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十八



「姫! 下がってください、危険です!」


()ーちゃん、今、ちょっと取り込んでるから!」


 そう言って姫をどうにかこの場所から遠のかせようとする(たん)(のう)だったが…


 姫はこの状況を静かに見回した後、目をゆっくりと閉じられた。そして、その後、ゆっくりと目を開けられ、台所へ入って来られた。


「ダメです、入っては!」


「夢ーちゃん! 今、ライラは興奮してるから!」


「ちょ、ちょっと! お、王女様、あ、危ないです!」


 (そん)さんまで姫を止めようとした。しかしそこで、意外な言葉が横から入った。


「みんな。小夢(しょうむ)が落ち着かせるそうだから、任せてあげて」


 静かに語る(ゆう)さんを、皆は一瞬疑うような目で見つめた。この人は、この状況が分かっているのか、こんな女性に虎を大人しくさせることなどできるものか、とね。


 姫は游さんの方へニコリと微笑むと、龍胆紫(ロンタンツー)色(群青色)と檸檬黄(ニンマンホワン)色(濃い黄色)を基調とした襦裙(じゅくん)(上着とスカートが分かれている服装。上着は短い)に似た、上着が長めの、ゆったりとした服装をしておられた。流れるようにライラに近付くと、歯をむき出して唸るその頬を手でなで、ゆっくりと、大きな顔を抱き締められた。


「るー…る~る~、るる~…」


 まるで歌うように、ライラの顔を抱き締め、ゆっくりと頬をなでておられる、姫。まるでどこかのおとぎ話の1シーンを現実に見たような、不思議で美しい光景だった。坦も、能も、孫さんも…私も。()めることを忘れてその光景に見入った。


 バリィィッ…


 よろけたライラの爪が、姫のスカートにひっかかり、縦にスッパリと引き裂かれた。


 ハッとした坦が姫の腕を引っ張ろうとした瞬間、游さんはその坦の腕をつかんで、首を横に2回振った。まだ、任せておけ、と言っているのだ。


 グ、グ、グルルルル…


「る~…るる~…る~……」


 姫は静かにライラの頬をゆっくりと、何度もなでられた。


 グ、ク、クク…


 クク、クルルルル…


「る~…る~る~る~…」


 ライラが歯をしまって、頭を下げ始めた頃には、姫のスカートの裾も、上着の袖も、赤く染まっていた。


 そのうち、ライラはゆっくりと横になり、姫の体を大きな前足で抱き締めた。


「る~…るる~……」


 姫は大きなライラの頭をひざの上に乗せて、しばらく静かに歌っていたが、適当な頃合いで、游さんの方へ笑顔を見せた。


 もう、大丈夫、ということだろう。


 ライラは目を閉じ、姫の腰を前足で抱きかかえるようにしてゆっくりとした息をしていた。


「孫さん、もう、大丈夫だってさ。処置してあげて」


 游さんが孫さんに声を掛けると、孫さんは恐る恐るライラに近付き、注射をうった。



 それからは早いものだった。



 毛を剃って、消毒して、切開して…孫さんは手早く丁寧に、ライラへ治療を施した。


 私は結局、涙を時折流しながら、坦の服をずっとつかんで放さなかった。坦も、ずっと私の肩を抱いてくれていた。その間に、坦は能と游さんにことの経緯を細かく話した。


 襲撃事件の報告と処置が終わるのは同時くらいで、孫さんは「体が大きかったせいか、怪我は浅かったです、すぐ治癒しますよ」と言った。私を含め、その場にいた全員がホッと胸をなでおろした。


 ところが、大変なことに。


 ライラが、姫を放そうとしなかった。腕を放そうとすると、とても悲しい、怯えた瞳でこちらを見つめ、余計に固く、姫にしがみつくのだ。それで仕方なく、ライラが眠るまで、姫にはそのままでいてもらうことになった。


