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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編(ホラー、パニック)

ばりぼり

作者: くまのき

 ねえ、今夜は月が綺麗だね。


 こんな日は、母を思い出すのさ。

 気難しい人だったよ。


 あたしが泣くとすぐに殴った。

 そりゃもう酷いもんだったよ。泣き止むまで殴る。自分の名前も書けないような小さな子供をだよ。

 熱湯を足にかけられた事もあるんだ。痕が残ってるよ、見るかい?

 ああそうだね、そんなもの見たくはないか。


 他の記憶はおぼろげでも、母親に殴られた事だけは鮮明に覚えてるよ。

 ただただ恐ろしく、無理にでも涙を引っ込めて、口をつぐむしかなかった。

 子供が自分から泣き止もうってするには、もの凄い踏ん張りが必要なんだよ。大人と違ってね。


 おかげ様で小学校に上がる時には、もうどんな事をされても涙一つ見せない子供になってたよ。

 そんなこまっしゃくれたガキに、進学したからって新しい友達が出来るわけないさ。

 幼稚園や保育園にも行ってなかったんで、元からの友達もいない。

 あたしは孤独なまま、とことん捻くれた子供時代を送ったのさ。


 拠り所は、母だけだった。


 不思議そうな顔をするね。

 虐待されているのに何故母を頼りにするのか、って顔だ。

 その理由は簡単だよ。母親だからさ。

 どんなに酷い事をされても、親だから。

 子供の狭い世界では、このたった一人の親を頼る以外に無かったのさ。


 それに、優しくしてくれる時もあったんだよ。 

 抱っこしてくれたり、お菓子をくれたり、怪我した所を撫でてくれたり。

 今思うと母親なら当然の事だね。そもそも怪我も母が負わせたものだ。

 それでも阿呆ガキだったあたしにとって、その気まぐれな優しさが、何よりの救いだった。


 それにしても綺麗な月だね。

 あんたも窓の外を見てごらん。

 おや興味無さそうだね。無粋な男。

 まあ本当はあたしも、お月様なんてどうでも良いんだけどさ。


 でもさ、母があたしに優しくしてくれるのは、決まって月が綺麗な時だったんだ。

 正しく言うと、綺麗なお月様が出た、その次の日かな。


 月の綺麗な晩、母は家に男を連れ込んでた。

 それも毎回毎回別の男さ。


 家と言っても、一部屋だけの粗末な仮屋だった。

 平屋建てで、隣の部屋とは薄いベニヤ板の壁で仕切ってあるだけ。

 押し入れが隣部屋の押し入れと鼠穴で繋がってるくらい、古くてぼろぼろでね。

 見た目は時代劇に出てくる長屋そっくりだったよ。

 一応扉は鉄製だったし、一部屋一部屋に鍵は付いてたけどね。

 住民達も見た目はホームレス同然の奴らだった。傍から見れば、あたしもその仲間だったんだけどさ。


 そんな狭い部屋に男を呼ぼうとすると、当然子供は邪魔者だ。

 あたしはいつも、男が来る前に押し入れの中に隠れていたよ。

 真っ暗でやる事も無い。そのまま次の日まで眠ってた。朝になれば男もいなくなる。

 そしてそんな朝は、母はまるで別人に入れ替わっちまったように、あたしに優しくしてくれたんだ。

 たった数日の間だけなんだけどね。


 子供の頃は、母と男が何をやっているのか分からなかった。

 たまに物音で目が覚めるんだ。

 ばりぼり、ばりぼりと音がする。

 気にはなったが、絶対に覗くなときつく言い渡されていたからね。

 必死に耳を塞ぎ、目を閉じ、また眠くなるのを待ってたものさ。


 だけど十歳近くにもなれば、なんとなく察しが付くようになるもんだ。

 男女二人が夜通しやる事。それに興味も沸く年頃さ。

 でもその時のあたしに、母の言いつけを破るような度胸は無かった。

 それに翌朝、母はとことんあたしに優しくしてくれるんだ。

 もし覗いてしまったら、その幸せを壊す事になるかもしれない。

 何をやっているか薄々気付きながらも、押し入れの中で知らないふりをして眠るしかなかったのさ。

 ばりぼり、ばりぼりという音を聞きながらね。


 そうやって興味を押し殺す生活を何年か続けたんだ。

 時が経つにつれ母の暴力も多少落ちついたよ。あたしもちょっとは体が大きくなってたからね。

 前ほど母を恐れる事も、愛おしく思う事も無くなってた。

 その反面、鬱憤を溜め込むようになった母は、むしろあたしの事を憎み始めていたかもしれないね。


 その頃もまだ、月の綺麗な晩には押し入れに隠れていたよ。

 男を招くのは、食っていくために必要な事だと思っていた。

 それに、やっぱりその翌日は、母はあたしに優しくしてくれたんだ。


 でも、あたしの中に以前とはまた違う興味が沸き出していた。

 もう男女の営みについて理解出来る年頃だ。

 だからこそ、分からない事が出来たんだ。



 あの、ばりぼりという音は、一体何なんだろう?



