25・少女の孤独
『芽亜―、早く起きなさ―い!』
――食卓には、お父さんとお母さんと私の、3人分の朝食。
『やった!この鏡台、芽亜にくれるの?』
――引き出しの中に入っていた、お母さんのでも私のでもない、長い長い黒髪。
『良いなぁ、お姉ちゃん居るんだー。芽亜もお姉ちゃん欲しかったなー』
――優しくて、甘やかしてくれて、私が困った時には真っ先に駆け付けてくれるお姉ちゃんだと良いな。
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「はぁ、頭痛い……」
芽亜はゆっくりと目を開けた。時計を見るとお昼を過ぎている。寝過ぎで身体が怠い。
昨夜は思わぬ告白を受けて戸惑い、なかなか眠れなかった。まさか、今自分が居る世界の神様に好きだと言われるなんて思わなかった。
――今の自分だったら、てっきり打算で思わせぶりな事を言うと思っていたのに。蓋を開ければ、驚く程正直な気持ちをぶつけていた。
(まだ素直なワタシは居たのね)
(ねぇ。そんな甘い気持ちじゃ勝てないんじゃないかな)
(でも、そんなワタシを「彼」に見せられる?)
(もういいの。「彼」はワタシの事なんか忘れてるわ)
芽亜は煩わしそうに頭を振った。もう、今は細かい事は考えたくない。
「静かだなー……」
ここは闘技場の中だから静かなのは当たり前だけど、まるで世界に自分一人だけしかいない気分になる。どうせ誰もいないんだから、ちょっとだけ、今だけは素直になっても良いのではないだろうか。
芽亜はそっと目を閉じた。
(あぁ、私は)
「彼」の声が聞きたい。会いたい。優しく笑う顔が見たい。抱き締めて欲しい。それで、それから。
――『大丈夫だよ、メア』って、言って。
芽亜は両耳を押さえて俯き、唇を噛み締めながらボロボロと大粒の涙を溢していた。
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ネリと相談した結果、夜間は外に出られない彼女は連絡係として店で待機する事になった。しかし、やはり一人で四六時中見張るのは無理がある。ジェイドは意を決して仲間達に事情を話す事にした。
レンに連絡を取り、仕事の合間を縫って仲間達をネリの店に集めて貰った。
飛空艇に戻る事も考えたが、質疑応答の時間取ってたら夕方過ぎちゃうかもしれない、とネリの抗議を受け、無理を承知で仲間達に足を運んで貰う事にした。
「初めましてこんにちはー。占い師のネリでーす」
物珍し気に占い屋を訪れたレン以下「銀の鴉」の面々は、軽いノリで現れた銀髪の女に面食らった顔をしている。
「うーん、下の占いスペースで話そうかと思ったけど、そこの蛇二人がちょっと場所取るなぁ。って言うか団長さんだけで良かったのに、何でこんなゾロゾロ来ちゃったんだろう」
「思った事をそのまま口に出すな。俺が呼んだんだよ」
「仕方ない、二階に来て貰うか。あ、アナタこの看板表に出しといて」
ネリは<本日お休み>の看板を近くに居たテトラに押し付ける。その後、ジェイドに向かって命令をした。
「ねぇ!先に二階上がってお湯沸かしといて!」
はいはい、と大人しく二階に上がって行くジェイドを仲間達は驚きの目を持って見ていた。
◇
「よし、何とか全員入ったわ」
テーブルに着いているのはネリとレンとアイカー。
下から持ってきた椅子にテトラとカータレットが座り、クリストルとサフィール兄弟は下半身の蛇体で蜷局を巻いて床に座る。ジェイドは一人、ネリの命ずるままに台所で紅茶を入れたり焼き菓子の皿を用意したりと、こき使われていた。
「えーと何処から話せば良いのかな。ともかく、今回お宅のジェイド君がメアちゃんの首を絞めて壁に叩き付け、床に投げ出した挙句に顔を切り裂いて逃亡するに至った事態の発端を――」
「ち、ちょっと待って、それホント!?」
「っ!?てめぇジェイド!お嬢にそんな事までしやがったのかよ!」