「大丈夫ですか?」


 私がおそらく真っ赤な目をして尋ねると、姫は困ったような笑顔を私へ向けられた。それを見た游さんは姫の頭を黙って1度なでた。


「…虎も生き物だ。


 不安になることもあるさ。


 みんな、ライラちゃんが落ち着くまで、離れていようか。


 ここは小夢に任せて大丈夫だよ。


 彰さん、ありがとう。


 送って行くよ」


 そう言って游さんは孫さんの肩を抱いて出て行った。


 …それを見届けてから…坦と能はお互い目を見、頷いた。私はそれが何かの合図だと理解したので、2人に機会を与えようと、坦にしがみついたまま、2人へ声を掛けた。


「…ねぇ。休憩しましょうか? 姫様にもあったかいお茶か何か、淹れて来てあげたいです。ずっと緊張しっぱなしですもん…休みましょうよ…」


 私とは遥かに背丈の違う2人の友人を見上げて言う私を見つめ、2人は静かに頷いた。


「姫、少し出て参ります。


 すぐ戻りますので。


 お1人で大丈夫ですか?」


「夢ーちゃん、無理しないでね」


 そう2人が声を掛けると、姫はコクリと1度頷いて目を細め、ニッコリと微笑まれた。


 その表情を見て緊張が解けたのか、2人はスッと台所を出た。出て行く直前、坦は足元に落ちている、ライラの大好きなボールの残骸を片手で持ち上げ、小脇に抱えた。



 台所を通り過ぎて、しばらく。坦が肩を抱いている私の方を覗き込みながら聞いてきた。


「…お前、お茶、淹れに行くか? ちょっと俺、能に話したいことがあるんだけど…」


 その言葉に、能は即座に反応した。


「いや。坦。もう、紫瑛を年少扱いせずとも良いだろう。


 この(かた)は深く事件に関係した。狙われる程にだ。それに、知恵も勇気もお持ちの、我が国の太宰(たいさい)殿だ。知ってもらって損はない。


 もう、隠さずに、協力して頂こう」


「…そうか。


 この国の丞相(じょうしょう)がそう決断したんだったら、一介の留学生の俺は、もう()められないな」


 坦はニヤリとした微笑みを能へ向けた。そして、小脇に抱えていたボールの残骸を、能へ見せた。


「この切り口。どうだ?」


「…とても良く似ている。小動物の腹を裂いた、あの傷跡と酷似というより、同一の物に見える。鍛冶屋に聞いてみないと確信できないが、ほぼ確定して良いのではないかと感じている」


「今から思えば、山から転げ落ちたのも、カムフラージュでわざと落ちたのかもな。襲われた人間が、まさか襲っている側だったなんて、普通の人間なら考えないだろう、と、そう思っての行動だったのかもしれない」


「そうだな。


 …今から君には、この傷跡を鍛冶屋に見せに行ってもらいたい。私は昨日言った通り、『彼』の身辺を探る。游さんも昨日言った通り、これから、『彼』の過去を洗いにかかるだろう」


「そうだな。紫瑛、お前は俺と一緒に居ろ。1回襲われたんだ。もう、油断はしない。守ってやるから。離れずに付いて来い」


 それを聞いて、私は驚いた。


「僕らを襲ったの、孫さんなんですか? どうして…」


 その質問に、能が静かに答えを返してきた。


「ここからの話は、私の予想でしかないが。


 …彼はおそらく、殺人鬼として半人前なんだろう。よくボロを出す。そして慌てて訂正をしようとするがゆえに、ミスを繰り返している。…『殺人鬼』の性に合っていないのかもしれない。


 初めは、山から落ちた際、虎に襲われたと言ったり、別の獣に襲われたと言ったり、やはり人間だったと言ったり。自己防衛を図るあまり、証言を二転三転し過ぎてしまった。…予測して言動を行えなかったので、ここで大分ミスを犯している。


 その上、昨日は、坦の前で南境国(なんきょうこく)の言葉に反応してしまった。彼の耳に入る情報の速度は遅い…腹の傷跡が『トラバサミ』である、という情報は坦や君に会う前に持っていたが、『トラバサミ』が南境国のみで使われている道具だという情報は君たちに会った後に手に入れたのだろう。


 証言は『パニックになっていた』ということで誤魔化したが、南境国の言葉に反応したという事実を消せない、ということに気が付いた彼は、あろうことか、南境国出身で唯一彼の違和感に気が付いたと思われる坦を消しにかかったのだろう。


