18・決別
「私は、ネリに教えて貰ったの。この世界の真実を。此処はゲームの世界じゃない。私達は既にある世界に干渉していただけなんだって」
ウィーナは俯くネリの背中をさすりながら芽亜の顔を見る。
「私、以前はロンドンで暮らしてたの。家も紅茶屋だったんだ。ネリに本当の事を聞く前も、こっちでオリオンと暮らす事に何の抵抗も無かった。さっきも言ったけど、これは主の思し召し。大体、私達人間だって神様がお創りになったのよ?」
ネリが俯けていた顔を上げる。その手は胸元の小瓶を握っていた。
「まぁ其処は価値観と言うか宗教観の違いよね。私にはどうしてもそう思えなかった。フフ、下手にゲームやアニメが溢れてる国に生まれたからかな」
「え?」
それって、日本の事……?
尋ねようとした芽亜を遮る様に、ネリは片手を前に出して制止する。
「ねぇ、何時か言ったよね。『今度色々話してあげる』って。私が彼を灰にした時の事話してあげる」
ネリは小瓶を愛し気に抱き締めながら、ゆっくりと話始めた。
********
――私のパートナーは吸血鬼族だった事は話したよね。
吸血鬼は強過ぎるからか、行動に制限が有り過ぎるからか、私達の時にしかパートナーとして選択出来なかったみたい。だから、純血種の数は今もそう多くは無いの。
常闇の街・ミランドラには純血種は彼の一族の他に、三家しかいない。残りは全て混血種なの。
貴重な純血種の長男を殺した私は、今も夜は外出出来ないし当然ミランドラにも入れない。
命をね、狙われてるの。
あれは決勝が終わって、負けた直後だったかな。
彼が私を抱き寄せながら言ったの。「これでずっと君と一緒に居られる」って。
吐き気がしたわ。その時私は、彼が態と負けたのだと思い込んだ。
あの傷だらけの姿を見たら、そんな事有り得ないとわかる筈だったのに。
造り物の人形の分際で私に愛を囁くのも許せなかった。
だから、それに応えるフリをして彼を夜のピクニックに誘ったの。
私はそれまでも彼に冷淡な態度を取り続けていたから、彼はとても喜んだわ。
月明かりの中、二人きりで過ごした。他愛もない話をしたりしてね。その内夜明けが近付いて来たから、彼は帰ろうと私に言った。私は最後に一杯だけ、と聖水を一滴混ぜた紅茶を彼に渡したの。
その一滴で彼の全身は痺れて動けなくなった。後は日の光を待つだけだった。
彼は何度も呟いていた。「ネリ、どうして」って。
夜明けが来た。日の光が身体に当たると、彼は酷く苦しそうで、流石に見ていられなかった。
私は苦しむ彼を置いて、背を向けたの。でも、何故だかなかなか歩き出せなかった。
足が動かなかったの。仕方ないから耳を塞いだ。
声が聞こえなくなったら不思議と足が動いた。
そのまま走って逃げようとした時、後ろからいきなり抱き締められたの。
驚いたわ。聖水の効果で痺れて動けない筈なのに、って。
思わず後ろを振り返った。そうしたら、半身が既に灰になって今にも崩れ落ちそうな彼が、笑ったの。笑って、こう言った。「愛してる」って。
最後まで、何て愚かで哀れな人形なのかと思ったわ。本当に愚かで哀れなのは私の方だったのにね。
********
「……で、真実を知った後は、うつ病になったり買い物依存症になったり拒食症になったり過食症になったり、と一通り病んだ挙句に特技の占いの腕を生かして今に至るって訳」
――想像を絶するネリの話に、芽亜は何も言えないでいた。
自分も最初はネリと同じ様な事を思っていたから。ジェイドを動くゲームキャラとしか見ていなかった。
「あのね、オリオンが言っていたの。灰になった吸血鬼族を元に戻す方法があるって。それには『愛する者の血』と『咎人の血』が必要らしいんだけど……」
ウィーナの言葉が終わる前に、ネリがローブの袖を捲る。その腕には、無数の傷痕が付いていた。
「私は彼を殺した咎人である事は間違いないの。だから一人二役が出来ると思った。でも何度も試したけど、駄目だった。私の、彼への愛が足りないのか愛されていると思い込んでいただけなのかそれはわからない。確実に彼を愛し、愛されてるのはご家族だろうけど、今は彼らに会う事は出来ない」
