20・暗夜を往く少女
「じゃあ行って来ます」
対戦当日になり、芽亜は鞄を持って早朝に部屋を出発した。
本来の集合時間よりも2時間は早く着く様にしておかなくてはならなかった。
日時が早まった事をウィーナに伝えた時、彼女は特に不思議がる様子は見せなかった。
「あぁ、終盤になって来ると対戦を拒否するペアも結構出て来るから。その影響かもしれないわね」そう何でもない事の様に言っていた。
ラヴィニアと再会する前の自分なら、きっと冷めた受け取り方をしていたのだろう。
今は、それぞれに想いや事情があるのだと言う事は良くわかっている。
それは、私自身にも。
芽亜は鞄の中身にチラと目を向けながら、迷いなく前に向かって足を進めた。
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レンは、食堂でどこかボンヤリとしながらサラダを突き回しているジェイドを横目で窺った。
その右手は包帯で覆われ、顔の右半分には分厚いガーゼが貼られている。
先日、魔獣の討伐の任に付いていたジェイドが血塗れで帰還した時には団員全てが仰天したものだ。
ジェイドの実力なら、全く大した仕事では無かった筈だ。だから単独任務にしたのに。
あれから様子がおかしいのはわかっていた。だがここまでとは思わなかった。
――彼女が使っていた部屋のベッドに腰掛けて何時間も考え込んでいたり、街中で似た様な背丈をした黒髪の女を目で追っていたり、飲みに出かけた時に通りかかった宝石店の、ショーケースに陳列してある如何にも黒髪に映えそうな真珠の髪留めをじっと見ていたり、と余りにも分かりやす過ぎる反応に、最早誰も口を挟んだりはしなかった。
しかし仕事に支障を来す様では困る。本人だけならともかく、周りが巻き込まれる事態だけは断固として避けねばならない。
さて、どう伝えたものだろう。
レンは団長就任以来の、困った事態に大きくため息を吐いた。
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思惑通り、時間よりもかなり早く闘技場に着いた芽亜は、足早に控室へ向かった。
入り口で赤い旗を掲げていた受付の仮面に「パートナー様は・・?」と聞かれた時には冷や汗を掻いた。だが、仕事先から直接来る事になっているが時間には間に合うと思うと答え、事なきを得た。
案の定、控え室の周辺には仮面は居ない。芽亜は持っていた鞄からコルク栓で蓋をしたガラス瓶を取り出した。ガラス瓶の中には、水が入っている。底に沈んでいるのは斑の葉。
コルク栓を抜き、葉を縛っていた糸を引いて中から葉を取り出す。再び栓をしたそれを抱きかかえると、素早く相手側の控室へと向かった。
(良かった。まだ相手は到着してない)
初戦の時こそ、控室には何も置いてはいなかったが、回数が進むにつれて水やお茶、場合によってはジュース類などが用意してある事があった。係の仮面によって色々対応が違うのかもしれない。
今回は水差しとグラスが用意してあった。芽亜は水差しを抱え、手洗いに走ると中に入っていた水を一気に捨てた。そして部屋に戻ると、持って来ていたガラス瓶の中身を水差しに移し替える。
そこまでやり終えると、周囲を窺いながら来た時と同じく素早い動きで自らの控室へと戻って行った。
◇
一人でポツンとソファに座り、手持ち無沙汰に天井を見る。上手くいくだろうか。まぁ別に、失敗したならそれはそれで仕方がない。自分はここまでだったという事だ。
朝早くから出て来たせいで少し眠い。芽亜はちょっとだけだから、と目を閉じた。
『芽亜。悪い事した時はちゃんと謝らないと駄目だよ』
『やだ。芽亜悪くないもん』
『もう。――ちゃんが付いて行ってあげるから』
「っ!」
芽亜はガバッと起き上がった。
ここの所、頻繁に見る夢。夢から覚めた後は、泣きたい様な懐かしい様な妙な気分になる。
