二
爆音。
いや、暴走音?
と、何頭もの馬の足音。大群ではないが、そこそこの音が聞こえてくる。
その音が聞こえた坦は音のする方向へ顔を向けたまま、ふてくされた表情になった。
「…来た……丁度いい、紹介してやるよ。おい、煌、お前から言ってやれよな」
「えっ、おおお俺ぇ?」
「だってアイツ、俺の声、とっきどーき聞こえねえじゃんかよ」
「あー…よし、引き受けた」
煌はアゴを引いて鼻の頭を掻きつつ音のする方を見た。そしてまるで諦めたような表情で言った後、少し困ったような表情になった。
「でも俺でさえ上手くいくか分からんが。游を呼んだ方がスムーズに進むと思うぞ?」
「遅い。もう、こっちへ入って来る。
おい、紫瑛。怖くなったらこっち来ていいからな」
そう言って坦は私の肩を軽くたたくと、後ろの壁へ背をもたせかけ、足を交差させて腕を組み、イラついていると一目して分かる態度で正門の方をにらんだ。
煌は坦よりも緊張してはおらず、それよりもどう紹介しようか悩んでいる様子でアゴに手を置いてその場に立っていた。
私はライラから離れると、階段を下りて庭に出た。ライラは坦の横へ行くと伏して顔をもたげ、青い綺麗な瞳で坦と同じ方向を見つめていた。
「紫瑛…こんなに皆が緊張するとは…一体、どなたが来られるんだ? 私は游さんからも君からも聞いていないが…大人物なのか?」
周りを冷静に観察しつつ、能は私へ静かに尋ねてきた。
「…僕の、1番苦手な人です。
誰も能さんへ伝えなかったのは、その人からの命令です。
お忍びで行くから、游さんと姫様と僕以外に行く日を知らせることはないし、知っている僕らも周りに言う必要はない。普段通りに生活していてほしいから、行くからといって特別なことは何もしないでほしいって。でも…僕が出迎えないのはおかしいんだそうで…どんな日だろうと、時間だろうと、状態だろうと、必ず出迎えなくっちゃいけないそうです。
出迎える場所にいる人物は…游さんが許可してるなら別に誰がいようと構わない、興味はない、とのことで…今回は結構前に『バラしてもいいんじゃない?』って伝えられていたことなんですけどね」
「『オシノビ』…? それに、あの…機械音…エンジンか?」
そうつぶやいた能の言葉をかき消すように、門の方から爆音が近付いて来た。
ブオォォォォ…ンンン…!
王宮の1番大きな門をくぐって、1つの大きな砂塵のカタマリ…いや、1台の、屋根がなくカエルの目玉のような丸くて前を向いたライトを付けた自動車が砂ぼこりを巻き上げながら入って来た。
自動車は大きく弧を描いて、我々の視線上で止まった。後から教えてもらったんだけど、この動きは『ドリフト』とか『サイドターン』とかいうらしいね。
エンジン音が止まる寸前に、馬に乗った青年が6名程同じ正門から、おそらく最高の速さで駆け入って来た。
…う~ん…いつも煌と彼の名馬ポラリスの走りを見ている私にとっては、遅く感じたがねぇ、それでも通常よりかは幾分も速い馬だったよ。
イーヒヒヒヒンッ!
イーッヒヒン…
馬の嘶きが響き、馬上の人物たちが慌てて下馬しようとしていることに気も留めず、車中の人物はエンジンを止めて、ガチッという扉が開く音と共に車を降りた。その人物へ、私は走り寄った。
揖礼(握った右手を左手で包んで軽く頭を下げる動作。挨拶の一種。女性の場合と、不幸があった際は左右の手の配置が逆になる)をした。初めてこの国でお迎えした日、深く頭を下げた所、叱責を受けたからだ。それはこの国にいる間は自分へ向けてはならない、と。…しかし、その時の『あの人』の表情は嬉しそうに見えたよ…
「出迎えご苦労様でした」
バダンッ!
車の扉を閉じる音がすると、それを待っていたかのように周りの砂塵は落ち着いていった。
あぁ…
車から降りて来た人物…その時はねぇ…
坦や煌、能、游さんなんかと同じ年で、若くて。
膝まである、黒くて艶のある美しい長い髪を首元で1つに束ねていてね。…あぁ、本来ならば三つ編みにしたりするものだったが、その人はここではそうはしなかった。けれども、前髪の端を伸ばして三つ編みにはしていたね。片側だけだったけれど…
東境は当時から最先端をいっていたから、辮髪(髪を後方のみ残して剃ってしまう髪型)にはしていなかったし、西洋風の文化も取り入れられていたね。それに…やはり、この土地へ招かれて入って来る、別の『時』や『場所』の文化も混ざっている所があって、その影響もあったようだったよ。私の調べた感触ではね。
漢服ではなく、旗袍(満服。古代、満族の立てた清時代の服。満族が『旗』と呼ばれていたことに因る)を着ていてね。その時は…薄い水色の長袍(立ちエリ(詰めエリに似た物)があり、肩にある布のボタンで首元から伸びたエリを留める、スソの長い服。簡潔に表現するとスソの長いカンフー衣装)に、竜の柄の付いた黒い馬掛(立ちエリで胸から腹部まで真っすぐのエリがあり、エリ両端を布のボタンで留める服。簡潔に言うと男性のチャイナ服。上着。ボレロ風)を着ていたと思う。
黒い半球状のツバの広がっている帽子を被っていて。普段は赤の帽子だけど、いつもこの国に来る際には黒の物ばかり選んで被っていたね。
丸い眼鏡を掛けていて。顔はどちらかというと女性寄りの美しい整い方をしていて、聡明そうで…いや、実際、あの人は発明好きで頭脳明晰だったからね、その通りの顔なんだけど。
それでいて、冷たい視線を持っていて。
…あぁ。
そうだ、そうだ。
あの頃、あの人は『笑う』『微笑む』といった表情はちょっと口角を上げるくらいのもので、全然笑わなかった。ほぼ無表情で。
…まるで、人形のよう……
あの人が幸せそうに笑うのは、游さんと…姫の御前、だけ……
…あぁ、いやぁ、今は、よく笑っているし、コロコロ表情も変わるけどね。
まぁ、今でも1番綺麗な微笑みを向けるのは游さんと姫の前だけなんだけど。
…おや。
話を戻そうね。
ええと…
そうそう。
まるで人形のような、整っているが無表情の冷たい顔。
青年らしい筋肉はあるとはいえ、坦や煌に比べると華奢な体。
スラリと高い背に、長い手足。
マネキンが立っているよう。
あとは…
あとは…
あれだけ整った顔立ちなのに。
あれだけ美しい黒髪なのに。
目立つ箇所が、たった1つ。
違和感がある…誰もが初め、そう思う。
実の父親からこの子はきっと才のある子に育つ、と、生まれた瞬間から期待された、そのゆえん。
他の兄弟を押しのけて、長男であるわけでもないのに、小さい頃から帝王学を学ばされた、そのゆえん。
――白眉――
あの人の眉は、文字通り、1点の黒もなく、真っ白だった。
その人が、私を見下ろすようにして、静かに、毎回言うんだよ。
「東境王の慧様がいらっしゃった、と姫に伝えてきなさい」




