九
当日、坦は自国南境国の国色、明るい橙色の生地に金糸の入ったデールに鉢巻き状の巾を巻いていた。
「準備が整いました。本日、これから金さんの仇を取ろうと思います。それで…まずはご挨拶に参上しました」
アリガトウ、センセイ!
アリガトウ…
ヨカッタネェ、キンサン…
ガンバッテクレ!
センセイッ!
センセイ!
喜び泣く女性に、拝むようにお辞儀をする老人、声援を飛ばす男性…そこに居た誰もが、坦に期待を寄せていた。その時。
「坦ちゃん、ちょっとここまでおいで」
游さんが声を掛けた。
坦は持ち物を床に静かに置くと、棺と遺体のある方向に揖礼を1度した後、私の横を通り過ぎた。
んっ……という、短い声が聞こえた。坦の声だ。
「坦ちゃん。これから大変なことをする直前なのに、心を乱すようなことをさせてごめんね。後で穴埋めはしてあげるから。
ちょっとだけでいいんだ、ちゃんと見て。
君んちの国は狩猟中心だ、俺たちの知らない知識を、君は持ってる。しかも、君は…多くの国も、地域も、渡り歩いた。その間に蓄積した情報があると思う。その知識に頼りたい。
…この傷跡に、何かヒラメくものは、ない?」
「……」
「大丈夫か、坦。無理はするな。お前はこれから重大な使命があるのだから」
周りにいる人々も、その結論を待って静まり返っていた。
…しばらくして、坦は静かに言い放った。
「………分かり、ました。これは…虎の口ではありません。そして、現存するどの獣の口でもありません。
これは、獣ではなく、獣を捕らえる側…人の作った物。金属製の、ワナの跡です。
『虎挟み』…間違いありません。
おそらく、四境中、僕の国しか猟に使用していません。
…これとよく似た人間用のワナも開発され僕の国以外にも存在していますが、コレは規模的に獣用。その獣用のワナに…おそらく、同じ金属で、肉を切断出来る程の鋭い牙様の刃を付けた改良…いえ、改凶版です」
オォッ…
その言葉に、金さんの家に集まっていた全ての人はざわめき、ヒソヒソとした声で囁き合った。
「そうか。ありがとう」
游さんがそう言ったすぐ後、金さんが私の横を走り過ぎた。
「そうなの? そうなの? この人は、虎に食べられたんじゃないの? どうして…何でなの…? 道具のせいなの…? 誰かがきちんと管理してれば、この人、こんな死に方しなかったの…? なんで、なんでよぉ…游ちゃぁん、なんでよぉぉぉ……獣のしたことだから、仕方ないって、諦めかけていたのに………う、あ、ぁ、ぁ………」
誰かの服をつかんでゆさぶった音が聞こえて来た。
「おばちゃん…ごめんね、悲しい思いを2度もさせて」
そう游さんが言った後、金さんは泣き崩れた様子だった。服を引っ張りながら床へ崩れ落ちる音が、私の背後から聞こえてきた。
しばらく鳴き声が聞こえた後…
「いいの。ごめんなさいねぇ。山にねぇ、入るからにはねぇ、危険なことがたくさんあるから…だから、ねぇ…きっと、この人、覚悟はしてたし、私も、ある程度、してたつもりなんだけど、ねぇぇ…死んでしまったものは仕方ないとは思うんだけど、やっぱり、ねぇぇ…うぅう……うっ、うっ…大丈夫だよ、すまなかったねぇ、取り乱して……」
「違うよ。これは、覚悟しての事故じゃないんだから。おばちゃん、怒っていいから。そこまで綺麗でいなくていいんだよ…」
游さんが金さんを抱き締めている音が聞こえた。金さんは今まで以上に号泣した。
「坦。もう君は下がれ。君の繊細な心にこの光景は強烈過ぎる…」
能の声が聞こえてきた。
「…やはり、虎ではありませんでしたな。早急に調査を進めましょう。…事故。…であった、と、願うばかりです……」
その声に、游さんが静かに答えた。
「……そうだね……」
そしてしばらくして、泣き止んだ声が聞こえ、金さんが私の横を通って遺体から離れていった。しかし、坦の姿は見なかった。
それを見届けてからか、游さんは決意したような声を発した。
「……よし、坦ちゃん、人食い虎じゃないって分かったから。今日やろうとしていた、危険なことはしなくていいよ。
俺はこれから虎に気を付けて狩りをするように狩人の人たちと話し合うことにする。虎はいたけど、人を食べようとする虎じゃなかったからね…
それから、この事件の真相を探らなきゃ。おばちゃんのためにも、他の人に被害が及ばないようにもね」
しかし…
「…待って。僕は、まだ、下がれない」
その坦の言葉に、それまでざわついていた近所の人々は、また静かになった。
「…坦ちゃん、分かった。君は優しい子だね。言ってごらん?」
「…僕も協力したい。これは…酷すぎる……! 僕にも仕事をください、游さん!