時計を見た。先程から丁度30分が経過している。芽亜は、相手控室の様子を見に行く事にした。
◇
周囲を警戒しながら慎重に近付いて行く。耳を澄ましてみても、特に何も聞こえず静かなものだった。
(まだ来てないのかな)
ギリギリに来られると厄介だな。水とか飲まないかもしれないし。そう思いながらそぅっと室内を覗き込んだ芽亜の目に飛び込んできたのは、床に倒れ伏しピクリともせずに真っ青な顔で震える少女と青年の姿だった。
◇
担架で運ばれる二人を見つめる芽亜の元に、仮面がスッと近付いて来た。
「メア様。お知らせ下さりありがとうございます」
「あ、いえ……」
――苦しむ二人を目にした瞬間、芽亜は闘技場の入り口に向かって走った。
受付の仮面に声をかけ『パートナーがなかなか来なくて、部屋を間違えたのかと探しに行ったら偶然発見した』と言う趣旨の内容を伝えると、そのまま仮面と一緒に走って戻った。
医務室から駆け付けて来た医者風の仮面が二人を診ながら首を捻る。
「麻痺から来る呼吸困難だな。何でこんな事になったんだ?」
「貴女は大丈夫ですか?」
そう聞かれ、芽亜は無言で頷く。
「麻痺毒の解毒はしたから、命には別状ないでしょう。ただ、この後戦うのは無理でしょうね」
医者は他の仮面にそう伝えると、医務室に戻っていった。
「メア様。あのお二人は解毒が終わり次第病院へ搬送致します。本日メア様は不戦勝でございますね。後でポイントの確認をなさっておいて下さい」
「はい、わかりました」
去って行く仮面を見つめていた芽亜の胸中に去来したのは、目論見が上手くいった達成感でもなく、かと言って罪悪感でもなかった。これでもう後には引けなくなった。ただ、その思いだけだった。
◇
芽亜は紅茶屋エーベルに戻り、事の次第をウィーナに報告した。勿論、痺れ草を盛った事は言わずに、仮面に話したのと同じ内容をである。
「え!?対戦相手が二人とも具合悪くなっちゃったの!?それで不戦勝?」
珍しい事もあるものね、と呟くウィーナに芽亜は曖昧な笑いを返した。
「あ、じゃあまだタブレットは返却してないのね?」
「はい。不戦勝って言われて、返しそびれちゃって」
とは言え、同じ手はもう使えない。今回だって恐らく、まさか出場者が対戦前に相手に毒を盛るとは誰も思ってはいなかっただろう。だから、疑われる事が無かっただけの話だ。
(この後は、どうしよう)
芽亜は頭をフル回転させ、今後の事をずっと考えていた。
********
「おーい皆。懐かしい客連れて来たぜ」
王都に停泊を続ける飛空艇の中、食堂にサフィールの声が響き『銀の鴉』の面々は一斉に其方を向いた。
「久しぶりだなーお前ら。元気だったか?」
「ガーディー!」
豪快な笑い声と共に食堂に姿を現したのは、ガーディーと呼ばれる初老の大男だった。
「鋼の鬣」の異名に相応しい、黒味がかった銀髪の筋骨隆々のこの男は、”銀の鴉”の創設メンバーの一人でもあり、今は引退をしているものの、時々新設の傭兵団などに訓練をつけてやったりしていると言う。
現メンバーは全員、この男に武術指導を受けていて、言わば第二の父親の様な存在でもあった。
「ガーディー、何で王都に?噂じゃ、南のエリエイザに居るって聞いてたのに」
「末の娘夫婦に子供が生まれたってんでな、顔を見に行って来たんだよ」
「へー、そりゃおめでたいな」
盛り上がる団員達の横で黙々と酒を飲んでいるジェイドにガーディは揶揄う様に笑いかける。
「ジェイド。お前相変わらず暗い顔してんなぁ」
「ちょっと前まではそうでもなかったんだけどね。ガーディー、せっかくだからゆっくりして行きなよ」
レンはそう言うと、厨房に向かってデクスターに何かつまみを作る様にと叫んでいた。
◇
「そう言えば、ちょっと野暮用があってカルナックにも行ったんだけどな。珍しい事があったんだよ」
「珍しい事?」
