22・トリックスター
芽亜は少年と別れると、ギーズベリーを観光する訳でもなく、直ぐに飛行船場に戻った。
2、3日はギーズベリーに泊まろうと思っていたが、気が変わった。思っていた程小さい町ではなかったとは言え、知り合いが居る町に留まるのは得策ではない様に思えた。
今日はミランドラに行こう。後の事はまた明日考えよう。
そう決意すると、芽亜はミランドラを通る便の乗り場へと向かって行った。
********
飛行船の中で、タブレットを使いミランドラについて事前学習をする。
通称・<常闇の街>
その名の通り街全体が常に薄暗く、住人は吸血鬼族や夜目の利く種族が大半を占める。
人間族は「林檎売り」位しか住んでいないが、観光客は多い。
「何、林檎売りって」
ミランドラは意外にもリンゴが名産なのだろうか。
「えーと、何々……」
吸血鬼族が他種族を襲ってその血液を啜っていたのは遥か昔の事。今は通常の食事が栄養源の大半となっているが、体内で生成する事の出来ないある種のミネラルを補う為に献血やその他の方法から手に入れる血液などから作られる錠剤を服用している。
以前は「血液錠」とそのまま呼ばれていたが、印象が悪いなどの理由でいつしか「林檎」と呼ばれる様になった。動脈血から作られた錠剤を「赤林檎」と言い静脈血から作られた錠剤は「青林檎」と言う。それらを取り扱う店が「林檎屋」、商人を「林檎売り」と呼ぶ。
「はぁ、良かった。血は吸われないのね」
ミランドラに行くにあたり、実はそこが一番気になっていた。観光客が多いと言うのも良い。宿が充実していそうだ。事前学習を終えた芽亜はタブレットを閉じ、窓の外の景色に目を向けた。
********
「レン。ちょっと良いか」
自室で報告書の整理をしていたレンは、扉の外から掛けられた声に片眉を上げる。
レンが部屋に居る時は大抵書類仕事をしている為、余程の事が無い限り誰も来ないのだ。
緊急事態ですら、内線電話を使う。
「ジェイド?どうした?」
どうぞ、と入室を促すと同時ににジェイドが部屋に入って来る。その顔を見たレンは一言「良いよ」とだけ言った。
「なっ……!お、俺はまだ何も、」
「メアちゃんの所に行きたいんでしょ?良いよ行って来て。こっちの事は気にしなくても良いから」
お前も居心地悪そうだし、丁度良かった。そう言うレンに、ジェイドは思わず目を伏せる。
――嫁いで行った妹に重ね合わせ当初から芽亜に甘かったアイカーは元より、男兄弟ばかりの末っ子サフィールは芽亜を「お嬢」と呼んで妹の様に可愛がっていた。
彼女が飛空艇から降りる際、何かをこっそり渡していたのを知り嫉妬に駆られ問い詰めたが、頑として口を割らなかった。
後にクリストルが「護身用に特殊改造した短剣を渡した」とこっそり教えてくれて、仰天した。
そのサフィールから「お嬢があんな真似したのはジェイドのせいだ」と詰られ、更に周りや兄に諫められてもジェイドに対する冷淡な対応を変えようとしないその態度に、確かにこの所参って来てはいた。
「……そう言う訳じゃない」
そう。それだけじゃない。メアは不戦勝になっている。次の日程は既に決まっている筈だ。
次の対戦日時は自分には分からない。早くメアに会わないと、また彼女の手を汚させてしまう。
……メア。あの時何度も俺に話を聞いてくれと言っていたのに。俺が造られた人間なのかなんてもうどうでも良い。耳輪は確かに記憶の一部に干渉をしていた様だったが、アレが無くなった後もメアへの思いは結局変わらなかった。彼女を愛している。この気持ちは偽物じゃないと断言出来る。
ごめん。お前に酷い事を言って、暴力を振るって、心と身体を傷付けた。お前を信じなかった。
