心地よい居場所
「おはようございます」
誰に声を掛ける訳でもなくそう挨拶してシステム部の広いフロアに入り、自分のデスクに近づくと?
(うわぁ!班の人達の屍が転がってるわ)
みな徹夜なのだろう、隅っこのソファに一人、デスク脇に椅子を並べて転がっている人、打ち合わせ用の大きなデスクの上に一人。この光景を初めて見た時は目が点になったけど3日も見れば慣れる。私はみなを起こさないように静かにデスクに着席した。
(あれ、これは?)
机の上を見ると、疑問点や自分なりの考えをまとめたレポートに赤字が入っているのを見つけた。忙しいであろう廣瀬さんに迷惑かけたくなかったので特に提出したわけではなかったけど、何をしていたのか報告の意味を込めてさりげなく分かるように机の上に置いておいたものだ。
廣瀬さんを間にして私と黒澤の席が左右にあるので、机の上に置いておけば目に入るだろうと思っていたけど。まさかちゃんと読んでくれていたとは……しかも丁寧に赤字で細かく評価指示してある。
(これって感動もんだわ!)
夢中でそれを読んでいると、フワッとシトラス系のいい香りがした。
「あっ!廣瀬さんおはようございます、あのっこれっありがとうございます!」
「あぁ……」
寝ていないだろうに、こんな事をしている時間なんてなかっただろうに。私は感謝の気持ちでいっぱいになる。廣瀬さんは社内でかなりのモテ男らしい、並外れたルックスとこのわかりづらい性格を考えると納得せざる得ないって感じ?
「おぃお前ら起きろ。ったくこんな所で寝てねぇで仮眠室で寝ろっていつも言ってんだろうが」
「ふぁ~、ちょっとだけ横になろうとしたら寝ちまったぜ。おぉ花南ちゃん!おはようのキスで起こしてくれると今日も一日頑張れるんだけどなぁ」
「ふふっ、お疲れ様です。コーヒーでも買ってきましょうか?」
と、そこへ「おっはよーございまぁす」と能天気な声の黒澤が両手にコンビニの袋を下げて出社してきた。チラリと袋の中を覗くと栄養ドリンクやサンドイッチにおにぎり、サラダや果物などが詰め込まれていた。
「先輩方お疲れ様です!朝食の差し入れでーす」
ただヘラヘラしてるだけの何も考えてない男かと思っていたけど意外に周囲を見ているんだ?ブツブツ文句を言っていたのもあの時だけだったし資料も真剣に読んでいた。ただねぇレポート?あれは幼稚園児の書く内容だったけどね。
持ち前の明るい性格でいつのまにかフロア内全員と仲良くなっていてお姉さま方に可愛がられていたし。部長クラスの人にも物おじせずアノ調子。一見するとただのバカなんだけど……
(黒澤って意外とできるヤツなのかも?まさかねー)
相変わらず廣瀬さんは多くを語らないし、ヘラヘラした黒澤の頭を小突きながら眉間にシワを寄せている。だけど何だかこの廣瀬班はとても心地よい場所のような気がした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
定時あがり最終日と予想される金曜、今夜はまみの家に泊まることになっているので社内にあるカフェスペースで待ち合わせ。
「あっ!きたきた、か~なぁ!お疲れさまぁ」
「お疲れ。って何でみんないるの?」
「よくぞ聞いてくれましたっ!」
元気よく答えるまみの後ろには黒澤君・秋月君・藤崎君の三人が揃ってニコニコしていた。
「花南はゴールデンウィークどうするの?実家に帰っちゃう?」
「まだ決めてないよ。実家と言っても同じ都内だし特に用事ないしね」
やったぁ♪とまみが嬉しそうに両手を小さくパチンと叩き、黒澤君はよっしゃ!とガッツポーズ。
「なに?」
「黒澤君の実家は新潟の田舎なんだけど自然がとっても素敵なところなんだって!それでみんなで行ってみようって事になったの」
「全員で長い休みが一緒にとれるのなんて新入社員の今しかないだろ?特に俺たちシステムはこれからどうなるか予想つくし、廣瀬さんも言ってただろ?まともに休めるのは今だけだって」
「でも先輩たちが出社するのに新人の私たちが呑気に旅行って……」
間近に控えたGW、社内的には暦通りなんだけど廣瀬班は出勤らしい。廣瀬さんは新入社員は社則通りしっかり休めと言ってくれたけど、差し入れとか雑用とかできることがあれば出社しようと思っていたのだ。
「俺たちが出社したところで何の役にも立たないし迷惑になるだけだと思う。なら今俺たちが出来ることをした方がいいよ」
「私たちが出来ること?なにそれ?」
「元気に遊ぶことっ!」
「はぁっ!?馬鹿じゃないの!」
(コイツやっぱりただのバカだったかも?)
結局なんだかんだとみんなに説得させられ最後はまみのウルウル光線にやられて、私は仕方なく『GW森の中探検ツアー、みんなで妖精になろう』に参加することにしたのだった。
その夜はまみの家に初お泊り。まみの素直で明るく優しい性格はこの両親が育て、この家庭だからこそだろうと思った。笑い声の絶えない本当に素敵ないい家族だった。
(家とは正反対だわ……)
まみの部屋で枕を合わせ、共通の趣味であるBL話や恋話で盛り上がる。
「まみは恋人いるの?」
「今はいなぁい、卒業して何となく別れちゃった感じ?でも今でもいい友達だよ」
「別れても友達なの?」
「うんっ!同じ研究室仲間だし……裕也って言うんだけどめちゃくちゃ優しい人で、うまく言えないんだけど恋人じゃないけど恋人に近い友達みたいな?まだ私もよく心の整理ができてないんだ。花南は?恋人いるの?」
「ううん、いない。と言うより『いらない』が正しいかな」
(恋か……もうおなか一杯、恋なんて二度としないわ)
まみは私の言い方で何かを感じとったのだろう、それ以上は何も突っ込んでこなかった。この子はフワフワしているけど肝心な所はしっかり筋が通っている。周りからT大卒の才女と敬遠され、ある事ない事言われ放題の入社式や研修中でもまみだけは「かなぁ♪かなぁ♪」とひっついて、無愛想で冷たいと誤解されている私を何とかみんなの輪の中にいれようとしてくれていたんだ。
人を蹴落としても自分が上にいくのが当たり前、院に進学しなかった私は落ちこぼれ……友情なんて仲間同士の助け合いなんて信じていなかった、そんなものとは縁のなかった私がまみと出会い黒澤達と出会い変わっていくのかも知れない。