19・内なる囁き
芽亜は走り去るジェイドの背中をボーッと見つめていた。
(そう言えば、さっきもこんな風に見送ったな……)
『お前の顔なんか二度と見たくない!』
そっか。もう私はジェイドに会えないんだ。嫌われちゃったから。
どうしたら良かったのかな。どうするのが正解だったの?
――あぁ、やっと貴方への想いを素直に認められたのに。もう手遅れだったなんて。芽亜はゆっくりと目を閉じ、そしてそのまま床に崩れ落ちた。
「メア!?」
「メアちゃん!」
ネリとウィーナの悲鳴が微かに聞こえた所で、芽亜の意識は闇に落ちていった。
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『芽亜の恋愛運は……おー、なかなか良いじゃない。運命の人と巡り合える星が出てるよ』
『ホントに!?誰?ダイキ君?』
『いやいや、個人名はわかんないから』
『ざんねーん。――ちゃんの占い、凄く良く当たるんだもん』
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「う……」
「あっ!メアちゃん起きた!」
芽亜は薄っすらと目を開けた。この何日かで見慣れた天井。カルナックの借り部屋。
「ウィーナさん……?私、どうして……」
「ネリの家で倒れたの。傷は浅かったから、オリオンを呼んで転移魔法でウチに連れて帰って来たのよ。傷口の消毒はきちんとしてあるからね?。そうそう、安心して。頬の傷は痕が残らなくて済みそうですって」
「……ありがとうございます」
芽亜は上体を起こしウィーナ夫婦にお礼を言った。
「あー、まだ寝てて。ネリに連絡して来るから。彼女、元パートナーの身内に狙われてるから夜遅くなりそうな時は自宅から出られないの。でも、凄く心配してたよ?」
後でお砂糖たっぷりのミルクティー持って来てあげるね。そう言い残し、ウィーナは部屋を出て行った。
◇
芽亜はそろそろとベッドから降り、鞄から通信機を取り出した。
もう必要ない物だが、これは借り物だ。捨てる訳にも行かないし、どうしたものだろう。
取り合えず、電源をオフにしたまま窓辺に置いた。
「はぁ……」
ゆっくり、大きく深呼吸をする。意を決して右手に手をかけると同時に、緑石の指輪を指から引き抜いた。そして直視しない様にしながら鞄の奥底に放り込む。
――パートナーであるジェイドを失った以上、もう元の世界には帰れない。こちらで生活していく為に、きちんと住む所と働き口を探さなくては。タブレットを取り出し、賞金の残高の確認をする。ジェイドには申し訳ないが、これは使わせて貰おう。あぁ、そろそろお金降ろしに行って来ようかな。
そう思いながら窓から外を見る。外はもう夕闇に包まれていた。結構な時間気絶していたのだな、と思い知る。
「……明日で良いか」
「メアちゃーん!紅茶持って来たよー!」
芽亜がベッドに腰掛けた所で、部屋の外からウィーナの明るい声が響いた。
********
「あ、お帰りージェイド」
飛空艇へと戻ったジェイドに、のんびりとしたレンの声がかかる。
「メアちゃん元気だった……って、どうしたんだ?」
強張ったジェイドの顔を見て、レンは眉を顰めた。
「別に何でもない。後、アイツの話はするな。もう俺には関係無いんだ」
「は?関係無いってどういう事なんだよ」
不穏な空気を察し、仲間達も近くに集まって来る。
「……アイツは俺を騙してたんだ。誘拐された訳じゃない。異世界人だったんだよ。それに俺を」
造ったと言っていた。その言葉は言える筈もなく、ジェイドはキツく唇を噛む。
「とにかく!俺の前でアイツの話はするな。カータレット、後でこれからの仕事内容教えてくれ」