 君を狙ったのは、坦のみを狙った犯行と思わせず、今回の事件と関連付けて捜査されるのを防ぐためと…もしかしたら、君を狙うことで坦が動くか、虎が動くかして、坦が狙い易い場所に出て来るとでも思ったのかもしれない。そう…虎に守られている状況の打開を狙ってのことだったのだろうな。


 …君を狙った()(クロスボウ)はおそらく、()氏の、狩猟用の道具を補充したり直したりするための、倉庫にあったものだろう。もし個人的に持っていたとしても、宿屋を抜け出して自身の家に寄ってから坦を殺害しに行くのは距離的にも時間的にも人に見られるリスクが高い。君らを襲った時刻は早朝だったといえども、ここは農耕中心の国。朝早く畑に出る人もいただろう。それを避けるには最短距離、最短時間で宿屋と襲撃場所を行き来しなければならない。そうであれば、身近にあるものを使って殺害行為に及ぶのが1番早くてリスクも少ない。幸い、彼の部屋は山の見える側の部屋で、窓もあった。人通りも少ないし、誰かに宿屋を出るところを見られる可能性も低い。窓から出入りしたのだろう。


 …後で蘇氏の宿屋にも寄って確かめてみる。弩の矢が減っているはす。そして、窓枠に靴跡が付着しているはず。


 …坦を狙ったまでは良かったが、虎が坦を庇うなどとは思わず、更に、その虎が襲いかかって来るとは思わなかったのだろう。逃げ帰ったとみえる。それか、普通に矢が尽きたか。


 『ライラ』も、もしかして、孫氏が坦を狙った人物だと知っていてあんなに吠えたのかもしれない。


 …どちらにせよ、酷いとばっちりを食ったな、紫瑛。君は1度狙われたんだ。また狙ってくる可能性もある。坦と行動を共にした方が良いだろう。


 …大丈夫か?」


 能は心配そうにこちらを見た。私は坦の裾を少しきつめに握って、俯いた。それから、ゆっくりと頷いた私の肩を、坦は何度もこすって、最後にポンポンと叩いてくれた。


「…ねぇ、お茶、淹れてから、行っていいですか? 姫様が心配なんです…」


 おずおずと話す私に、2人は少し和んだ様子を見せた。


「そうだな。お前もちょっと休め。お菓子食う? 昨日の残り、まだあるけど」


「大丈夫か? 私もしばしだが、一緒にいよう。話して楽になるなら、怖かったことを話してくれれば良い。…坦、君も休め。紫瑛? 坦が休んでいる間、私の裾でも腰でも、触れていて良いから…」


 その言葉を聞くと、私はパッと坦の裾を放した。…やっと、ずっと坦に抱き着いていて恥ずかしい行動をしていたことに気が付いたからだ。


「…あーぁ。お前、子どもの扱い、雑だな。俺は放っといて良かったのに」


 坦がため息まじりの笑顔を能に送り、能はそれに対して、いつもの物静かな声で答えを返した。


「…そうか。いや。私は。もう、紫瑛をそれほど子どもだと思っていないから。すまなかったな」


 その言葉を聞いて、私は顔が熱くなった。子どもだとも、子どもじゃないとも言われて、どう反応して良いのか分からなかった。ただ、2人が私のことを大事にしてくれているのだけはよく分かった。それで、顔が熱くなった…


 顔を伏せて黙る私に、元の勢いを付けさせようとしたのか。坦は、私を怒らせるような会話を少し、能とした。


「…なぁ。夢ーちゃん、今日のパンツは水色だったな」


「え」


「ライラの爪で割れたスカートから、パンツ見えただろ? ほら、水色の…」


「…あ、あれは…ただの、ヒモだろ…?」


「…やっぱり見えてたな、オマエ…夢ーちゃんはヒモパンしかはかねーの!」


「…何で、ソレをお前が知ってる…」


「そりゃあ、干してる所をよーく見……」



「もうっ! 姫様がパンツ干すところ覗くのはやめてくださいっ!」


 私が熱い頬のまま叫ぶと、坦は軽く笑って私の頭をポンッと叩いた。



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