02・異世界へ
「う・・」
少女はゆっくりと目を開けた。微かな頭痛に、思わず眉を顰める。
あれ、寝落ちしちゃった?でも、今日はまだ2時間もプレイしていない筈だけど。
何時もコレをプレイした後は頭がボーッとするんだよね。のめり込み過ぎかなぁ。
ブツブツ独り言を言いながらベッドから起き上がり、ボンヤリとした頭で何となく辺りを見渡す。
それにしても、今日の頭痛はちょっと強い。
「お母さーん!頭痛い、痛み止め出しておいてー」
階下の母に向かって大声で呼び掛けながら、ベッドから降りてフラフラと歩き出した。
「ん……?」
ベッド横の大きな鏡に映った自分の姿をふと、まじまじと見つめる。
肩より少し長い位のサラサラとした黒髪は右側で緩く編み込まれ、銀細工の髪留めが付いている。
濃緑色のブラウスには襟元に同色のリボンタイがあしらわれていて、下は黒いミニのプリーツスカート。足元は黒のタイツに銀色のアンクルストラップヒール。
そこからスラリと伸びた足は太過ぎも細過ぎもせず、弾ける様な瑞々しさに満ち溢れている。
(やば……ちょっと太ったかな)
少女は腹周りの肉をちょっと摘みながら鏡の前から離れた。
「お母さー……」
――少女の動きが止まる。一瞬の後に、ダッシュで鏡の前に戻った。
「え?え?何?何で私こんな格好してるの?」
昨夜は髪をゴムで手早く括り、何時ものTシャツと短パンでPCに向かっていた筈なのに。
深呼吸をしながら、改めて部屋を見渡す。今まで自分が眠っていたのは天蓋付きのベッド。
豪華なシャンデリア。立っているのはフカフカの絨毯。
自分の部屋にはシャンデリアなどは無い。お気に入りの鏡台も見当たらないし、従って此処は自分の部屋では無い。事態を認識した途端、少女は甲高い悲鳴を上げた。
「きゃあぁぁー!!何!?やだぁー!お母さん!」
ベッドの上に飛び乗り、反射的にシーツで体を包む。
「おはようございます。行平 芽亜さん」
「きゃ――――!!」
更なる悲鳴を上げて恐怖に震える少女、芽亜の前に金色の仮面を付けたローブ姿の人物が立っていた。
「やだ、誰!?」
「落ち着いて下さい、行平さん。まず幾つか確認をさせていただいてよろしいですか?」
片手を目の前に差し出し、まぁまぁ、と宥める様なポーズを取る黄金仮面。
芽亜は全く落ち着いてはいなかったが、16歳の乙女としては見ず知らずの、声からすると恐らく男、の怒りを買うのは得策では無いとそこは冷静に考えた。仮面の男から視線を外さないまま、こっくりと頷く。
「貴女は、”花と剣”と言うPCゲームをプレイなさってますよね?」
え?確認ってそれ?困惑しながらも、再度頷く。
「えー、貴女様は獣人・人狼型で”ジェイド”と言うキャラクターを作成され、複数使いはせず、ほぼそのキャラをメインに使用されてますね。で、現在のレベルは92、と」
上限が300ですから、まだ高いとはいえませんね。
タブレットの様な物を見ながらそう言う黄金仮面を、芽亜は呆然と見つめていた。
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”花と剣”とは乙女ゲームとアクションゲームが合体した様なゲームで、若い女性を中心に爆発的な人気を誇るPCゲームだ。
プレイヤーは設定したキャラの”守るべき少女”=パートナーとなり、魔物や他のプレイヤーと戦ってレベルを上げたり、恋愛イベントをこなしたりしながらキャラとの親交を深めて行く。
バレンタインやクリスマスなど、現実の季節イベントにも連動していて、親愛度をきっちりと上げておけば自分の作ったキャラクターと甘い時間を過ごす事が出来るのだ。
そして、最大の人気の秘密は細かいキャラ設定に有る。
ゲームをスタートすると先ず性別を選択し、名前と誕生日を決めた後「獣人」「鳥人」「昆虫族」「爬虫類族」「竜人」「妖精族」の6大種族を選び、その中から更に枝分かれをする”型”を選ぶ。
誕生日は基礎パラメータへの影響は無いが、当日レベルアップするとボーナスポイントが入る。
体つきも、身長・体重、そして年齢を入力すると画面にそれに見合った体形をしたフィギュアが現れ、1グラム単位で部位選択式の肉付けが可能、目や鼻の位置もミリ単位で調節出来る。
髪や体毛の長さ・色は元より、瞳の色も片目ずつ決められ、色味にグラデーションも付けられる。
皮膚の色、黒子にタトゥー、傷痕までも自由に造る事が可能で、驚くべきことに衣服まで自分でデザインが出来るのだ。そこまで手を加えられるので、自分の思い描いた通りの、他には無い自分だけの外見のキャラを持てる。
性格も「短気」「好奇心旺盛」「残虐」「陽気」「陰気」「冷静」「温和」「強引」「臆病」「繊細」の10の中から3つまで重複させる事が出来、各性格には選択した時に稀に現れる特殊スキルが有る。
重複させている場合は、その内のどれか一つの性格で出現するのだが、そもそも特殊スキルの発現確率は非常に低く、種族の特徴を生かせるスキルを付与させたい場合などはリセットを繰り返すなどして、途轍もない時間が必要になる。
そこまで設定し終えると最後にキャラの詳しい特徴と紹介を入力して完了になる。