「今は?」
「私の用が済んだらミランドラに向かうつもりよ」
ネリはそう言うと静かに微笑んだ。
◇
芽亜はネリの話を反芻し、ずっと考えていた。私は一体、どうしたいのだろう。ジェイドと、どうなりたいと思っているのだろう。右手の薬指をじっと見つめる。そして左手も同様に。
(私、私は)
「私、ジェイドとずっと一緒に居たい。両親の事も簡単に考えてる訳じゃないけど、でも、彼と離れるのは嫌……」
「やっと素直になったね。良い子良い子」
ポツリと呟いた芽亜の頭を、ネリが優しく静かに撫でてくれた。
◇
「ところで話は戻るけど、創造神ゴードの他に『謎の二人組の神様』って言ってたよね?それ誰?調査に来たって事は、向こうの神様?」
問い掛けるネリの横で、ウィーナが胸で十字を切っている。
「えーと、一人は確か『天照大御神の弟』って言ってた。すっごく強引で乱暴な人なの。もう一人は良くわからないけど、狼の形した腕輪に向かって『フェンリル』って話掛けてた。格好良いけどちょっと軽そうな感じ。でも、ピアスはとってもお洒落だったなぁ」
「…………」
「ネリ?どうしたの?」
訝し気な顔をするウィーナとは対照的に、ネリは急に無言になった。
「ね、ねぇ、メアちゃん。それって」
「あ!ネリさん駄目!名前呼んじゃいけないって言ってたから。バレちゃうんですって。名前呼ぶと」
「アナタって本当に、稀有な子ねぇ……」
ネリの驚きと共に呟かれた台詞は、芽亜には聞こえていなかった。
◇
「メアちゃん。私、実は2回程対戦観に行ったのよ、オリオンと。貴女のジェイドは本当に強いのねぇ」
「すっごく時間かけて造り込みましたから。私、最初にジェイドを設定したの14歳の時なんです。初めて買って貰ったPCでプレイしたから。でも、成長に拘り過ぎて、それから2年も経っちゃったんです」
――人狼の魔術師って、まず居ないんですよ。
――でしょうね。魔術師って妖精族とか昆虫族で造ってた人が多い気がする。
――ゲームだと、数値が1違うだけでダメージ率かなり変わるから。
ガタンッ!
突如鳴った大きな物音に、すっかり気を緩めていた三人は飛び上がった。そして同時に後ろを振り返る。
「う、嘘……どうして……」
「今の、今の話は何なんだ?メアが、俺を作っただと……?」
――其処には、床に膝をつき、蒼白な顔で此方を見ているジェイドの姿があった。
********
芽亜と別れた後、郵便局で転移魔法陣の順番待ちをしていたジェイドは何気なくポケットに手を突っ込んだ。冷たく、硬い硬貨の感触が手に触れる。
(しまった)
レンから小言と共に突き返された金貨2枚。ずっとポケットに放り込んだままにしていた。
チラリと窓口を見る。今日はかなり窓口が混んでいる。まだ時間に余裕が有りそうだ。
古びた懐中時計を取り出して見る。ネリの占い屋は此処からそう遠くない。色々入用だろうし金貨を届けて戻って来ても十分間に合うだろう。ジェイドは、郵便局を一旦出て、占い屋に急ぎ向かった。
◇
占い屋に到着したジェイドは、困惑して立ち竦んでいた。店先には誰もいない。そして表には”本日お休み”の看板。
「休みか……」
だとしても、メアは一体何処に行ったのだろう。ネリも居ない様だし、二人で出掛けたのだろうか。
それに何となく苛立ちを覚えたものの、居ないものは仕方がない。ジェイドが踵を返した瞬間、耳が話し声を拾った。これは、メアの声。
声は上から聞こえる。店内を見回し、奥のカーテンを捲ると突き当りに階段が見えた。
(二階にいるのか)
大声を出して下から呼び掛けようかとも思ったが、取り合えず階段を上ってみる事にした。
◇
『私がジェイドを初めて設定したのは――』
その台詞が飛び込んで来た瞬間、右耳が酷く痛んだ。思わず、その場に膝を付く。
部屋の中に居た三人の女が一斉に此方を向いた。メアに、紅茶屋の女店主。あの銀髪がネリなのか?
