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 驚いたのと、恐怖とで、私は動けなくなっていた。


 この差し迫った空気を破いたのは、(こう)だった。


「…まぁ、ゆっくり考えよう。


 異例の事態だ。


 その間、悔いを残さないように動け」


 (のう)は目を閉じたまま微動だにせず力ない返事をした。


「はい…」


 そのやり取りを聞いて、幼い私は少しホッとした。――『ゆっくり考える』ってことは、赦してくれることもアリだよね――と。煌に走り寄った。


「煌さん、赦してあげるんですよね? ね?」


 煌は押し黙り、宮から庭へ続く階段に腰を下ろした。私は煌の隣りに座った。


「…煌さん、優しいもの…赦してあげるんですよね…?」


 そう煌へ尋ねつつ、後ろを振り向いた。能はまだ、頭を下げたままでいた。


 煌は、悩んでいるような表情をし、私の肩を叩いた。


「…難しい問題だ。


 …冠に3本の線…士伯は高位の役職に就いているのだろうな…」


 それを聞いて、私は能を守るためにもきちんと答えねば、と勢いをつけて答えた。


「ハイッ! 能さんはこの国の丞相(じょうしょう)ですっ!」


 私の言葉を聞いて、煌はまた複雑な表情をした。そして、庭の向こうに見える、森や山を見ながら独り言のように話した。


「フむ…


 それだな…


 他国の丞相を、俺が、俺の国のやり方で刑を執行して良いものかどうか…


 ……


 …士伯(しはく)ッ!」


「ハッ、ハイッ!?」


 いきなり煌は能の(あざな)を口にした。


「寝る。


 ヒザを寄越せ」


 そう言って煌は腕を組み、能の居る背後を振り向くこともなく、上半身を後ろへゆっくりと倒し始めた。


 …タタッ!


 能の反応は早かった。


 煌の頭が45度ほども倒れた時には、背後にしゃがんで、頭を上手く受け止められるようにヒザの角度と高さを調整して待機していた。


 トスッ…


 煌の後頭部は綺麗に能のヒザに乗った。


「少し高いな」


 そう煌がつぶやくと、能は顔色が真っ白のまま、カカトを下げて正座した状態になった。


「うむ…」


 煌は満足そうな声を吐き、宮の屋根の陰から空を仰いだ。私は顔色の戻らない能が可哀想で仕方がなかった。そこで、また、煌に聞いてみた。


「…煌さん…


 …あ…オウサマ……


 許してあげられないんですか…?」


「…(きょう)太宰(たいさい)


 『煌さん』のままでいいぞ。これからもそう扱うことを許す。


 …西堺刻(ここ)では身分を出来得る限り隠して過ごしたい。


 俺の正体は、他言無用だ」


「はい…」


「…うム…頼むぞ…


 ……フゥ…」


 煌は面倒くさそうにため息をつくと、足を組んで目を閉じた。


「さて……


 困ったものだ……


 士伯。お前は何故かいつも、俺の対処の腕を試してくる…


 頭痛の種だ、全く……」


「煌さァん…」


「……」


 悲しみに溢れた私の呼びかけに、煌は、眼を閉じたまま自身の唇に人差し指を1つ付けるだけで返答した。


 『少し黙っていろ』ということだろう。


 指を下ろした煌は腕をまた組み、考え込み出した様子だった。



 どれくらい、その状態が続いただろうか。



 煌はいきなり、瞳を開いて跳び起きた。


 私は驚いてビクリと身を震わせたが、能は相変わらずの真っ白な顔で煌を見つめるだけだった。


「どうしたんですか? 煌さん」


「…士伯。


 結論は後で出すことにした」


 煌は宮の外回りの廊下の曲がり角を注視しながら、能へ声を掛けた。


「はい」


 能は正座をしたまま一礼をした。私は慌てて尋ねてみた。


「煌さん、どうしたんですか?」


「…俺の、最重要案件…極秘任務を遂行する時間が来た」


 そう言って、煌は階段から上がり、石の廊下へ正座をした。私には何も聞こえてきてはいなかったし、見えてもいなかったが、煌は何かを感じ取った様子だった。…彼は歴戦の英雄だったからね。気配を感じる勘が獣並みに鋭かったのかもしれない。