これはキャラの外見には反映されないが、例えば「王立魔法学院に通っている」と設定した場合、NPCにその関係者や他の生徒が登場する、と言う事が起きたりする為、プレイヤーはこの部分にこそ力を入れる。
更に、細かい設定が可能な故に、キャラの性格とかけ離れた行動を取り続けたり2週間以上プレイしないで放置したりすると親愛度が下がり、最低ラインまで行くとキャラが離反、プレイヤーの元から離れて行ってしまうと言った事態も起こる。
その場合、直ぐに迎えに行けば取り戻せるが、手遅れになるとNPCになってしまう。
全く同じ設定のキャラは作れない為、自分が手塩にかけて育てたキャラがただ街を行き交うのを指を咥えて見ているだけになるのだ。
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芽亜の作ったキャラクターは名前はジェイド。年齢は23歳。
パーソナルデータは「男・獣人・人狼型」「身長179cm・61kg」「漆黒の髪・褐色の肌・緑の瞳」性格は「強引・陰気・繊細」
<傭兵団”銀の鴉”に所属。団長、副団長に次ぐ№3の実力。普段はパートナーに対して素っ気ないが、内心ではとても大切に思っている。疑り深くて執念深い。魚が嫌いで果物が好き。パートナーを良く見ていてその変化にも直ぐ気付く。普段は慎重に行動するが、パートナーを思う余り思わぬ行動を取る事がある>
――余りに理想通りの外見で出来上がった為に愛着も深く、レベルアップ時に思い通りにパラメータが上がるまで何度もリセットを繰り返す、という気の遠くなる様な作業も嬉々として行った。
そのこだわりのお陰で、14歳の時に初めて買って貰ったPCでゲームを始めたにも関わらず、進行が遅く芽亜16歳の現在、ジェイドのレベルは92しかない。
「でも、普通に育てた92レベルと比較すると”ジェイド”の能力はレベルの倍以上ありますねぇ」
おまけに”陰気”の特殊スキル”嫉妬”まで付いてるじゃないですか。
感心した様に言う仮面男に、芽亜は僅かに警戒を解き小さく笑顔を浮かべた。
それはもう、苦労したのだ。”ジェイド”をここまで育て上げるのに。
先ず、性格に”陰気”が含まれていると初期の親愛度が非常に上がりにくい。
身体に触れたり話しかけたり、スキンシップを頑張っても基本ネガティブに捉えられほとんど上昇しない上に、かと言って日々の接触を怠ると親愛度が大幅に下がったり、とかなり面倒くさい。
しかし、戦闘に勝つと相手のパラメータから好きな能力値を1ポイント奪える”嫉妬”という特殊スキルを隠し持っているのだ。
戦闘終了時に画面が切り替わり、キャラが戦った相手について何か話しかけて来たらスキルが発動した証拠であり、その時に、例えば「攻撃が良かった」などと答えるとキャラが”嫉妬”して相手からその能力値を奪う。
発動確率は五分の一程度だし奪えるのは1ポイントのみ。
さほど魅力が無さそうな能力だが、”嫉妬”で奪った能力は個体の上限値を超えて付与させる事が出来る。
芽亜はこのスキルをどうしても付けたくて性格に”陰気”を取り入れたのだが、親愛度によって装備品が手に入る限定イベントなどには、初期値が低い”陰気”は出足が遅れがちになる。
そこで、機嫌が良い時には親愛度が爆上がりする”強引”、ついでにスキル発動率が少し高くなる”繊細”を付け足し、ここにようやく、芽亜の”ジェイド”は完成したのだ。
◇
苦労の甲斐あって、ジェイドは高レベルの相手にもすんなり勝つ事が出来る様になり、親愛度もかなり高くなって来ている。強いて不満を言うなら、ここ最近の”嫉妬”スキル発動時の台詞が段々病んできて怖くなった事位か。
(親愛度で台詞変えてくれるのは大歓迎だけど、ちょっとアレはやり過ぎ)
最初に発動した時には、普通の立ち姿で「ん?コイツもなかなか良かったって?何処が?」と、軽く聞いて来ていたのに、親愛度が上がるにつれ、ジェイドが画面に向かって少しずつ近づいて来る様になり、台詞もより”嫉妬”混じりのモノに変わっていった。
それでも、”画面に段々近づいて来るとか、貞〇みたーい”と笑っていられたのだが。
今は心なしか濁った様な昏い眼で「……今度は……何なんだ……?俺以外の何に、そんなに心を奪われる……?」と画面に手をかけ、覗き込む様に問い詰めて来る様子を初めて目の当たりにした時は正直震え上がった。病み要素は全く入れてないのに。何でこんなヤンデレまっしぐらになっちゃったんだろう?
一人、考え込んでいた芽亜は軽い咳ばらいを聞いて慌てて我に返った。
黄金仮面はクスクス笑いながら、芽亜に「回想は終わりました?」と楽しそうに聞いて来る。
マズイ、この人ずっと放置してた。
「す、すいません!えっとあの、貴方はゲーム会社の方ですか……?」
芽亜は身体を覆っていたシーツを外し、ベッドの縁に腰をかけ、仮面男に向き合った。
――ゲーム会社の人間は誘拐も、勝手に服を着替えさせたりもしない。
そんな大事な事が、頭からすっぽりと抜け落ちていた。
「いいえ。コレを作ったのは確かですが、所謂会社の人間ではありませんよ」
じゃあ何。誰なの?最初の恐怖と不信感は完全に麻痺した挙句に何処かへ行ってしまい、純粋に疑問だけが募る。
そんな芽亜の考えを読んだ様に、仮面の男は微かに笑って「神です。この世界の」と事も無げに言った。