三
慧は私へ一言伝えた後、車に乗っても飛ばされないようにアゴの下で留められる工夫をわざわざ施した帽子の紐をほどいた。帽子を取ると、馬から下りていた取り巻きたちの中から1名の若い男がスッと横にひざまずいてその帽子を受け取ろうとした。
それをジッと見つめ、慧は急に眉間に皺を1本刻み、脱いだ帽子を自動車の中へポンと投げ入れると、見下すような視線をその男に向け、静かに叱責しだした。
「仰暁。教えが不十分ですね」
その声を聞いて、取り巻きの中から、慧に比べて3、4歳年上、程度の若い男が慧の横へ走り寄って揖礼(両手を伴って頭を下げる挨拶)をした。
「申し訳ありません。この度初めて同行の任に就かせた者です」
「お前の今月の禄(雇い主から支払われる金銭や賜った土地から出る物資など。給料)を一部没収します。5%カットです。
今のことが王宮外で起こっていたら身バレの元になるのです。私の命にかかわります。良いですね」
「ハッ。温情に感謝いたします」
そう言って仰暁は軽く頭を下げた。
私はこの『仰暁』という男を昔から良く知っていた。
本名、『段 仰暁』。東境国では知らない者はいない、という程の策謀、采配能力に長けた才腕の持ち主。低い身分から、王にその才能を見込まれ、若くして高い地位に就いた、王宮で働く者が皆憧れる存在。…野心家。
幼い頃から女児に見間違えられることが多かったらしく、年を経て細いながらに筋肉も付き青年と呼べる年になっても、どこか女性のようななまめかしさが漂う。口元にはホクロがあり、眉はいつも八の字をしていて、微笑んだり笑ったりする時はいつもニヤッとした笑みを大体していた。黒い表情に見えるのにどこかなまめかしくてゾクリとするんだ、それが。
その日は、確か、黒い長袍(カンフー服風のスソの長い衣装)を着て、頭には黒い帽子を被っていた。
慧がここへ来る際には必ず同行して来ていたが…思えば、そこから怪しかった。
…いや、このことは喋っているうちに明らかになるよ…たぶんね。
慧は仰暁に処断を下した後、フゥッとため息をついた。
「手をつきなさい、しばらく椅子になっていなさい」
「ハッ!」
そう言って仰暁は細かい白い砂の地面へ両膝、両手を地面につけた。
「段様!」
「申し訳ありません!」
「段様、そんな…」
何名か、後ろに控えていた男たちがボソボソとつぶやく。
しかしそれを気にすることもなく、仰暁は無言で慧を待った。
慧は無言の椅子の上に座りながら静かに言葉をつむいだ。
「仰暁の処遇を悲しむ前に、学びなさい。貴方たちが失態を犯す度に仰暁が毎回こうなっていることを身に染みて理解しなさい。
今後私の指示に逆らうこと、ミスを犯すことは避けようと努力するのです。
私も好きでこうしているわけではないのですよ?
長年大事にしてきた臣下にオシオキしないといけないなんて…心が砕けそうです。
私の悲しみも分かって頂きたいものです…ねぇ、仰暁?」
慧はそう言って尻の下にいる仰暁の頭を膝で1度押したよ。仰暁は頭を一層垂れた。その垂れた頭を慧は無表情でなでていたよ…
それを見た後ろの集団は皆頭を下げた。
「お許しを」
「申し訳ありません、憂えていたことに気が付かず」
「精進したします」
「お許しを…」
「お許しを」
口口に謝罪の言葉を述べる共の者を一瞥した後、慧は生きている椅子に座ったまま、今度は私の方へ向き直った。
「紫瑛。姫に伝えなさいと言ったはずですが。なぜまだそこに立っているのです?」
私はビクリとした。
おそらく、呼びに行けば行き違いになる。
それを伝えたかったが…当時、私はまだ慧の…王付きの墨童(墨を磨る係)の任を解かれてまだ浅かったから。慧への恐怖が残っていてね。発言許可を得ないのに自ら提言するということは、とても難しかった。
話そうにも話せない。
その間、慧はどんどんイライラしていく。
気温とは関係なく、顔が冷たくなっていくのを感じたよ。
そこへ…
「ドSが! もうすぐ来るから、そう急かしてやるなよ、元雇い主だろ? 子どもだし、もっと優しくしてやれよ」
坦が助け船を出してくれた。しかし…
「どこかで雑草の出す雑音が聞こえますが、空耳でしょう」
「なァァッ! …だっから俺、コイツ嫌いなんだよ!」
坦が怒る横で、おずおずと煌も慧へ声を掛けた。
「久しぶりだな、慧! 来ない内に西境国も少し変わって…」
「『久しぶり』なのは貴方の国のせいですよ。
先の戦で私の所の新兵器『紅爪』を用いた部隊が貴方の国に全て破壊されましたよねぇ?
