十六
私が後宮の中を走り回っていると、華陽宮に入る直前の廊下で能の後ろ姿を見つけた。游さんと話しているようだった。私はその2人の間に、泣きながら飛び込んだ。
「うあぁぁぁぁっ! 能さんっ! 能さんっ!」
「どうした!?」
ただならぬ私の雰囲気に、能は冷静に語り掛けつつも、私の口から出る次の言葉を待っているようだった。
「庭で、遊んでたら! ライラが! ライラが死んじゃう!
森から何か飛んで来て! 坦さんと僕、狙われてっ! ライラが助けてくれてっ!」
そこまで私が言うと、能は目を見開いて何かを悟った様子だった。游さんも表情は暗く、何か危機が起こっていることを理解した様子だった。
「分かった。紫瑛。どうにかしよう、私がどうにかするから。さぁ、落ち着くんだ。
坦はこの周囲にいるのか? 案内してくれ。
游さん」
「うん?」
「応援が必要かもしれません。もしそうなら、貴方に頼ることも生まれるでしょう。王族に動いて頂くことを勧めたくはありませんが、緊急事態です。どうかお力をお貸しください。お願いします」
「任せて」
「紫瑛、坦の所まで案内してください」
「ハイッ!」
私はまた、涙を拭きながら走った。しかし、能に会う前よりかは幾分、落ち着いていた。
私は精一杯走って、坦のいる台所に2人を案内した。
台所では、血を流しながら息を荒くして横になっているライラを、坦が優しくなでていた。私は台所に入るなり、坦に飛び付いた。
「うあぁぁぁ…坦さぁぁん! 能さんですぅぅぅぅ!」
坦は私を抱き締めながら能と游さんに簡潔に説明をした。
「ありがとう、助かった、ありがとう!
能! 游さん!
外庭で襲撃を受けた! 襲撃者は不明!
ライラが守ってくれたんだけど、攻撃を受けてしまった!」
「『ライラ』は虎か?」
「そう」
「失礼。怪我を見せてくれ」
能はライラに刺さっている『何か』を見詰めた。
「矢…いや、これは、弩(クロスボウと似た構造の弓。引き金を引くことによって矢が発射される)の矢。
射程は…物に寄るが、100~300メートル。しかし、有効射程は大体50メートルくらいか。この怪我の深さだと、有効射程より遠い。
方位は?」
「巽(南東)。森のある方向から」
「姿は見ていなかったな?」
「あぁ」
「ではおそらく、距離は50メートルは越えているものの、100メートル以内だったろう。追いつける距離ではある。追って来た様子は?」
「ない。後宮の門は閉じた。
訓練された者でない限り、あの門も壁も越えるには時間がかかるだろう」
「…襲撃者が諦めてくれていたら良いが。
様子を見たい。それから、その虎も。
…北の門から出て、南門、東門の様子を見れるか? それから、そのまま、獣医を呼びに行けるか?」
「待て」
能と坦の会話に、游さんが割って入った。私たちの方を見回しながら、静かに声を響かせた。
「朕が偵察もするし、呼びにも行く。
坦殿、其方はダメだ、狙われたのだから。
朕を外におびき寄せるにしても、其方や紫瑛殿を狙うのはおかしい。
朕を見易い場所に出したいのなら、…今、まだ宮中にいる我が養娘を、狙うはず。
狙われているのは、其方らだ。
心を鎮め、ただ、待て。朕は死なぬ。天の娘が我が傍らにいる限り、朕にも、其方らにも、凶事は訪れ得ぬ。
…では白丞相、行って参る。
吉報を待て!」
そう言って、游さんは最後の言葉を背中ごしに伝えると、颯爽と走って出て行った。
游さんは少し切羽詰まっていたのかもしれないね。
私たちの前では余り使おうとしない、王の風格を醸し出した話し方をしていたから。
その言葉遣いの瞬間は、いつも、とても頼りがいがあって立派な人物に見えたよ。
稀にしか聞けない言葉遣いだから、もし、その当時、緊張に縛られた状態でなければステキな瞬間だったんだけどもね。
その時は、普通じゃなかったから。
…情けないことに、私は游さんが出て行った後も、坦に抱き着いたまま、ずっと泣いていた。
ライラはウゥゥゥ…と低く唸って横たわっていた。
赤い血が、まるで生きた模様のように床へ広がっていった。