 まるで固い物を噛み砕くような音だ。

 子供ながらに疑問に思ったよ。そんな時に、そんな音が出るものだろうか、ってね。

 一度注意深く聞いてみると、その疑問はすぐに解決したよ。そもそも情事の音では無かったのさ。

 どうやらこのばりぼりという音は、母と男が事を済ませた後に鳴っているんだ。


 ばりぼりの合間にくちゅくちゅと咀嚼するような音も聞こえる。

 きっと何かを食べているんだ。

 あたしに内緒でご馳走を食べてるのかね。まあ別にそれに対して怒るつもりはないけどね。母も仕事でやっているんだ。

 でも毎回毎回同じ音を立てて、何を食べているのかってのは、どうしても気になる。


 覗いてしまおうかと何度も思ったよ。でも、中々実行には移せなかった。

 ばれてしまった時の母の報復が怖いんじゃないよ。

 なんかね、あたしが裏切っちゃうのは、母が可哀想かもと思ったんだ。




 そんなある日の事さ。

 油断しててね。あたしが押し入れに隠れる前に、男が家に来ちまった。

 慌てて押し入れを開いたんだけど、もう見られたってのに今更押し入れに駆け込むのも間抜けな話だよ。

 あたしは考え直して、家の外に逃げようとした。

 でも、男は腕を掴んで引き止めた。そして脂ぎった目で、舐め回すようにあたしを見たんだ。

 あたしは腕を振り払い、睨みつけながら急いで家から飛び出したよ。綺麗なお月様が空に浮かんでいたね。

 幸いにも、男が外まで追いかけてくる事は無かった。


 その時丁度、隣の部屋が引き払った後でね。

 もしやと思って扉に手を掛けると、都合の良い事に鍵が掛かってなかった。

 これは良いやと思って、一晩勝手に泊めてもらう事にしたんだ。

 まさかとは思うけどあの男がやってこないように、部屋の内側から鍵を掛けてね。

 当然家具も電気も無い。真っ暗な中、冷たい床の上で寝る事にしたよ。

 いつもの押し入れには毛布があったけど、その部屋には何も無かったからしんどかったね。肌寒い季節だったしさ。

 まあでも押し入れと違って、伸び伸びと足を伸ばせたけどね。


 何時間か眠った後、ふと目が覚めた。

 隣の部屋、つまりはあたしの家から物音が聞こえる。きっと母と男が出している音だ。

 私はいつものように、気にせず眠り続けようとした。


 けど、その日はどうしても眠れなかったんだ。

 普段とは違う寝床のせいかね。いや、あたしは枕が無いからって、眠れなくなる程繊細じゃない。

 あの男のせいだ。

 まだ子供だけど大人になりかけだったあたしの事を、いやらしい視線で犯した。

 それにどうにもむずむずしてしまったんだね。

 あたしは、今までになく母と男の情事が気になってしまったんだ。


 壁に耳を当てる。ばりぼり、ばりぼりと音がした。

 どうやらお仕事は終わった後のようだった。

 ばりぼり、ばりぼり。

 淫らな時間は過ぎてしまったが、そうなると次はこの音が気になる。


 いつものように無視して眠るべきだったのかもしれない。

 でも、その時のあたしは魔が差してしまったんだ。


 押し入れのふすまを開ける。

 この押し入れは、あたしがいつも潜んでいる押し入れと、薄い板を挟んで隣り合わせに作られている。

