十一
点心を買ってもらい、自分の分を食べ終えた私が坦に連れられて厩に着くと、大きな白虎はスゥスゥ言いながら横になっていた。
坦が「ライラ?」と優しく声を掛けるとフッと目を開け、首をもたげてこちらを見た。
そうして坦の姿を確認すると、白虎はゆっくり起き上がって背伸びをした。そうして、きちんと座って私たちの方を見つめた。
「『ライラ』って名前にしたんですか?」
私が坦に向かって聞くと、坦はハハッと軽く笑って答えた。
「そう。西洋の星座に『琴座』ってのがあって。それのラテン語バージョンだよ。紫瑛が分かりやすいように言ったら、織女星(織姫星)って言やぁいいのかな、それが入ってる星の集まりだよ」
「難しいです…」
「理由なんか深く考えなくっていいさ。カワイイ名前だって思っとけばいいよ」
「セイザ、僕にも教えてくれますか?」
そう言って坦を見上げる私を、坦はまたカラカラと笑いながら答えた。
「男に教えるシュミはねーから。夢ーちゃん連れて来るか、……俺の教えてる学校に来な。年相応の頭を持てるようにもなるから…」
そう言って、白虎の首についている革のベルトを外した。「僕は年相応じゃないんですか」と聞きたいところだったけれど、また何か笑われそうで。私は大人しく坦とライラに付いて厩の外へ出た。
坦はライラを連れて、王宮の外へ出た。
「どこに行くんですか?」
追い駆ける私に、坦は優しげな微笑みをたてて静かに答えた。
「ん。町を通って、農村の方向に迎えに行ってみようかなって思ってる。本当は持って来てくれるらしいんだけど。…国の人に、慣れてもらわないと」
ライラの肩辺りを静かになでた坦は、遠くの景色をながめていた。
夕刻。
赤い夕焼けに、白い毛が美しく映えた虎を連れた坦は、どこか、異国の英雄の絵から飛び出て来たようだった。
多くの大人は怖がって声も出さず、家の影からライラを見詰めた。しかし、子どもは…特に、坦の教えている生徒たちは、ライラを触りたがって、大人の手を振りほどこうと必死だった。
オカァチャン、センセェノトラ、サワラセテヨォ!
ダメダヨ! センセイダカラダイジョウブナンダヨ!
オイオイ…ツナモツケズニ…ダイジョウブカァ?
センセイー! トラサワラセテェ!
オヤメッテバ!
ザワつく町の中、向こうから馬の牽く荷車がガロガロとやって来た。荷車の上の男性は、坦を見つけると…というよりも、大きな白い虎を見つけると、手を振りながら大声を上げた。
「おぉー! 先生! それが肉を食わない虎かいー!? 今、宮殿まで持って行くトコだよぉー!」
坦も手を振って男性の声に返答した。
「ありがとうー、林さーん! 今少しもらえますかー?」
そう言って手を振る坦に、林さんは荷車に山積みになっている野菜の内、何本かの大根を手に取った。そして、どこに乗っていたのか、当時の私と同じくらいの年の少年に大根を渡した。少年は荷車から飛び降りると、坦の方向へ走り寄って来た。
「こんばんは、先生! どうぞ!」
「ありがとう、林くん。すっかり元気になったね」
「ハイッ!」
「フフッ! 良かった良かったー」
ニコニコしながら大根を渡す少年の頭を、坦は優しく2度なでた。しかし坦はそこで大根は受け取らず、私の方を見た。
「林くん、このコに渡してあげて。エサをやりたいらしいから」
「ハイッ!」
この『林くん』は私も何度か話をしたことがあった。名前は『林 範』くん。坦が見ている生徒の中では年長の方だ。
「はい、紫ーちゃん! 傷物だけど、美味しいから、きっと虎も喜ぶよー!」
「アリガトッ!」
ニコリとして渡してくれる範くんの手から大根を受け取り、私はライラの方を向いた。
するとライラは私の方を向いてきちんと座ったので、私は大根の葉っぱの方を持ってライラの鼻の先に恐る恐るゆっくりと突き出した。すると、坦は少し微笑んで、私の手の上から葉っぱをつかんでライラの方へ向けた。
「ライラ。『ご飯だよ』」
そう言うと、ライラはゆっくりと大きな口を開けて、私の持っている大根を静かに咥えた後、自身の足元に置いて大きな体を伏し、ガリガリとかじり出した。
オォーッ…
アラ、オギョウギイイノネェ…
カァチャン、ダイジョウブダヨ、チカクニイッテイイダロ?
