15・交差する想い
スーツ男はワインを一口含み、芽亜を面白そうに見つめた。
「あのねお嬢ちゃん。幾ら神でも、いきなり人格を持つ人間をポンと、しかも大量に生み出す事なんて出来ないんすよ。ゴードの言う”本人と周辺の人間関係が欲しい”ってのは、要は”創り出す歴史が欲しい”って事っす。だから、お嬢ちゃんの設定したパートナーは、先祖からきちんと歴史を踏んで、ちゃんとこの国で産まれて育ってる筈っすよ?その『花と剣』とやらに関する情報記憶は流石に後付けしたんだろうけど」
「でも!魔法とか装備品の設定とかは!?魔力系の装備なんてタトゥーなのよ?この前、耐状態異常の付与した時はちゃんとその場で紋様が刻まれたもの。今までの人生の中である日突然タトゥーが身体に刻まれたら驚くじゃない!」
「だから、時空が違うんすよ。ゲーム上でお嬢ちゃんが設定した時に、こっちの現実ではそのタトゥーを入れる様な事態になってるんす。その程度なら自分達だってやってるっすよ。特殊能力持った人間がボコボコ生まれない様に調整だってしてるし、逆に必要な時は折を見て与えるし」
「え……?」
「え。じゃねぇよ。お前らは確かに設定として人物を造り上げた。ゴードはそれを元に歴史を創っていったんだ。その時空をすり合わせてお前らを引き合わせたんだろ。大体、自分自身どの辺りまで先祖の記憶持ってんだ?精々ひいじいさんばあさん位までだろ?その先は知らねぇだろ?だったらその先は創る必要ねぇよな?」
口を挟んで来た青髪少年はまるで出来の悪い生徒に話す様な口ぶりで話す。
「となると、いきなり成人の人間を生み出した場合、そこから得られる人間は10人から20人程度って事だよな?そんな程度じゃ意味無いだろ」
「で、でも、じゃあどうして私達まで?」
二人の言っている意味は理解出来た。むしろ、芽亜には胸のつかえが払拭される気持ちだった。
「”ここから先”の為じゃないっすかね」
「ここから先?」
「そう。ここから先。お嬢ちゃんのパートナーと時空を統一させた時点で、ここから新たな歴史が造られる訳っすから」
芽亜は右手の指輪を眺めた。ジェイドは性格は勿論、その生い立ちも過ごしてきた記憶も、単なる造り物の人形じゃ無かった。そうだよね。そもそも私達人間だって、”神様”が創ったものだって言うじゃない。そっか。そうだったんだ。貴方が私に向けてくれる気持ちは本当だった。
ジェイド、私は。
――それでも貴方を受け入れる訳にはいかない。
「……わかりました。ありがとうございます」
芽亜はゆっくりと立ち上がった。その瞳に宿る光を見て、青髪少年はふと眉を顰めた。
「お前。今何考えてる?」
「元の世界に帰る。この異世界は私の世界じゃないもの。ジェイドを、彼を利用する事になっても、彼を犠牲にしてでも私は絶対に還るの」
ジェイド。もう認めざるを得ないけど、私は貴方が好き。
私は貴方と言う人を設定はしたけれど、その存在は本物だった。それがこんなにも嬉しい事だったなんて。でも、ごめんね。私の両親は、今ふたりぼっちなの。私が居ない事に気付いてないの。
貴方には沢山の仲間が居るし、貴方はとっても強くて優しくて格好良いから、きっと私なんかよりも素敵な人が現れる筈だから。
――だから。どうか私を許して。
********
何か言いたげな顔の二人組に暇を告げ、芽亜は氷鱗亭を後にした。
外に出た途端、風に乗ってフワリと何かが香る。シトラスに良く似た、爽やかな香り。
(ジェイドの、整髪料の匂いに似てる……)
フワフワとした癖のある髪をまとめる為にジェイドが好んで使っているワックス。
どれだけ荒っぽい仕事の時でも、髪はホントきっちりやるんだよねー、とレンが苦笑していた。
芽亜は下唇を強く噛み、浮かぶ涙が零れ落ちない様に、暫し立ち竦んでいた。
◇
「……気付いてたか?」
「驚きっすよね」
芽亜の身体から微かに立ち昇る虹色の香気。それは”神の加護”を得た者にしか現れない。
「まだ若神とは言え、神を誑かすなんてすげーな、あの小娘」
「すげぇ悪い方向に働きそうっすけどね」
まぁ俺達には関係ない。少年はそう言い切る。
「とにかく、これではっきりしたな。俺達ですらこの世界ではほとんど力は使えねぇ。理の支配権はゴードにあるからな。なら逆も然りの筈なのに、奴は悠々と人間を攫って来れてる。記憶の消去や周辺環境の改変までもな。単独じゃ絶対に無理だ」
「エロじじぃの関与はもう間違いないっすね。後は円卓議会が終わるまでのんびり待ってれば良い感じっすか」
「だな」
少年は役目は終わったとばかりにワインをがぶ飲みした。
「品が無いっすねぇ」
スーツ男は少年の横顔を呆れた様に見ていた。
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ジェイドは森の入り口に立っていた。痛い程の激しい動悸に、思わずコートの胸元を握り締める。
全身から嫌な汗が止まらない。眩暈も起こり、立っているのがやっとだった。
(今の、話は何だったんだ)
――転移魔法で現在飛空艇の停泊している王都に戻った直後、レンから暴動の鎮圧にはもう少しかかりそうだと連絡を受け、飛空艇をセラエノ聖教国に移動させる事になった。