知ってるでしょう?
えぇ。
どこかの野蛮な王が自ら設計したらしい下劣な術策と自ら率いた『騎馬』なんていう時代錯誤のやり方で、一掃されまして。はい。
普段真っ赤な顔してヘロヘロしているらしいのにねぇ、全く、多重人格の変人ですねぇ。
フフン。
そのせいで色々しなくてはならないことが増えて。
こちらも大変だったのです。
少しはこちらの身にもなって考えてほしいものですね、脳筋が」
「うぅ……だ、だって……」
煌が涙目になってきた所で、慧は私へまた声を掛けた。
「いいですか、紫瑛。
『呼んで来なさい』。
どうしましたか?
呼べない訳があるなら発言しなさい。許可を与えます」
「ハイッ、あの…あ……」
そこで、私はまた言葉に詰まった。
――どう説明しよう、まさか「ここにいる男の人の服を直してて、持って来てくれる約束なんです」なんて本当のこと言ったら…能さん、王に…あ、ええと、『慧様』に嫌われちゃうかも…――そんな不安がよぎった。
「…もう1度言います。
発言を許可します。
『理由があれば言いなさい』、正直に」
困っていると…
シャンッ…
遠くからかすかに、鈴の音が聞こえて来た。
その音を聞くや否や、慧はパッと立ち上がって、後ろを振り向いた。
「貴方たち! 仰暁以外はすぐ王宮を出て、呼びに行くまでこの国を見学でも何でもしていなさい! 早くっ! 馬使ってすぐ! 今すぐっ!
それからっ!
何度も言いますが、私が東境の王だということは、内密に! 良いですね、『金持ちの家の若が親に秘密で遊びに来ている』と、聞かれたらそう答えなさい! 全ては他言無用! 言えば極刑に処します!
ではハイッ!
散って!
ハイッ!」
「ハッ、ハイッ!」
「ハイッ!」
「ハイッ」「ハイッ」「ハイッ」
バカラッバカラッバカラッ…
「…フゥ…
…あっ…ちょっ…立って! 仰暁っ! すぐにっ! そして、今までやっていたことは忘れなさいっ! 砂はらってっ!」
「えっ…じゃあ、禄5パー引きもナシですか! やっ…」
「おバカさんですね! それは覚えておきなさい! 貴方の凡ミスのせいでしょーが!」
「くぅぅ…冷たいですなァ……」
そうは言いながらも、仰暁はニヤリと笑った。
「ハイ、それ気持ち悪いです! 貴方もあっち行ってなさいっ! 距離とってください!
紫瑛っ! なんでここに来るって言ってくれないんですかっ!
さっき言ったでしょう、『理由があるなら言ってください』って!」
慌てる慧を見て、坦はちょっと怒りながら話に割り込んだ。
「俺が言っただろ! 何で聞こえないんだよ!」
「王のサガですよ! 同格の者以外とはそう易々と話をすべきではないんです! 貴方王族ですが王子じゃないですか! 私は王ですよ!? 格の差! 考えてくだい! しかも18番目とか! 雑草通り過ぎて肥料じゃないですか!
…ああっ! しまった! 18番目と話してしまった! …もうっ! 何で私は…! 夢ーさんのこと考えたら、いつもこんな…! あーもうっ!」
「おーまーえーっ…!!!!!」
「あーもう聞こえません、聞こえません。あー雑草雑草」
「うっガーッッ! 子どもみてーな無視の仕方すんじゃねーよっ!」
怒る坦の目の前を、鈴の音がシャシャシャンッと通り過ぎた。




