八
姫様には蘇さんの家までここから1番近い医師を連れてくるよう頼み、私は同じく、ここから1番近い薬師の元まで走った。
…いやね。
おもしろくなってきた話の途中、こんな話を挟んでしまって申し訳ないんだけどね、一応、言っておこうと思って。
あのね。
以前…当時はねぇ。色々特殊で…適当な所があったよ。医師と薬師、もしくは、鍼灸師と薬師が兼任されてたりね。畑の片手間に助産師をしたりなんてこともあって。免許が特別要る、ということもなかったし。いや、そりゃ、あれだよ? どこそこの先生の下で研究してたとか、何某先生から優秀だと評価を受けたとか、そういった、書類や証書があるに越したことはないんだけどね。でも、自然と、腕の悪い医師や薬師、鍼灸師などには人が頼みに行かなかったし…あれね。何と言っても、西境国の誠の国民は、善い人だったから。他人に迷惑がかからないよう、医療行為やそれに類似する行為の心得がない人物は、その技術がある、治療できる、と周りに大口たたかなかったし、やりもしなかったよ。
…いやぁ、他の国では、やはり免許の要る所もあったよ? 国よって異なるってだけじゃなくて、国の中でも特殊な地域は代々医師の家系でなければならない、なんていう風習もあったみたいだしねぇ…まぁ、とにかく、当時、今みたいに決まった医者のなり方なんてなかったよ。生命と身体を預かる業務なのに、ちょっと雑ななり方だったね。私の出身国である東境では当時でも試験を受けて免許を得ることが必要だったねぇ。今から思えば、当時からキッチリしてたねぇ…
…いや、それでも。それでもだよ? そりゃあ、王付きの医師、なんてものは当時から余程の信頼と実績がなければ出来なかったから。各国、それはそれは名医が軍団のようにたくさん付いていて、王に何かある度会議をしたりしていたよ。おもしろいことに、時には戦争で医師を奪って来る、なんてのもあったみたいだよ。……あー……そうだね、だんだん話がずれてきたね。戻そうか。
でだよ。当時の西境国では『王付きの医師』なんてものはなかったし、国の医療関係者は皆仲が良くてね。対立さえなければ、手柄の自慢も名誉も欲しがることはなかった。皆、患者を救うためなら協力を惜しまない人物ばかりだったよ。游さんや姫様に何かあったら全員で駆け付けるくらい過保護でお節介な人たちばかりでね。それで游さんはどの医師でも、どの薬師でも、平等に信頼していたし、自身だけでなく、国民の命も身体も任せていた。
だから、『近くの医師と薬師』で充分対応出来たんだね。もし手に負えなくても、他の医師に外聞を気にせず頼ってくれるからね。
では、話に戻ろうか。
いやいや、言いたいことを言ってしまってすまなかったね。
ええと。
そうそう。
医療関係者を呼びに行った所まで話したっけね。
蘇さんの家は山の麓に1番近い…清潔で大きな部屋のある宿屋だった。猟や山菜採りのための人が休んでいける施設として運営していたよ。今は有名ホテルになってるかな? まぁ、見た目や内装が誰でも危険無く利用し易いよう綺麗になっているだけで、運営している人たちも、その信念も、おもてなしの内容ですら、全く変わってないけどね。
そこで男性は医師と薬師によって診察を受けた。
私と姫様は部屋の外にいて、游さんが男性の状況を医師たちから聞いて出て来るまで静かに待っていた。
それからそんなに時間も経たないうち。游さんは出て来た。私は心配になって、游さんに駆け寄って聞いた。パタパタッと足音をたててしまったことは恥ずかしく思うけれど。
「どうなったんですかっ!?」
「優しいね。大丈夫。頭を打っただけみたい。あと、頭を打った時に足をすべらせて、山の斜面を転がり落ちたから…それの切り傷と擦り傷かな。意識はあるみたいだし、記憶にも問題ないみたい。今は寝てるよ」
「ふぁー! 良かったぁ…」
「お医者さんたちに任せて、俺たちは金さんちに行こうか」
「はい!」
『金さん』、というのは旦那さんを虎に殺された、奥さんだね。
游さんが先に歩き出したので、私たちは游さんを追い駆けるように、金さんの家へ向かって歩き出した。
道すがら、游さんと話をしながら行ったよ。
「能ちゃん、もう着いてる頃だろうな。怒られるかもにゃー…」
「え。能さんも来る予定だったんですか?」