今度こそ、絶対にお前を守るから。側を離れないから。二度と傷付けないと誓うから。
――だから。どうか俺を許してくれ。
********
芽亜は<常闇の街>で予想以上に快適に過ごしていた。
宿も直ぐに見つかった。そして観光客が多いと言われるだけあって、薄暗い街並みの中にあっても非常に活気があり、街をフラフラと散歩するだけでも十分楽しかった。
更に、偶然入った小さな定食屋の常連に「林檎売り」の男が居た。
東のミナヅル出身だと言うその男は、芽亜を見かけ気さくに話掛けてくれて、お陰でミナヅルの情報も色々手に入った。ミナヅルはどうやら日本に近い文化が根付いている様子で、芽亜はこの世界に留まる結果になってしまった場合はミナヅルで暮らそう、とひっそり思っていた。
◇
芽亜はすっかりお気に入りになった定食屋でタブレットを開きながら、対戦の時間を確認する。
本当は昨日、ミランドラを立ちカルナックへ向かう予定だったが、件の「林檎売り」西條から、絶対に効くと言うミナヅル産の酔い止めを貰った。
「東の人間は転移酔いする奴が多いんだ。これは体質に合わせて作ってあるから」
自信満々に言われ、半信半疑ではあったがどうせ戦う訳ではないのだから、と特に試す事もせず転移魔法でカルナックへ戻る事を決めた。
「あれー、お嬢ちゃんじゃないすか」
まだ時間はある、とのんびりと紅茶を飲んでいると、聞き覚えのある軽薄そうな声が聞こえた。
芽亜は振り返りもしない。
「ホストっぽい神様。まだ居たの?」
ただ一言、そう冷たく言い放った。
「えー、何すかその冷たい反応」
言いながら男は相変わらず断りも無しに芽亜の向かいに座る。そして頬杖をつき、その嫌になる位整った顔を此方に向けた。
「自分達はお役目終わったんで、本来はもう帰っても良いんすけどね。弟クンがせっかくだから最後まで見届けてから帰るって珍しく真面目な事言い出したもんで」
自分も付き合わされてんすよ、と男は苦笑いをしていた。ふぅん、と興味無さそうに相槌を打つ芽亜を、男はおや?と言う風に見つめる。
「お嬢ちゃん、何かあったんすか?」
「別に?」
食い気味に返事をする芽亜に、男は興味深そうな顔をした。碌に力の使えないこの世界には飽き飽きしていたが、何だか面白い事が起きそうな予感がする。
「そうそう。もう名前口に出しても良いっすよ。自分、『ロキ』って言うんす」
「全然知らない。誰?」
ロキは多少たじろいだが、直ぐに気持ちを切り替えた。その方がむしろ都合が良い。
「いや、知らなくて良いっすよ。ところでお嬢ちゃん。こんな所で独りぼっちで何してるんすか?」
ほんの少しだけ距離を詰め、ほんの少しだけ声を甘く低くする。勘の良い女程、この手には引っ掛かる。案の定、目の前の少女も、それまで合わなかった目を合わせて来た。
「今、弟クンとは別行動なんすよ。お嬢ちゃんには世話になったし何か協力出来る事があれば言ってくれれば何とかするっすよ?」
本当は駄目なんすけどね?そう言い、困った様に笑って見せると、少女は意を決した様に頷きポツポツと喋り始めた
◇
「成程。一番面倒くさい部分を一番面倒くさいタイミングで聞かれちゃったんすねぇ」
少女の話を聞きながらロキは、神妙な顔をしつつ内心は笑いだしたいのを懸命に堪えていた。
(これは面白い事になったっすねぇ)
「で、お嬢ちゃんはこの世界で暮らす事になったって事っすね。協力……そうっすねぇ、自分はこの世界じゃほとんど力使えないんすけど、『加護』なら与えられるっすよ?」
ただし、とロキは芽亜の顎を掴むと至近距離まで顔を寄せた。
「それなりに直接的なやり取りが必要にはなって来るんすけどね?」
男は芽亜の瞳を覗き込みながら、妖しく美しく、微笑んでいた。
◇
