23・油断大敵
「すごーい!本当に酔わなかった!」
カルナックの郵便局から出て来た芽亜は開口一番そう叫んだ。ロキと別れて直ぐ、西條から貰った酔い止めを飲みミランドラの郵便局へと向かった。
ビクビクしながら転移魔法陣に乗る。ギュッと目を閉じて暫くすると身体が温かくなり一瞬グラリと揺れたかと思うと、もう其処はカルナックの転移室だった。
吐き気は全く無い。貰った酔い止めは全部で5包あり、残りは4包。
(これは大事に取っておこう)
芽亜は足取り軽く、闘技場へと向かった。
*******
ジェイドは紅茶屋エーベルの表で、店主夫妻と睨み合っていた。
「だから!俺はメアの行き先を知りたいんだよ!教えてくれよ!」
「嫌です!メアちゃんから『行き先は誰にも教えないで』って頼まれてますから!」
「俺はパートナーなんだから、知る権利はあるだろ!?」
「あら、ごめんなさい。言い方を変えるわ。貴方にだけは教えないでくれって言われてるの」
妻の言葉を聞き、オリオンがふと眉を顰める。彼女はそこまでは言っていなかった筈。
妻を諫めるべきか悩み、結局彼は口を噤む事を選んだ。
ウィーナの言葉を聞き、ある程度予想していたとは言え、ジェイドはかなりショックを受けた。
(俺にだけはって、何だよ!)
「貴方ね、メアちゃんにどれだけ酷い事したか覚えてないの!?あの子は偶々この前は相手が病気になったか何かで不戦勝になったけど、もうこっちで一人で生きて行こうって決めてるの。職業紹介所に登録までしてたし。もうあの子を放っておいてあげて!見捨てて逃げたクセに!」
「止めなさいウィーナ!」
滅多に大声を出さない夫の怒声にウィーナはビクリと身体を震わせた。
高い能力を持つ竜人族であるのに、優し過ぎる性格故に相手に本気を出す事が出来ず、結果的に序盤で敗退する事になってしまった、本当に優しい人。その夫の大声に、ウィーナは微かに怯えた。
「大声を出してごめんよ、ウィーナ。でも少し言い過ぎだと思う」
夫に穏やかな声で諫められ、ウィーナも漸く冷静さを取り戻した。
「……そうね、ごめんなさい。オリオン、ちょっと彼と二人にしてくれる?」
オリオンは優しく頷くと、ウィーナの頬にキスをして店の中に入っていった。
◇
「あの時、メアちゃんが貴方に説明しようとした事を教えてあげる。行き先を教えるのはその後よ」
「わかった」
――ウィーナは全てを伝えた。
本来、人類を創造して行くのは神の役目だが、それをゲームの形にしてやらされていた事。
確かにパートナーを設定はしたが、あくまでアイデアのみで実際に創造したのは此方の神である事。
自分達は此方の世界に干渉していたせいで、元の世界から此方に連れて来られる事になった事。
混乱させない為に家族や友人達から、存在を消されてしまっている事。
そうか。そう言う事だったのか。メアはある意味本当に誘拐されていたのか。
あぁ、俺は馬鹿だ。家族から引き離されたメアを、独りぼっちにしてしまった。
「それに、私達の世界でも人類は神が創造したと言われてるの。まぁその辺りは賛否両論なんだけど、私はそう信じているわ。それで言うと、貴方の神にはメアちゃんも含まれてる事になるかもね」
「……メアが俺の神か。それは良いな」
優しい笑みを浮かべるジェイドの顔には、彼女への確かな愛情が見て取れた。
「さっきはごめんなさい。貴方に酷い事を言ったわ」
「いいや。悪いのは俺なんだ。メアを傷付けたのは確かだからな」
ウィーナは暫し逡巡したが、約束通りメアの行き先を教える事にした。
「ギーズベリーに行くって言ってたわ。気晴らしに、お友達に会いに行くって」