「…小夢と紫ーちゃんには後で伝えるだけにして、見たり聞かせたりしないようにしようって言ってたんだけど…」
「…2人でオイシイモノ食べに行くんですか?」
「アッハハ! それだったら良かったねぇ! ううん、違うんだなぁ。いやぁ、ほら、ショック受けるかもしれない話をする予定で。」
「…ご遺体のお話ですか? 僕、太宰(太宰:役人全ての長官、責任者)ですから! 聞いておきますっ! 大丈夫ですっ! 子どもじゃないですからッ!」
「…うん、そうだね。俺も、紫ーちゃんはもう、立派な責任者だと思ってるから。しっかりしてるし。能ちゃんが考えてる以上の体験もしてきてるし。何といっても信頼してるからね。じゃ、また、聞いててもらおっかな。…見ちゃだめだけどね。いい?」
「はいッ!」
「小夢はダメー。絶対ショック受けるし泣いちゃうし。それにさぁ、俺、周りから怒られちゃうもん。たぶんみんなも連れ出しちゃうし。俺とみんなの顔立ててダーメ」
游さんが困ったような笑顔でそう言うと、姫は顔を少し下に向けられて上目遣いに游さんを見上げ、かすかに、小鳥のような声で呟かれた。
「……ピー………」
「だめだめ、外でみんなのお手伝いして待ってるんだよ? いいね。でも坦ちゃんが来たらみんなと一緒に行って、見届けてあげるんだよ? 坦ちゃんは小夢のお兄ちゃんみたいなもんだからね、応援してあげたら喜ぶよー」
それを聞いて当時の私は安心したもんだ。
游さんは坦を姫のご兄弟のように扱っているだけだ、とね。
いやぁ、当時の私は幼かったねぇ! 逆にそれが…何かね、君たちの感覚で『ヤバい』というの、かねぇ? 男性として見ていないからこそ、坦の胸の内を読み切れず、坦が姫と『ヤバい』状況に持っていきやすいのにねぇ。
…まぁ、話を先に進めようか。もうすぐ、虎退治の話に入るからね。
そうこうしているうちに、我々は金さんの家についた。
金さんの家では、もう魂呼び(死者の魂を呼び戻す儀式)も湯灌(死者の体を水で清め洗う)も終わって、紙銭(あの世で使うお金)も作り終えた、と周りの人から聞いた。が、通常、人が死んでから行う、湯灌後にする軽い衣装を付けたりすることや、2日目に行ったりする儀式はまだ手つかずのまま置いてある、と聞いた。例えば、2日目に小斂と呼ばれる、死者の体に寿衣(死に装束)を着せることなどはまだ準備もしていないらしかった。それは、どうやら游さんが頼んだらしかった。
我々は、金さんの奥さんにお悔みを申し上げて、お手伝いすることがないかを聞いた。特にないよ、ありがとうね、と言われた後、遺体の傍に能がいるのを見かけた。能も私がこちらに気が付いたことを確認出来たようだった。
「…遅かったですね。…しかし、紫瑛と姫は連れて来るべきではありませんでしたな」
「付いて来ちゃったんだよー。小夢はこっち来ない約束させたし、紫ーちゃんは、前みたいに話は聞くけど見ない約束したから。このコ、お役人さんだから。話だけは、知っておいた方がいいよ、きっと」
「…仕方ありませんな。では、こちらへ」
能が私と游さんを呼んだので、2人で棺の近くにある、死者の礼服を掛けている遺体まで近付いた後、約束通り、私は後ろを向いた。すると、姫が玄関近くの柱の傍でこちらを向いて静かに待っておられるのが見えた。目が合うと、姫は残念そうな微笑みを私へくださった。
姫の表情に囚われていると、不意にファサッ…っと布を取る音が背中から聞こえた。
「…やはりこの口の大きさでしょう。噛み傷だとは思いますが…これほど円く大きいとは…先程最年長の狩人にこの噛み跡を見て頂きましたが、どうやら知っている獣の噛み跡ではなさそうです」
「そうだね。俺は、腹を正面から一発で食い破っているのが珍しいと思う。顔を横に傾けることもなく、腹を横から破くでもなく…それに…喉に噛み跡が無い。熊とか一部を除いて、肉を主に食う獣は大体、獲物の窒息死を狙って喉を狙って来るんだけどね…まぁ、遺体に噛み跡や傷がないから、抵抗なく死亡したんだろうけど、それにしても…」
その時だった。
「先生!」
「先生!」
「ありがとう、先生っ!」
「今日は頑張ってください、先生!」
藤で編んで作った円柱形の椅子と、竹と革で作った大き目のボールを脇に抱え、空いた片手で楽器を持った坦が、入り口に立っていた。