そこまでは聞いていなかったレンと、今聞いたサフィールの驚きの声が同時に上がる。
「そ、それは……」
いきなり核心から入ったネリに、ジェイドはたじろいだ顔を向けた。
「まぁまぁ落ち着いて。これから説明する事聞いたら彼を責める気にはならないとは思いますから」
――ネリは全員の顔を見渡し、大きく深呼吸をする。そして、自分達の事やこの世界の事、知っている限りの真実について語り始めた。
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泣き疲れて眠ってしまった芽亜は、自らに触れる温かい感触に気が付き目を覚ます。
「ん……」
「おや、目が覚めました?食事をお持ちしましたよ」
耳に響く柔らかい声に、重たく淀んでいた芽亜の意識も次第に覚醒して行く。
「ありがとう、ございます……」
起き上がって声の主の方を見る。薄い水色の髪に紫の瞳。単眼鏡を掛けた端正な顔立ちの30代位の男性が芽亜を覗き込んでいた。見覚えは全く無い。
「きゃー!!誰!?」
驚き大声をあげる芽亜に、男性は軽く眉を顰めて人差し指を口元に持って行く。
あ、その仕草は。
「ひょっとして、ティリンガストさん?」
「そうですよ」
「いつもの銀色の仮面はどうしたんですか?」
「今日はもう誰にも会わないですからね。ほらメア様、此方へどうぞ」
ティリンガストに促されるまま、芽亜はベッドから降りテーブルに着いた。
「可愛い!」
並べられた料理を見て、芽亜は歓声を上げた。焼き立てのパンはウサギの形をしていて、温野菜のサラダは花畑の様に盛り付けてある。コーンスープの上には星形のクルトンが浮かせてあり、横には湯気を立てるカフェオレが置いてあった。
「朝食の様なメニューですが、食欲があまり無さそうなご様子でしたから」
「すごーい!ティリンガストさんも神様ですもんね、やっぱりそういうの分かるんだー」
感心した様に言う芽亜に、慇懃に頭を下げながらティリンガストは先程の光景を思い返す。
実は一度、食事の内容を聞くために部屋を訪ねて来ていたのだ。
そこで、声を出さずに泣く芽亜の姿を見た。パートナーを失った後も強かに立ち回っていたこの娘。
監禁されても心を折らず、警備魔法に捕まり脱出が叶った際には無邪気に喜び、あまつさえ自らが戦うなどど言い出す、訳のわからない人間。
ただ、ゴードがこの少女に惹かれたのも分かる様な気がした。その主は昨夜フラれちゃったよー、と苦笑と共に執務室へ戻って来た。その後は、せっかく経過観察で勘弁して貰えたんだからちゃんとやらないとね、と吹っ切れた様にバリバリ仕事をしていた。
「美味しいー」
嬉しそうに微笑む芽亜に、思わずティリンガストも笑みを浮かべる。
(明日の朝食も、何か違う趣向を凝らしてあげましょう)
――少しでも笑顔にしてあげたい。この子が独りぼっちで泣かなくても済む様に。
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占い屋の二階は、静かな沈黙に包まれていた。
「あー、口の中の水分持ってかれた」
長々とした説明を終えたネリは紅茶をガブ飲みしていた。
「はぁ、成程ねぇ。まさか創造神ゴードが誘拐犯だったとは」
「ムカつくなー、人の記憶を勝手に弄ったり元に戻したり」
予想を遥かに超える衝撃的な話に団員一同、困惑を隠しきれない様子だった。レンは無言で腕組みをし、一人何やら考え込んでいる。
「確かに、こんな話を一部分だけ聞いたらショックを受けるのも無理ないな。それでもお姫サマを傷付けた事はどうかと思うぜ」
アイカーの言葉に、ジェイドは痛みを堪える様に顔を歪めて頷く。
「……ごめん。酷い事言って悪かったよ。ジェイド」
そっと近寄り、頭を下げて詫びるサフィールに、ジェイドは首を横に振った。
「いや。お前は別に間違ってないよ。俺が悪かったんだ」