「今の……」
メアの口元がどうして、と言っているのが目に入る。
「今の、話は何なんだ……?」
俺が、造られた?翠玉の耳輪が燃える様に熱い。今までこんな事はなかったのに。親父の、形見の耳輪が急に何故。
(……形見?)
――違う。親父の形見は、この懐中時計の筈だ。
「うっ……!」
頭が割れる様に痛む。
「ジェイド!」
寄せられる芽亜の手を振りほどき、片手で頭を押さえながら牙を剥きだす。
「説明しろ、メア」
「せ、説明って言われても……」
「早く言え!」
戸惑う少女の胸元を掴み、壁に叩き付ける。そのまま芽亜の首をギリギリ締め上げた。
「止めて!説明するからその手を離して!」
必死に割って入ったネリが、ジェイドの腕に取り縋る。
「なら早く説明しろ」
掴んでいた芽亜を床に乱暴に放り投げる。衝撃で咳き込む芽亜にウィーナが駆け寄り、その身を抱き起した。青褪める芽亜を一顧だにせず、ジェイドはネリに向かって目で促した。
「メアちゃんは、いえ私達もなんだけど、元々は別の世界で暮らしていたの。そこで『花と剣』と言うゲームを受け取った。始めるにあたって最初にパートナーを作成していくの。それが、この対戦でのパートナーになるんだけど、でもそれが実は」
「ふざけるな!じゃあ、俺は何なんだ!?そのゲームの中でメアが造り出したって言うんなら、この俺の存在は何なんだよ!」
ジェイドは混乱の中、頭を押さえていた手で耳輪を握りつぶした。途端に、色んな記憶が一気に押し寄せて来る。カルナックの闘技場。違う、あそこは博物館だった筈だ。
大体、『花と剣』って何だ?女達の願いを叶える手伝いを、何故俺達がしないといけない?
視線を彷徨わせると、床に座り込む芽亜が目に入った。首を押さえる指の間から血が流れている。
(しまった、俺の爪が――!)
「メア!」
伸ばそうとした手を寸前で止める。俺の、このメアを愛しく思う気持ちは何だ?これも造られたものなのか?
「お前は、俺を操っていたのか?」
「違う!」
芽亜はフラフラと立ち上がり、ジェイドに近寄って行った。ジェイドは無意識に後退る。
「違うの、ジェイド。貴方はちゃんと存在する人なの。私達は知らないで神様のお手伝いをしてただけなの。私が設定した『ジェイド』は神様の手でちゃんと」
「ハッ、神だと!?嘘つくんならもっとマシな嘘をつけよ、誰が信じるかそんなもの!だったらこの記憶は何なんだよ!?博物館が闘技場になったこの記憶は!?」
「それは、神様が」
「良い加減にしろ!!」
ジェイドは爪を伸ばし牙をむき、芽亜に向かって威嚇をする。
「ジェイド、話を聞いて」
「……もう良い。お前の顔なんか二度と見たくない。元の世界に帰れなくたってそんなのは俺の知った事じゃない」
残酷な台詞を吐き捨てるジェイドに、芽亜は必死に取り縋る。
「それはもう構わないの!だけど話を聞いて!お願いジェイド……!」
「っ!俺に触るな!」
横薙ぎに払った爪が、芽亜の頬を一筋切り裂く。何度も触れたその頬に、滴り落ちる血と涙。
痛みに歪むメアの顔。それを見ると同時に、己の胸にも激しい痛みが走る。
――怒りと混乱。そして愛情。それら全てを振り切る様に身を翻し、ジェイドはその場から走り去った。