セラエノは他国なので”花と剣”の出場者待遇は使えない。高額な転移魔法を繰り返すよりは、芽亜と同じくカルナックで暫く仮宿を取った方が良いだろうと言う事になり、即舞い戻って来たのだ。
エーベルに訪ねて行くと、メアは居なかった。大家である紅茶屋の女に聞くと、”準備がある”と街中に出て行ったと言う。
夜に連絡をすると言ったからか、通信機も持ってはいない様だった。
大人しくしてろと言ったのに、と怒りを覚えながらメアを探し回る内に、氷鱗亭のテラス席に居るメアの姿が見えた。メア、と呼び掛けようとしたその時、向かい側に座る二人組の男が目に入る。
(あの二人は)
今朝方、噴水広場でメアと話をしていた連中だった。メアは「道を聞かれただけ」だと言っていたのに。端正な顔の二人組に、不審を感じると共に激しい嫉妬が込み上げる。
だがどことなく様子がおかしい。窺っていると、強張った顔のメアがゆっくりと立ち上がるのが見えた。ジェイドは聴力の届くギリギリの所まで距離を取り、そっと耳を澄ませる。
「元の世界に帰る。この異世界は私の世界じゃないもの。ジェイドを、彼を利用する事になっても、彼を犠牲にしてでも私は絶対に還るの」
――その言葉を聞いた途端、ジェイドは周辺の時が止まった様な感覚を覚えた。
『元の世界』『必ず還る』
耳鳴りの様に、メアの言葉が脳内を反響する。
気付くとジェイドは、深森の入り口近くまで来ていた。無我夢中で走って来たのだろうか。
思えばメアと初めて会った時、出身地を東のミナヅルか華影かと聞いた時、彼女は困惑した顔をしていた。あの時は誘拐の恐怖故の混乱かと思っていたが、彼女は知らなかったのだ。その両国の存在を。そういえば、転移魔法が郵便局にある事に驚いていた。
メアが異世界人な事に驚きはあったが、これまでも”落ち人”の噂は聞いた事はあった。
ジェイドに衝撃を与えたのは、其処では無い。メアは、元の世界に還りたがっている。俺を、置いて。
『お前、勝ち残ったら何を願うつもりなんだ?』
『私、家に帰りたいんです』
――綺麗な瞳で俺を見ていた、その愛くるしい顔立ちと振舞いに、あっという間に心を奪われた。
帰したくない。明日の対戦で、態と負けてやろうか。そうすれば、メアは俺の元にずっと。
いや、それは出来ない。メアをがっかりさせたくない。
メアの願いを叶えてやりたい。でも離したくない。喜ぶ顔が見たい。俺の傍にずっと居て欲しい。
相反する感情に苛まれながら、ジェイドは引き裂かれそうな胸の痛みに必死に耐えていた。
********
芽亜は夢を見ていた。自宅のリビング。ソファーに寝転がる自分。
『ねぇ、これ面白いの?――ちゃん』
『これはね、北欧神話って言うの。神話ってね、神様の人間っぽい所が見られて楽しいんだよ』
『うーん、芽亜には難しいよー』
「ん……」
何か音が聞こえ、目を覚ました。頭がボーッとしている。夕食後、部屋に戻って直ぐ眠ってしまった様だった。
――通信機が、鳴っている。
暫し逡巡した後、芽亜はゆっくりと通信機に手を伸ばした。
◇
ジェイドはベッドに座り、項垂れていた。手には通信機が握られている。そろそろ、メアに連絡をしなければ。何事も無く話せるだろうか。不安に駆られながらも顔を上げ、通信機を繋いだ。
「……メア」
マズい。言葉が出ない。
<ジェイド?どうかしたの?>
「いや、何でもない。ちょっと戻ってから忙しかったんだよ」
心配そうなメアの声に、それだけで心が浮き立つ自分が居るのを思い知る。
<そう?明日も朝早いから早く休んでね>
「平気だよ。俺も今カルナックに居るから。明日説明する」
<えっ!?そうなの?>
「メア」
<何?>
「指輪。今度別の買ってやるって言っただろ?お前、どんなのが良い?」
<……>
続く沈黙に、メアが戸惑っている気配が伝わって来る。
「お前は色が白いから、ダイヤだと目立たないかもな。肌と黒髪に映えるのはサファイアかルビー辺りか」
<ん……えっと、今度考えておく>
「早く決めないと、俺が勝手に買うぞ」
<あ……!駄目!それは、駄目……>
慌てる少女に、思わずクスリと笑いが零れる。
そうだろうな。お前は帰るつもりなんだから、俺から指輪なんて貰っても困るだけだろう。
だけど安心しろメア。指輪を渡すのは、お前が元の世界に帰る時だから。
――俺の事を忘れない様に。
********
「ジェイド!」
闘技場前で手を振る芽亜に軽く手を挙げそれに応える。
「ねぇジェイド、カルナックに居るってどういう事?」
「あぁ、飛空艇がセラエノに行く事になったんだよ。だから、知り合いの家に仮住まいさせて貰ってる」
「知り合い?」
「仕事絡みで伝手があるんだよ。エーベルとは丁度反対方向だな」
――芽亜の顔が微かに曇った。
「どうした?」
「ごめんね。またお仕事の邪魔になっちゃって……」
ジェイドは返事の代わりにその身体を抱き寄せ、首筋を軽く噛む。
「行くか」
一言だけ言うと芽亜の手を引き、闘技場内部へと歩き出した。
◇
芽亜はジェイドに手を引かれながら、その背中をじっと見つめた。
(ごめんね、ジェイド)
私は貴方を利用し続ける。自分の為に。
ジェイドは芽亜の手を引きながら、背中越しにその視線を感じていた。
(大丈夫だよ、メア)
俺はこの先も勝ち続ける。お前の為に。
――花と剣は踊る。お互いを想い合い、そして傷付け合いながら。