「お前も辛かったのにな。ま、ともかく!頑張ってお嬢見つけようぜ」
拳をぶつけて笑い合う二人を眺め、他の5人はやれやれ、と胸を撫で下ろした。
◇
「ネリさん、貴女の事なんだけど。ダーレス家の長男の件については、僕が向こうに口添えしようか?」
緊張が取れた様にわいわいと騒ぐ団員達を余所に、レンが静かに問い掛ける。
「ううん、それは大丈夫。メアの事見届けたら、ミランドラに向かって彼のご家族に会うつもりだから」
「殺されると思うよ?」
「でしょうねー。でも、別に良いの」
「……良くないだろ」
テーブルに片手をつき、呆れた様にネリを見ながらジェイドは小さく溜息を吐く。
「アンタに何かあったら、メアが悲しむ」
「メアちゃんは何も知らないから大丈夫」
ネリは尚も何かを言い掛けるジェイドを手で制した。
「今は、メアをどう捕まえるかを考えるのが先。メアはね、あの時アナタと離れるのは嫌だって言ってたの。両親の事を軽く考えてる訳じゃないけど、アナタと一緒に居たいって。でも、アナタから拒絶されて共に生きる選択を失った。そしてあの子には後が無くなった」
早く捕まえないと。あの子が自分自身と世界に絶望する前に。
「……わかってる」
ジェイドは深く項垂れながら小さく呟く。サフィールはそんなジェイドの肩をそっと叩いた。
レンは頷き、指示を待つように視線を向けて来る仲間達を力強く見返す。
「そうだね、メアちゃんの保護を最優先しよう。その方法だけど、やっぱりシンプルに赤旗を待ってから現れたメアちゃんに接触するってのがベストかもしれないね。クリストルとサフィールはジェイドと一緒に見張りについて。赤旗は大体午前中に掲げられるから、昼過ぎたらカルナックの街を捜索。メアちゃんがお散歩してるかもしれないし」
僕達は仕事があるけど、何かあったら直ぐに連絡する事。それと、シルヴァンに連絡しとくから其処の宿を拠点にして。
そう指示を出すと、レン達は占い屋を後にし、足早に飛空艇に戻って行った。
◇
「格好良いなー、レン団長。見た目は子供みたいで可愛いのにね」
ネリは感心した様に、帰って行く小柄な後ろ姿を見送っていた。
「レンは妖精族とのハーフだからな。見た目あんなだけど、確か36歳だった筈だぜ?」
「えっ!?結構おっさんじゃん!」
「失礼な女だな、てめぇは!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐネリと蛇兄弟を放置し、ジェイドは黙々と後片付けをしていた。
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「なぁジェイド」
「何だ?」
――ネリの占い屋を出た後、ジェイド達3人は転移魔法を使いカルナックへと戻っていた。
ジェイドは実質パートナーとして動いていないにも関わらず、以前利用した時に登録されていたお陰で利用料はかからないが、兄弟は違う。そこはメアに返すつもりだった金貨を使って支払った。
郵便局を出て、レンの指示通り「シルヴァンの宿」へと向かう。
その道すがら、サフィールはどうしても気になっていた事を聞いた。
「お嬢と合流したら、お前大会に復帰するんだよな?お前なら絶対勝つだろうけど、もしそこでやっぱりお嬢が元の世界に帰るって言い出したらどうするつもりなんだ?」
「……帰らせるよ。それがメアの望みならな」
穏やかな顔で答えるジェイドに、サフィールは言い知れぬ不安を覚える。クリストルも心配そうに様子を窺っていた。
「お前はそれで良いのかよ?」
「良くはない。メアを手放したくない。でも喜ばせてやりたいとも思う。元の世界で、メアが他の奴の手を取る事を考えただけで気がおかしくなりそうなのに、幸せにしてくれるならそれで良いとも思う」
――全く、どうしようもないな、俺は。
そう自嘲気味に笑うジェイドに、兄弟は何一つ声をかけてやる事が出来なかった。