「おぅ。そん時、偶々(たまたま)闘技場の前通ったんだけどな、『花と剣』だっけ?アレの出場者らしき女の子が居たんだよ。何かやたら仮面つけた連中がウロウロしててさ、思わず聞き耳立てちまったんだけど、どうやら対戦前に片方のペアになんかあったみたいでな」
カルナック、と言う言葉にピクリと反応したジェイドに気付かないまま、ガーディーは話を続ける。
「その子が『パートナーを探しに行ったら見つけた』とか何とか言ってて、そのペア、何かの中毒症状を起こしてたらしいぜ。で、その子は不戦勝って事になって帰ってったんだが、そんな事もあるんだなぁって思ってよ」
「つーか、アンタずっと盗み聞きしてたのかよ」
サフィールがガーディーを指差し、呆れた様に言った。
「いや、その見かけた子がエラい別嬪だったからな。つい年甲斐もなく見惚れちまってたんだよ。黒絹みたいな黒髪がこう、胸元にサラサラかかってて、真珠みてぇに白い肌にでっかい瞳は黒曜石。余程怖かったんだろうな、紅珊瑚色の唇をギュッと噛んで強張った顔してたぜ」
見た目にそぐわない詩的な表現を使うと、あれは東の出身だな、と付け加えた。
――食堂に沈黙が落ちる。
「いやー、あんな上玉久々に見たよ。俺が後50歳若かったらなぁ。拉致って帰って……」
「っ!ガーディー!」
「うわっ!何だよ!」
突如大声を出したレンに、ガーディーは目を白黒させた。レンは苦笑いをしながらガーディにチクリと釘を刺す。
「いやごめんごめん。ガーディー、アンタに憧れてる新人はこの船にも大勢いるんだ。あんまり乱暴な事言わないでよ、真似されたら困るだろ?」
「あー悪い。ちっと調子に乗り過ぎたな。じゃ、俺はそろそろ行くよ。明日まで娘夫婦んとこに泊まってんだ。遅くなると悪いからな」
来た時と同じ様に豪快な笑い声を残し、ガーディーは帰って行った。
◇
「……レン」
「ハァ……。うん、そういう事だろうね」
心配そうなアイカーに、レンは軽く頷き返す。
「な、何だよ。意味わかんねーよ。お嬢がどうしたっつーんだよ」
困惑を隠せない様子のサフィールに、敢えてジェイドを見ない様にして説明をする。
「ガーディーの話に出て来た『女の子』は恐らく僕達の良く知ってる『彼女』だよね。聞いてた話より随分早い日程だったのが気になるけど、彼女には今パートナーがいない筈なんだ。なのに、何故『パートナーを探してたら』なんて言ったのか。そして、彼女はなぜ不戦勝だったのか」
「相手が棄権したからだろ……?」
「彼女にはパートナーが居ないんだよ?何故不戦勝を受けた?むしろ棄権すべきなのは彼女の方だ。つまり、そこから導き出される答えは一つだよ」
レンは言葉を切り、暫し沈黙する。そして再び口を開き、言葉を続けた。
「恐らく彼女は相手側に中毒症状を起こす何かを盛ったんだ。パートナーの居ない自分が勝つ為に」
◇
――重苦しい沈黙の満ちる中、意外な人物がその空気を破った。
「……あの子はとても素直な子でしたよね。でもボクは、彼女を軽蔑したりはしません」
コトン、と果物の乗った皿を置きながらポツリと呟くその人物を皆が一斉に注目する。
「デクスター……」
すいません、生意気言って、とそそくさと厨房に引っ込んで行くその後ろ姿を団員達は無言で見送った。
「……俺も」
「オレもだ」
「私もです」
「俺もだよ」
「俺もー」
そして誰からともなく、果物を一切れずつ摘みながら団員達は口々に言葉を発して行く。
そんな団員達を見ながら、レンはフッと笑った。
「勿論僕もだよ。彼女はきっと覚悟を決めたんだ。決めた上で、その無垢な手を汚す事を選んだ。何時までもうじうじしている何処かの誰かさんより、余程肝が据わってるよ」
その言葉を皮切りに、顔を伏せたまま動かないジェイドを置いてそれぞれが自室に戻って行く。
「メア……」
誰も居なくなった食堂で、ジェイドは一人、何時までも顔を上げられないでいた。