それだけ言い捨てると、ジェイドは足音荒く自室の方へ向かって歩いて行った。
「ハァ……メアちゃん出て行った時から何となく嫌な予感はしてたけどね。まぁ良い。ジェイドも大人なんだし、自分が何言ってるか位わかってるだろ。俺達は下手に干渉すべきじゃないよ。取り合えず、ジェイドの前でメアちゃんの話は禁止ね。はい、以上」
「お、おい、レン……」
『銀の鴉』の面々は、それぞれに戸惑った顔のまま、レンの後ろ姿を呆然と見ていた。
********
芽亜は翌朝、カルナックの街へ出掛けた。郵便局でお金を受け取ると、その足でウィーナに教えて貰った職業紹介所に向かう。ウィーナは「ウチで働けば良いじゃない」と言ってくれたが、そこまで甘えるつもりは無かった。紹介所に着くと、係の女性に言われるがままに用紙に記入をして行く。
氏名に生年月日。種族に希望の職種。
「えーと、種族は人間。魔法は使えません、と。希望の職種かぁ……どうしよう」
ネリの様に占いも出来ないし、料理も出来ない。裁縫はまぁまぁだけど、仕事にする程ではない。
「そうだ!希望、じゃなくてやりたくない仕事を書いておこう」
芽亜は思いつく限りの『出来れば避けたい仕事』の内容を記入し、矢印を書いて『上記以外の仕事なら大丈夫です』と付け加え、用紙を提出した。
◇
職業紹介所の帰りにパン屋でパンを買い、更にフラリと立ち寄った雑貨屋で、一目惚れした大きな革のトランクを購入し、それを抱えて帰る頃にはすっかり昼を回っていた。
パンを齧りながらトランクに荷物を移し替えていると、ベッド脇に放り投げていたタブレットが点滅しているのに気付く。確認をすると、新着のメッセージを受信していた。
今更、と思いつつも、つい癖でメールを確認すると<対戦日時変更のお知らせ>とあった。
「ふぅん、日程変更か……って、10日後!?うわ、20日近く早まってるじゃない!」
声を上げて驚いた後、ふと我に返る。そうだ。私にはもう関係無いんだ。
「あ、じゃあタブレットはその時に返せば良いか。不戦敗の手続きしないといけないし」
その後、『記憶の消去』を選択するのも良いかもしれない。うん。そうしよう。
――この引き千切られそうな胸の痛みも後少し。そう思うだけでほんの少し心が軽くなった気がした。
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職業紹介所に行ってから丁度1週間経ったが、なかなか仕事の連絡は来ない。
芽亜は紅茶屋のエプロンを身に着けたまま、街中を歩きながらずっと考え込んでいた。
(やっぱり、あの書き方はまずかったかしら)
――ここの所、暇ならちょっと手伝ってとウィーナに頼まれ、店番や配達などをこなしていた。
そして今日はお使いである。3日前に、紅茶屋の裏手にあった物置を新しくする為に取り壊した。「こういう時に、ネズミが出るのよね」
そう言うウィーナに頼まれ、殺鼠剤を買いに薬局へ向かっていた。薬局へ到着し、薬剤を注文している間、芽亜は店内を物珍し気に眺めていた。
以前、ジェイドと酔い止めを買いに来た時には、芽亜は店外で待たされていたからだ。
元の世界の薬局と違い、怪しげな生き物が怪しげな薬品にどっぷり漬けられていたり、見た事も無い植物が乾燥した状態で売られていたりしている。
(まるで明るいお化け屋敷みたい)
割と失礼な事を考えていた芽亜の目の前を、大量の葉っぱが入った箱を持ってよろよろと歩く少年が通りかかった。重たくはなさそうだが、箱の縁から溢れそうな位に不気味な斑模様の葉っぱを詰め込んでいる為、全く前が見えていない様子だった。
案の定、箱をお客の一人にぶつけ、その弾みで箱が大きく傾いていく。
(危ない!)