それに…人食いじゃなかったとしても、虎はいるんだ…お腹を舐めていたことも気になるし…
僕は今日、やっぱり決行します。
虎退治、やりましょう」
それを聞くと、また金さんの家の周囲が数々の感激の言葉でざわつき始めた。
「ただし!」
坦の流れるような滑らかな声が、ざわつく声を切り裂いた。坦はどうやら、遺体の方向へ向けていた体を、聴衆のいる方向へ向けたようだった。私の背中から、声をかければ12割の女性が振り向くといわれる、そのドキリとさせる美しい声が響き渡る。12割…それは、声をかけた女性だけではなく、その周りにいる女性までも振り向く、ということだ。
「皆さん! その虎、もし、生け捕りに出来たら是非、僕に飼わせてください。
南境の誇りにかけて、無害の上…犬のように人間に尽くす虎に育て直します!」
それを聞くと、それまでのざわつきが、川の流れる音から滝の落ちる音に変わった程、規模が大きくなった。
そんなざわめきの中、游さんは坦に答えを示した。
「君はイイ男だね、坦ちゃん。じゃ、お願いしようかな。俺たちの手伝いも、虎退治も。もちろん、虎は君の思うようにしてくれて構わない」
「ありがとう、游さん。
…えっと…ワガママついでになんだけど、確かめたいことがあって。
何でも良いので肉と…そうだな、大き目の野菜をもらってきてくれます?」
「うん、いいよー。お肉と野菜ねー。
じゃあ、行こうか」
そう言って、游さんは私の隣りまで来ると、私の肩を抱いてから、皆へ声を掛けた。
「坦ちゃんが虎退治をしに行くってさ! 見届けてあげられる人は、昨日言ってた場所へ行って! お葬式を手伝う人は、残って!」
その言葉が終わると同時に、人は動き始めた。金さんに挨拶をして家を出て行く人、金さんへ声をかける人、とそれぞれだ。
そんな中、游さんは坦を呼んだ。
「おいで。坦ちゃん。小夢! おいで!」
游さんはなぜか、姫にも声をかけた。来たときと変わらず柱の傍でいた姫は、急いで游さんへ駆け寄った。
「小夢。坦ちゃんはこれから虎退治に行くよ。その前に、俺が坦ちゃんに嫌~なストレスを与えちゃってね。きっと心が寒がっているから。悪いけど温めてあげて。俺は、ほら。紫ーちゃんで手一杯だから」
そう言うと、游さんは私の肩を抱いた腕をフルフルと揺らした。そうして坦に向かって衝撃的な言葉を掛けた。
「『穴埋め』してあげるって言ったでしょ。俺が抱き締めるより、オンナノコの方がいいよね? 小夢、パパの言うこと分かるね。応援してあげて」
ニコリとして笑う游さんに、私はまた真っ青になった。――姫様、やめて!――それを言う前に、目の前の碧い髪の毛は飛び跳ねていた。同時に、坦の短い驚嘆の叫び声が聞こえた。
「あっ………!!」
それまで見たことのない、坦の表情が見えた。
それまで私は、坦が姫をよく口説いている姿を見かけたし、ちょっかいを掛けている所も見たことがあった。それを邪魔しようとする私を追い駆け回して意地悪する姿も、本当に良く見た。しかし、その時の彼の表情は、そこには無かった。
…後でまた詳しく伝えようと思うが、坦はわざと口説いていたり、ちょっかいを出したりしていたんだね…当時の私は本当に幼かったから、そんな難しい男性心理は分からなかった。彼なりの理由があったから、彼は無理に自分を作っていたのだと思う。本当は、『ツェツェグボロル』…『花水晶』の名前に相応しい心を持っていたのだよ。私を追いかけ回していた時も、意地悪をしていた時も、彼は実によく子ども心を分かって遊んでくれていたんだ。身長差も体格差もあったのに、私は彼の腕からよくすり抜けられていたし、私の反撃にも良く負けてくれていた。意地悪も、私を楽しく怒らせる内容ばかりだったと思う。思えば、彼のおかげで幼い私は子どもらしくいられ、子どもなりのストレスや小さいながらに太宰・太保の仕事をするというストレスからも、彼と些細なケンカをすることで上手く逃げられていた。彼は…悲しいことに、自分を犠牲にする天才だった。
坦のまつ毛の長い大きな目が一瞬見開かれた。その直後、頬は瞬間的に紅潮して、どこを見て良いのか迷っているように視線が定まらなくなった。短く繰り返される呼吸音は、口で酸素を吸わないといけない程、鼓動が早かったのだろうということが分かった。体は少し、震えていた。腕は少し上がっていたが、震えているわりに固まって動かせないようだった。
姫は坦の胸の辺りに頭を置いて抱き締めておられた。坦とは真逆で、相変わらず、無表情でいらっしゃった。しかし…
姫はゆっくり右手を上げられ、坦の左胸辺りに指で文字をお書きになった。
『か、え、っ、て、き、て』
『ぶ、じ、で』
汗が止まらす口に片手を当てて肩で息をし出した、頬の紅潮が徐徐に顔全体に広がりつつある坦の顔へ、姫はご自身の顔を向けると。
「みゃー」
いつも坦が長い口説き文句を言い終えたときになさるように、楽しそうに微笑んだ後、一言、お鳴きになった。
それを見た瞬間、坦は時間を超えるくらいの勢いで顔中どころか首まで真っ赤になり、驚いたことに、坦の方から、姫の両肩を持って剥がし放つように姫を游さんの方へ押しやった。そしてすぐに片膝を付いて座り、胸に片手を当てて頭を垂れた後。
「あ、『穴埋め』、どうも」
その一言を言って、サッと立ち上がり、荷物を持って走り出て行ってしまった。
「游さん。私たちも参りましょうか」
能の声が背後から届いた。彼のいる方へ、私は振り返ることができなかった。
…さぁ、お待たせ!
ここから、四境の物語中、誰もが知っている『虎退治』の話に入るよ!
君の知っている『虎退治』の話と、私が直接見た『虎退治』、比較しながら聞いてみておくれ。