 そうして、煌の真剣な表情を見た私は、――あぁ…――と思ったよ。これはもう、毎回のことだったから。そんなことを思って、私が落ち着き出した頃、煌は能へ指示を出した。


「士伯。お前は下がれ。


 だが、逃げるな。待て」


「はい」


 能はまた一礼をし、サッと立ち上がると、部屋のある側の柱に、倒れる寸前の自分を支えさせるかのようにドッ…と背中を着けて待機した。…一応、背筋の伸びた立ち姿だったが、顔色は相変わらず真っ白だった。


 煌は腰に差していた刀を(さや)ごと抜き、床へ自身の側面と平行になるように置いた。


 私は煌へ言葉を投げ掛けつつ、能の隣りへと移動した。


「…そんなに毎回丁寧にしなくってもいいと思いますけどー…」


 私の言葉を受け止めつつ、煌は着衣を正し、甩發(しゅつはつ)(京劇で盗賊や敗将がする髪型。頭の上で髪を束ね、冠も帽子も付けない状態)のような髪の毛を綺麗に全て後ろに流しつつ、私へ答えを返した。


「…嬌太宰には理解出来まい。


 俺がしたくてしているのではない。


 俺の体がそうさせるのだ」


 そう、きちんと(ひざ)(そろ)えて座り直しながら煌はじっと先を見つめた。


 足音と、何人かの声が聞こえてきた。


 真っ白の顔の能は頭の中も真っ白になりつつもそれでもまだ、後宮にいる人人を守ろうという丞相らしい考えは残せていたのだろう。私へ、少し震えの残っている声で、煌に聞こえないようにひっそりと質問を投げ掛けてきた。 


紫瑛(しえい)


 何をなさろうとしておられる、あの方は…


 まさか、刀を置いたように見えるが、あれは、逆に、構えておられるのか…?


 …き、危険は、ないのか…?」


 私は能の震える声を聞きながら、自身の頬をポリポリと掻きながら困り果てて答えた。これは…もう、見てもらうしか理解できない、と思った。


「…あのぅ。


 たぶん、見てれば分かります…


 …ちょっとビックリするはずですケド…」


 そうして、私は能から視線を放し煌へ向け、おずおずと声を掛けた。


「煌さん。能さんは、このままココで居ていいんですか?


 あのー、見られ、ちゃいます、けどぉ……」


「良い。


 俺は見られて困ることなど、これまでしたことがない。


 そこで俺の雄姿を眺めているが良い」


 そう、凛とした正座の姿で答える煌の背中を見た後、私は能へ視線を返した。


「…見てていいそうですんで、そのまま待ってればいいと思います…」


 そして、宮の曲がり角から。


 猟師姿の歌陰(かいん)さんと、町娘姿の歌陽(かよう)さんの姉妹と、(ゆう)さんの片腕に自身の腕を絡ませて嬉しそうに歩いてくる、粉橙色(フェンチョンスー)(薄い橙色)の肩の出た吊帯長裙(ちょうたいちょうくん)(両肩に細い紐が付いている、キャミソールのスソが長くなったようなワンピースドレス。帯で腰を縛る)に荷花紅(フーホワホン)色(ピンク色)の直領衫(ちょくりょうせん)(薄めの上着)を着た姫のお姿が見えた。


 その途端。



()ーさんっっっっ!」


 煌は裏返る程緊張した声をあげた。


 姫がこちらを向かれたのを見ると、煌はシュボァッと一息に顔を赤くした。そうして…


「本日はっっ、御日柄も良くぅぅぅぅぅぅぅ!!!」


 ズザァァァァ!



 そのまま手を伸ばして見事な土下座を決めた。



「えぇー………?」


 能がその状況に耐え切れず、呆れたような声を出した。



 …そりゃそうだ。


 誰が、予想できると思う?


 あの、百戦錬磨、希代の首斬り王、残虐の華、奇策逸策の勇士…その人が。


 たった1人の女性の名前を呼んで目が合っただけで、まるで茹でたタコみたいに…



 そう。


 煌はねぇ。


 姫が絡むと、からっきしで。


 …それまで張りつめていた気持ちが砕けてしまうみたいでねぇ。


 まぁ、そういう煌も、私は気に入ってたけどね、ハハ!



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