十
坦と私は、寝台近くの椅子2脚にそれぞれ腰を下ろした。
「先程は本当に失礼しました」
「いえいえ。こちらも失礼を。それで、ご用事は何でしょうか」
「はい。
あの、僕は先日、人を襲ったと言われる虎を捕まえまして…」
「…あぁ! 貴方でしたか! 噂は最近聞きました! 素晴らしい…お会いできるとは!」
そう言って、孫さんは坦の両手を自らの両手で包み込むように握った。坦は少し照れたように言葉を続けた。
「いっ、いえ…
そ、それで。
僕が捕まえた虎は、どうやら菜食主義だったらしくて…それで、人を襲った獣が、別にいるかもしれない、との話が浮上しまして。
游さんから聞きました。貴方は、その、虎とは別の、大きな獣に襲われたんだとか。
教えてくれますか?
僕は、僕に優しくしてくれたこの国のために働きたいんです。虎以外の獣であっても、それ以上の力を持つ生き物であっても、僕の死と引き換えてでもその獣を捕えたいと考えています。
…それくらいの覚悟で、退治に尽力したいと思っています。どうか、知っていることをお話しください」
すると、孫さんは悲しそうに微笑んで首を横に振った。
「すいません。
それが…私の、勘違いだったらしく…いえ、なにぶん、パニックになっておりまして。
私は獣に襲われたのではありません。
あれは…人、だったのかもしれません。とにかく、走り去る影しか覚えていないのです…
…噂は、耳にしております。襲われた人の腹には、何かの道具で孔が開けられていたとか。悲しいことです。私も出来る限り協力いたします」
それを聞くと、坦も悲しげに頷いて、孫さんの両手から静かに手を引き抜いた。
「ありがとうございます。良い人ですね、貴方は…」
「いえ…お役に立てず申し訳ない…」
2人の間に沈黙がしばし訪れた。
沈黙を破ったのは、坦の方だった。
「あ、あの。
そ、それで。
貴方は夢ーちゃんの髪や目を調べていたんですってね。
ど、どうでした?
何か異状はありましたか? 心配で…」
「あぁ! 全く、全くですよ! 逆に、逆に、です!!」
坦の言葉を聞いた孫さんは、途端に目を輝かせ、それまでとはうって変わって興奮し、どもりながら言葉をつむいだ。
「そそそ、そうなんです!
ここ、こんな、こんな美しい生き物を、私は見たことがございません!
見てください!
あっ、姫、こちらへ! 早く! こちらへ!」
孫さんは姫を手招いた。姫は初め驚かれていたが、慌てて孫さんの寝台に駈け寄り、座る場所を見つけられなかったのか、寝台の、孫さんの体のすぐ傍へ腰かけられた。姫が孫さんを見つめながら座ると同時に、ギシリと寝台が鳴った。姫を見つめる孫さんは熱っぽかった。その熱っぽい視線のまま、孫さんは語り出した。
「この手を見てください、皮膚がなまめかしい青白さだと思っていたら、うぶ毛もごくごく薄い、緑と青なのです!
それなのに…爪はこのように血色の良い桃色! 血液が美しい赤色のためです!
口腔内も他の生き物と変わらず、赤い…許されるならば、…許されるならばっ、他の体の色も、ぜ、是非、見せて頂きたい程!
あぁ…この世界にこの生き物以上に美しい生き物はいないでしょう…
美しい……
いつまでも眺めていられます……
なぜ、貴女は『姫』なんです……
姫でさえ、なければ……」
姫の手や腕に触れ、仕舞いには頬を両手で押さえてうっとりと見詰め出す始末の孫さんを見て、坦はゆっくりと微笑んだ。そうして、孫さんの手にゆっくりと自身の手をかけ、姫から孫さんの手を離しながら声を掛けた。
「うん、うん…とってもステキですね…
…まぁ、夢ーちゃんも、そこらへんで下がってて。
…情報、ありがとうございます。ご協力くださることも、とても嬉しいです。
それでは、僕たちは、これで出て行くことにします。
お大事に」
「ありがとうございます。応援しておりますよ」
「…いえ……
夢ーちゃん。それに、歌陰さん、歌陽さん。君たちも、もう帰って差し上げたらどうですか?
もう、休ませてあげないと。
またいつでも会えるんですから」
そう坦が言うと、姫はコクリと頷かれ、寝台から飛び降りた。それから、歌陰さん、歌陽さんも、軽く頷いた。それを見届けると、坦は笑って私の背中を押しながら入って来た戸を開けた。
「じゃ、僕たちは、これでっ!」
「あっ……失礼しますっ!」
私は慌てて部屋の中の方方へ挨拶をし、先を歩く坦の背中を追った。
「坦さん、これからどうしますぅ?」
そう聞きながら坦の顔を覗きながら歩く私に、坦は珍しく考え込んだ表情で答えた。
「アイツ……俺の国にいたことがあるのかもしれない……」
「えっ…?」
「まだ、分からないけど……もう、今日はこれでやめとこう。王宮へ帰ろうか。
…あー……そっか、帰るんだったら夢ーちゃんも連れて帰るんだったな……
…まぁ、あの姉妹がいるから大丈夫か……」
一瞬、立ち止まって孫さんの部屋を振り返った坦だったが、すぐにまた前を向いて歩き出した。
「…ねェ、何か分かったんですか? 僕、全然分からないです…」
私が残念そうに聞くと、坦は少し困ったような表情をした。
「…いや、まだ、分からないって……お前が分からないだけかもしんないし……」
「んー? 何か僕が分からないこと、さっき、ありましたか?」
「…いい。気にすんな。
それより、早く帰ろう。
ほら、虎にエサやりたいんだろ?
点心も買ってやるから」
「わーい! そうだった! さっきのお店のがいいです!」
嬉しくてニコニコする私の肩を、坦は軽くポンッと叩いて速足になった。
…ほとんどイタズラ好きな兄貴分と出掛けた話だったね。
…え。
…あぁ、まだ点心のお店はあるよ。
味も変わらない。
実は今でも良く、坦と行くんだよ。
流石にもう、彼は連絡先を渡したりはしていないけどね。
それでも、くれと言ったら何の躊躇もなしに連絡先をくれるよ。
ただ、君も知っての通り、彼もとんでもなく偉くなってしまっているし、有名人にもなってしまったからね。連絡しただけでは、なかなか会えないとは思うけど。でも、気さくに話してはくれるよ。時間の予約さえ取っておければね。