「ギーズベリー!?」
あのガキの所か。よりにもよって何でまた……!ジェイドは思わず舌打ちをする。だがそう悪いものでもないかもしれない、と直ぐに思い直した。
ギーズベリーは人口こそ多いが人間族が少ない。その上、メアの東系の容姿はかなり目立つ。
見つけるのは案外容易いかもしれない。
ジェイドはウィーナに礼を言い、即座に駆け出して行った。
********
直ぐ近くにジェイドが居た事など露知らず、芽亜は闘技場入り口で受付をする。
「パートナーの方はどうされました?」
「また仕事が忙しくって。時間までには来ます」
前回の時に冷や汗を掻きながら発した台詞も、今回はスラスラ言える。芽亜は澄ました顔で受付を終えると、トランクを預け控室へと向かった。
「あれ?」
いつも使っている控室の入り口に張り紙がある。
『本日当部屋使用禁止。下記の部屋でお願いします』
芽亜は首を傾げながらも、張り紙の指示に従い移動を開始した。困ったな。相手側も部屋変わってたら探すのに手間取っちゃうかも。
「え、ここ……?」
張り紙に書いてある案内の通りに来たが、このまま進むと地下に降りる事になる。今まで控室が地下なんて事はなかった。それに、さっきから空いてる部屋は幾つもあったのに何で地下?
何か、おかしい。
取り合えず戻ろう。そう思い振り返ろうとした瞬間、思い切り突き飛ばされた芽亜は悲鳴と共に階段から転がり落ちて行った。
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転移魔法でギーズベリーまで来たジェイドは、今度は飛行船場へ向かって駆けていた。
『あー、あの大きなトランク持った可愛い子ね!』
町に到着して直ぐ、聞き込みを開始するとメアの行方は拍子抜けする程あっさりとわかった。
だがその後の情報は、彼女は既にギーズベリーを発ったというものだった。
しかもギーズベリーに来たその日の内に、直ぐ町を出て行ったらしい。メアは転移魔法が苦手だ。となると、飛行船で移動をする事になる。
俺が王都の飛行場で一瞬見かけた後ろ姿はメアで間違いなかった。あの時後を追っていれば、と後悔してももう遅い。とにかく乗り場の係員に聞いてみよう。
ジェイドは焦る心を抑えながら、只管芽亜の事だけを想っていた。
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「うぅ……」
芽亜はゆっくりと目を開けた。身体の節々がズキズキと痛む。
「ここ、何処……?」
両手を付き、上体を起こす。周囲を見回すと、絵画や彫刻などが整然と置かれているのが見える。
「痛ぁーい……」
身体を庇いながら立ち上がる。幸い、骨は折れていない様だった。出入口と思しき扉に向かい、ノブをガチャガチャと動かす。予想通り、開かない。仕方なく扉に背を預け、そのままズルズルと座った。
(張り紙でおびき出し、突き落として閉じ込める、か)
完全に油断をしていた。まさか、自分以外にも「対戦前に片を付ける」方法を選択する者がいたとは。
『終盤になると対戦を拒否するペアも出て来る』
それを元に自分は今回の作戦を立てた訳だけど、考えが今一歩先を行っていなかった。
『対戦を拒否しても勝利を諦めたとは限らない』
何故これに気付けなかったのか。芽亜は目を閉じ、天を仰ぐ。ともかく、此処から出なくては。
痛む身体を擦りながら、芽亜は必死に考えを巡らせていた。
◇
ふと、先程目に入った絵画や彫刻類を見る。どうしてこの様な美術品が闘技場にあるのか。
(あ!)