芽亜は目の前の男を今にも殴りつけたい衝動を懸命に堪えていた。
ちょっと、いやちょっとじゃないけど、とにかく顔が良いからって何でもかんでも女の子がそう簡単に気を許すとでも思ってるのかしら。
――話掛けて来た時から警戒はしていた。声のトーンを変えてきた辺りで一層警戒を強め様子を見ていたが「協力」と言われたから何か利用出来る事はないかと思って敢えて色々話したのに。
上体を乗り出したロキに顎を掴まれ、距離を一気に詰められる。
「かーわいい」
顔を逸らしても強引に男の方に向けさせられ、軽く耳朶を舐められた辺りで芽亜の我慢も限界に達した。
「あー!もう!神様って見た目若くてもやっぱり中身は爺なのね!もう全っ然駄目!感性が古い!そんな昔っぽい口説き方で女子高生落とせるとでも思ってるの!?」
顔を振り払い、耳をゴシゴシ擦りながら怒りに任せて叫ぶ芽亜を、ロキは呆然とした顔で見つめる。
「お、お嬢ちゃん?」
「因みに!私はまだ負けてないんだからね!?ジェイ……彼が居なくても勝ったんだから!」
プンプンと怒ったまま、立ち上がり出て行こうとした芽亜をロキが慌てて引き止める。
「勝ったってどういう事っすか?今パートナーいないんすよね?」
「そうだけど。知りたい?」
「知りたいっす」
芽亜はクスリと笑うと背伸びしてロキの耳元に唇を近付ける。そして小さく囁いた。
「相手に毒を盛ったの」
「はぁ!?」
「だって。そうしないと勝てないもの。今日も一応作戦は考えてるの。上手く行くかわかんないけど」
そう微笑む芽亜に、ロキは呆れながらも至極当たり前の事を言う。
「仮に今回上手くいっても、そういつまでもは無理じゃないすか?」
「わかってる。今日の次が決勝でもそうじゃなくても、その時は私が戦うから」
「お嬢ちゃんが!?」
「そう。私が」
きっぱりと言い切る芽亜の顔を見て、ロキはこの世界に残って良かった、と心底思った。この人間の娘は本当に面白い。正に予想外の事をしでかしてくれる。
――爺呼ばわりは流石に傷付いたけれども。
「ハハ、許されるなら連れ帰ってウチの息子の嫁にでもしたい所っすけど、今回は良い物あげるっす。戦うんならコレ使えば確実に勝てるっすよ。でも、確実に後悔もする事になる。使うか使わないかは良く考えるんすよ、お嬢ちゃん」
そう言いながらロキはピアスを外し、中に入っている液体をユラユラと揺らす。
「こっちの銀色の液体はウチの子の毒っす。で、金色の方がその治療薬」
「って言うかお子さんが居るのね」
「先ず気にするトコ其処なんすね。居るっすよ?その内一人はこっちに連れて来てるんすけど、お嬢ちゃんをここで見つけたのもウチの子っす」
どこどこ、とキョロキョロする芽亜に苦笑しながら「ここ」と己の腕を差す。
狼が巻き付いた特徴的な腕輪。そう言えば、初めて会った時にソレに向かって何か話掛けていた。
「あっ、フェンリル!?」
「そうそう」
へぇー、と感心しながら腕輪をマジマジと眺める。お子さんだったのか。
「素敵な名前だね」
腕輪に向かって微笑みかけると、腕輪がこっちを見ている様な気がした。
◇
「はい、コレ」
店の外に出た後、ロキは芽亜にピアスを握らせた。
「決勝、日程分かったら観に行くっすよ。コイツも観たいって言ってるし」
腕輪を掲げ、ロキは小さく笑ってみせた。
「……ありがとう」
ピアスをしっかりと握り、消え入る様な声でお礼を言うと芽亜はそのまま走り去って行った。
その後ろ姿をじっと見送る。腕輪と化した息子が咎める様な気配を出しているのが分かる。
「毒を渡した事に怒ってるんっすか?全く、あの子は『親父殺し』ならぬ『神殺し』っすねぇ」
やれやれ、とロキは大きくため息を吐き、我が子を宥める様に腕輪をそっと撫でた。