六
麒麟と鸞和の子、歌陰と歌陽。
麒麟は王が仁愛をもって治世を行うと姿を現すといわれ、全ての生命を傷付けないように歩き、泣き声は音階状と言われている。正確な円を描いて歩けるとも言われており、麒麟の死骸を見つけた者は不幸になるとも言われ、人間では畏怖され、敬われている神聖な生物である。その麒麟の黒色種、『甪端』の血を半分受けているせいか、人間に変化している間の、基本の髪色は黒である(能力が高い神聖生物や天人であると基本色からの変化も可能)。そして、元の姿に戻ったときには、人間の姿のときに取り込んだ『穢れ』関係なく、飛空可能である。
彼らの能力の1つに、『穢れを清める』というものがある。
『穢れ』とは全ての動植物に存在する、崇高な魂を送り出した後の『肉体』、単純なる『汚れ』、『他の生き物を殺傷する』行為、『自分のした言動・思考を後ろめたいと感じる感情』、などというものである。それらに触れること、食すことによって軽減・消滅させることが『清める』ことである。先にもあった通り、濃い『穢れ』は1度では薄くすることしかできない。何度かの施行によって、やっと消滅させるところまで行き着く。
彼らは加えて、その『清める』行為中に、その取り込んだ『穢れ』が、どういう行為で生まれたか、その『穢れ』元の生き物視点で過去の状況、心情を読み取ることが出来る。
この能力のため、彼らは孫 彰の遺書を偽造できた。
しかし…
彼らはまだ成獣してないためか、人間に興味をさほど持っていないためか、周囲の人間の『穢れ』を積極的な意志で『清め』ようとはしなかった。なので誰がどのような黒い感情に支配されているのかを積極的に知ろうとしなかったがゆえに今回、孫 彰の本性を見抜けず、自身らの守るべき大切な人物に危機を迎えてしまった。
加えて、『生物を傷付けないように歩』くことを好むはずの精神にまで行きついてないのか、彼らには時折、他の生物を軽んじる傾向がある。それも『穢れ』のうちだが、彼らはその彼らの行為でさえも『清め』てしまうので神聖さを失うことにはならない。しかし、この思考は神聖生物界では未熟であるゆえに取ってしまう行為であり、評価されるものではないとされる。
成獣していない未熟なもの、というのは分神たる夢も同じである。
能力的には人間を上回るはずなのに、どこか抜けてしまっていたり、何かを軽んじてしまっている。
だが、同じような境遇だからこそ、友情があった。
本日、あったことを楽し気に話す声が、西境国王宮の奥でキャラキャラと聞こえた。
空には明るい月。
明日も晴天だろう。
*作中の『ゲネン・バル』『ドーラフ・ヤリフ・イネーフ』の文化はフィクションです。