芽亜は慌てて駆け寄り、間一髪で箱を支えてやった。
◇
お使いを無事にこなし、部屋に戻り休憩に入った芽亜はエプロンを外そうとしてふと、ポケットに何かが入っているのに気付いた。手を突っ込んでみると、斑模様の葉っぱが2枚入っている。
(あ、あの時か)
少年の持つ箱を支えてやった時に、零れた葉っぱが偶然エプロンのポケットに入り込んだのだろう。
「この葉っぱ何だろう?」
後でウィーナに聞いてみよう。そう考え、斑の葉を机に置くとお昼のサンドイッチに噛り付いた。
◇
休憩が終わり、午後の仕事に戻った時には斑の葉の事はすっかり忘れていた。
紅茶の缶を並べ直したりしていると、カランコロンと店の入り口のベルが鳴る。
「いらっしゃいませー」
入って来たお客に声をかけた芽亜は「あ」と呟き動きを止めた。
お客の方も、「あ」と言い動きを止めている。
――金髪のそばかす少女・初戦の相手ラヴィニアだった。
「こんにちは」
「こ、こんにちは……」
ニッコリと微笑みかけて来るラヴィニアに、戸惑いながら挨拶を返す。
芽亜を覚えていると言う事は、彼女は記憶を消してはいないのだろう。
「私、この近くに住んでるの。彼の実家なんだけどね」
そう言うと、紅茶葉の缶を6個も両手に抱えてレジに運んで来た。
「前の世界では家族が居なかったから、今はとても幸せなの」
微笑むラヴィニアの顔を見つめながら、初めて彼女を見かけた時の事を思い出した。
『貴方さえ居ればそれで良い』そう呟くラヴィニアを、あの時の自分は内心軽蔑すらしていた。
相手にどんな事情があるのかも、知りもしないで。どうしよう。凄く恥ずかしい。
「覚悟」を持っていなかったのはむしろ私の方だったのに。
そんな芽亜の葛藤を知る由もなく、ラヴィニアは明るく話掛けて来た。
「私はラヴィニア。良かったら遊びに来てね。ええっと……」
「メアです」
またね、メア。
嬉しそうに帰って行くラヴィニアを、芽亜は心からの笑顔で見送った。
◇
「え?斑の葉っぱ?」
「はい。薬局で大量に運んでるの見たんですけど……」
夕食時に、斑の葉の事を思い出した芽亜は、その葉についてウィーナに聞いてみた。
「あぁ、それは『痺れ草』ね」
「痺れ草?」
「そう。乾燥させて細かく砕いて、それを煮出したものが麻酔薬の原材料になるの」
あの不気味な葉っぱがまさか麻酔薬になるなんて。
「水に浸っても痺れ効果が出るから、痺れ草が生えている近くの川辺りでは偶に痺れて動けなくなってる野生動物が見つかったりするの」
薬になるのか、と感心する芽亜に、ウィーナがそう補足説明をする。
「水に浸しただけでですか?」
「そう。だから一般には売られないのよ。水差しに葉を1枚も浸せば2時間は動けなくなるわ」
場合によっては呼吸困難を起こしたりもするの。
「へぇ……」
――その時、芽亜の心に何かが囁く声が聞こえた気がした。
(そう言えば、ラヴィニア達を見かけたあの時。控室の周りには、あの仮面達はいなかった)
(もし、『対戦前』に相手をどうにか出来たら?)
(痺れ草を持っている事はウィーナには話していない。これを上手く使ったら、もしかして)
パートナーが居なくても、勝てるかもしれない。
そ、そんなの駄目に決まってるじゃない。何考えてるのよ私。芽亜は慌てて頭を振り、その邪な考えを追い払おうとする。
(でも、ワタシにはもう何も無い。ワタシは独りぼっち)
(早く家に帰りましょう?お父さんとお母さんの所に)
(大体、最初からそのつもりだったじゃない。彼を利用しても、誰を犠牲にしても必ず帰るって)
――ねぇ。ウチに、帰ろう?
◇
「メアちゃん?どうしたの、ボーッとして」
「いえ何でも無いです。ごめんなさい、食事中に」
芽亜は誤魔化す様に笑ってみせると、熱いシチューを口に運んだ。
そう。そうだった。私はずっとそう思ってたじゃない、家に帰るって。両親に会うって。
うん。ジェイドなんかもうどうでも良い。元々切り捨てる予定だったんだもの。
私は、私の為に、私の行くべき道を進む。その為には何だって利用してみせる。
――さぁ。ウチに、帰ろう。