あの時の「彼」の言葉が蘇る。そうだ。ここは本来は博物館。神様が私達をパートナーと引き合わせる為に、「花と剣」の為に、周囲の記憶を変えて博物館を闘技場と認識させているんだった。
その間、美術品などは避難させているのだろう。大会が終わったら、また元の博物館に戻すのだから。ここは、その為の保管部屋なのだ。
近付いて美術品を眺めた。毛足の長い絨毯の上に、互いを傷付けない様に計算されて置かれている。
そしてこの埃一つ無い部屋。ここまでしてあるという事は、当然これらが大事な物だから。
芽亜を突き落とした犯人が、恐らく鍵が掛かっていたであろうこの部屋の鍵をどうやって開けたのかは分からない。でも、万が一の為侵入者対策はしているのではないだろうか。
(もう少し待てば、助けが来るかも)
――いや。それはどうだろう。
相手の狙いはきっと、時間切れ。どれくらい気絶していたのかは分からないが、もうそれ程時間は残っていないのではないかと思う。それに、先程考えていた様な侵入者対策をしていたなら、解錠された瞬間に誰か来ていないとおかしい。
「ったく、何なのよこのガバガバのセキュリティーは!」
前回はその緩いセキュリティーに救われた事などすっかり忘れ、悔し気に爪を噛む。
まぁ多分、今までの”花と剣”では相手に毒を盛ったり相手を罠に掛けたり、などと言う事態が起こらなかったのだろう。
「今回は悪いコが多くて大変ね、カミサマ」
芽亜はそう呟くと徐に美術品の中から大きな壺を持ち上げ、それを思い切り振り上げた。
********
「大丈夫?メアちゃん」
医務室で手当てを受けている芽亜の横で、赤髪のゴードが心配そうな顔で座っている。
その後方には銀仮面がそっと控えていた。
「大丈夫です」
「吃驚したよ。警備魔法に引っ掛かったのがまさかキミだったなんて」
素っ気なく返す芽亜に、ゴードは呆れた様に言った。
◇
あの時、芽亜は一つの賭けに出ていた。何らかのセキュリティーは絶対にある。美術品に何かあったら、元の博物館に戻した時に困るだろうし、そもそも貴重な物が破損したらもっと困る筈。
部屋にソレが無いなら、後は美術品本体しか考えられない。
そう思い、壺を床に叩き付けようとした瞬間。芽亜は壺を持ち上げたまま、ゴードの執務室の中に居た。左右から剣を突き付けられながらも、飛び上がって喜ぶ芽亜をその場に居た全員がポカンとした顔で眺めていた。
◇
「あ、因みにキミを閉じ込めたペアは失格になったからね」
「えっ!?ホントに?」
てっきり、もう不戦敗だと思ってたのに。
「今まで、こんな事無かったからね。『対戦外で相手を傷付けてはいけない』と言うルール自体が無かったんだ。でも僕が留守の時にどうやら人為的関与が疑われる事故があったみたいで、ティリンガストが急遽ルールを追加してくれてたんだよ」
芽亜は思わずティリンガストを見つめた。銀仮面は軽く首を左右に振ると、ゴードに見つからない様に人差し指をそっと口元の辺りにあて、直ぐに指を降ろした。
(黙っててくれたの?どうして……?)
「どうしたの?」
「何でも無いです。あの、神様今までどこで何してたんですか?」
首を傾げるゴードに対し、芽亜は素早く話を逸らす。
「色々だよ。反省文書いたりジュース買いにパシらされたり、無理矢理ラブレター書かされてそれを大勢の前で朗読させられたり」
「何で!?後半部分ただのイジメだよ!?神様界でもイジメってあるの!?」
「……良いんだよ。僕が悪いんだから」
遠い目をして語るゴードを、芽亜は初めて可哀想に思った。
◇
「それでね、実はもう次が決勝なんだよ。メアちゃんよく頑張ったね」
「あの、それなら一つ確認があるんですけど」
よしよし、と頭を撫でて来る手に大人しく撫でられながら芽亜はゴードを真っすぐに見つめる。
「ん?何?」
「私、今パートナー居ないんです。だから決勝は私が戦うのでも良いですか?」
「……は?」
「決勝は、私が相手の方と一人で戦います。許可して下さいます?」
ルールには駄目とは書いてなかったわ。そう静かに微笑む芽亜を、ゴードとティリンガストは呆然と見つめていた。