。
「何処だ!?」
詰め寄るジェイドに対し、ロキは無言で背後を差す。
「何処だよ!」
「だからそこっすよ。会場って言えば良いんすか?お嬢ちゃん、自分で戦うんだそうっすよ」
ロキは、言葉を失うジェイドを見ながら、あからさまに楽しそうな笑みを浮かべた。