ヘェェ、センセイ、ヨクオシエコンダナァ…
町の人は、恐る恐るだが、ライラの傍へ寄って来た。
「先生! 触っていい?」
「俺も俺もー!」
キャアキャアと寄って来る子どもに、坦は優しい笑顔を向けた。
「いいよ。でもあんまり引っ張ったりしちゃだめだよ」
ワァァァ…!
ライラはたくさんの小さな人間が寄って来たのを見ると始めこそビクビクして大根を咥えて坦の後ろに隠れたりしていたが、坦が子どもをなでたり肩車をしたりしていると安心して坦の後ろからゆっくりと出て来た。
子どもたちはライラの背中をなでたり、大根をやったりしていたが、そのうちに慣れてきて背中に乗ったり、手を握ったりしていた。ライラは何をされても笑ったような表情でじっとしていた。
そうこうしているうちに、いつの間にか大人も混ざってライラを触ったり、大根をやったりするようになった。
坦はしばらく町のみんながライラに慣れるのを楽しそうに眺めていたが、ある時、フッと気が付いたように、遠くを眺めた。
坦は視力が良かったから。遠くでも、暗くても、一般的な人より、良く見えていたと思う。
私がライラのほっぺたをフカフカとなでていると、急に坦は、誰もいない方向に、手を振った。ように見えた。
頬は少し赤みを帯びていて、幸せそうな表情で手を下ろした坦は、周りの皆に静かに声を掛けた。
「ごめん、お迎えが来たみたいだから。今日はこれでいいかな? またすぐ遊びに来るよ」
エー、センセェ、ツマンナイー!
オムカエッテドコー?
モットトラチャントアソブー!
ツギワタシノバンダッタノニィー!
子どもたちのブーイングの嵐の中、坦は申し訳なさそうに「ごめんねー」と言って回った。大人たちは子どもたちに「先生を困らせちゃだめだよ」とか「先生にも虎にも休憩が必要だよ」となだめる言葉を掛けて、ライラの周りの人山は少しずつ、解散していった。
――シャン…シャン…
人が少なくなっていく中、私にはやっと、坦の言っていた『お迎え』が何なのか理解できた。
いつもの髪飾りの音が遠くから聞こえて来た。
周りはもう暗くなりかけていて、町の家家の吊り灯籠には明かりが灯り始めていた。
薄暗い町の通りの中、いつもの様に緑の1枚布から出来た着物を着て、坦の前に、姫は走り寄って来られた。
坦は幸せそうな笑顔を1つ姫に贈ると、そのまま手を差し出した。
「どうしたの? 1人で帰るのが寂しいの?」
そう言う坦の手の上に、姫は無表情で手を乗せた。そして私を見つめると、片手の手話で簡単に用件をお伝えになった。私は姫の話す内容を理解して嬉しくなったが、坦は分からなかったらしく、私に聞いてきた。
「えー! ほんとですか!? じゃあすぐ帰りますねっ!」
「何て?」
「『ご飯作り過ぎた』らしいです。『一緒に食べる?』て言ってます」
「あぁ! 本当? 嬉しいなー! 俺、夢ーちゃんのご飯、好きだよー! じゃあ、すぐ帰るから!」
そう言って微笑む坦の後ろを、坦の生徒が2、3人、親に手を引かれながら通り過ぎ、その過ぎる瞬間にフッと坦へヤンチャな言葉を贈った。
「先生ぇ、夢ーさんのご飯より夢ーさんが好きなんだろ。早く結婚しろよ」
「游さん、別に誰でも結婚していーって言ってたぜ」
「なー、そーだよなー」
その言葉に、即座に反応したのは親だった。「これっ!」と子どもたちの頭を1発ずつはたいて、坦に向かって慌てて謝罪した。
坦は汗を流しながら「いえいえ。子どもたちにとっては、こうやって大人をからかうのも遊びの1つなんですよ」と笑って答えていた。しかし、姫の手はずっと握ったままだった。
全員がライラの前から解散すると、坦は私の両脇に手を入れて持ち上げ、ライラの背中に乗せてくれた。そして宮殿に向かって歩き出した。私がライラの背中から渡した点心をほおぼりながらシャンシャンッと楽し気に進む音源に、坦は終始優しい微笑みを落としていた。
さぁ。
2日目の報告会の話に入るよ。
ここからまた、展開が起こるんだ。