 そして押し入れ同士が、ぽっかり開いた鼠穴で繋がっていたのさ。指が三本通る程度の小さい穴だけどね。

 鼠穴から光が漏れていた。あたしの家の光だ。

 押し入れを開きっぱなしだ。あたしが飛び出す前のままだ。

 ばりぼり、ばりぼりと、音も鮮明に聞こえる。


 あたしは横たわり、鼠穴に顔を近づけた。

 部屋の様子が見える。

 母の姿が見えた。仰向けに寝転んでいた。

 男の姿が見えた。前屈みに正座をし、恍惚とした表情で母の体をまさぐっていた。



 母は、男に食べられていたのさ。



 ばりぼり、ばりぼりと。

 母の骨を、男は奥歯で噛みしめていた。

 くちゅくちゅと。

 母の臓器を、男はむさぼっていた。


 母は体中のいたる所から血を出していたよ。

 顔面は真っ白で、目も見開いたままピクリともしなかった。

 腹から骨も内臓も飛び出していた。

 下半身に至っては完全に無くなっていた。

 どう見ても死んでいたんだよ。


 あたしは気が遠くなった。まだ小娘だったからね。ショックに耐えられなかった。

 気付いたら朝だ。

 慌てて部屋を出て、隣の自宅に戻った。


 そこには母がいて、おかえりと迎え入れてくれたのさ。

 月が綺麗な夜の翌朝。母が優しくなる時だ。

 特にその日は輪を掛けて優しくしてくれた。

 自分の仕事のせいであたしが外泊した事を、悔いているようだったね。


 母はどう見ても生きていた。千切れた足も元通りでさ。

 昨日あたしが見たのは何だったんだろう。夢だったのかね。

 色々考えたけど、頭の悪いあたしに答えは出せなかった。

 とにかくその日の母は優しかったよ。久々に一緒にご飯を食べたしね。

 まあ三日も経つと、またあたしの事を恨むような目で見てたんだけどね。


 その半年くらい後だったかな。

 母は急にあたしの首を絞めた。あたしは必死に抵抗して、実の母親の顔面を思いっきり殴ったよ。

 その晩に母はいなくなった。それからあたしは一人さ。

 多分母は、もうどっかでのたれ死んじゃってると思うよ。

 男に買って貰おうにも、歳が歳だろうしさ。




 何故急にこんな話をするのかって?

 いやね、最近どうしても母の事を思い出しちゃってさ。


 あたしも母親になった。隣の部屋で寝ているあの子。

 自分の子供を、あたしと同じ境遇にはしたくないと思ってたけどさ。

 気付いたら母一人、子一人。

 血筋のせいにはしたくないけど、あたしもあの母と同じ事をやり始めてるんだ。

 上手くいかない事があると、ついあの子にあたってしまう。

 こんなにあの子の事が大好きなのに。


 頭に血が上って、意味が分からなくなるのさ。

 あたしの火傷痕と同じ場所に、あの子は煙草で焼いた痕がある。

 それでも、あの子はあたしの事を慕ってくれている。それがとても恐ろしくてね。

 あたしはこのままだと、愛する我が子を憎んでしまう。

 母のように。


 でもそんな母でも、あたしに優しくしてくれる時があったんだよ。

 ちょっとの間だけでも、あたしを憎むことを忘れてくれたんだ。



 ねえ、今夜は月が綺麗だね。

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