3.思いがけない話 (3日目)
~(辺境伯領内の子爵家別邸にて)~
「どうして、そうなった?」
「ジュリアの希望です。」
「信じられん。確かに本人がそう言ったのか?」
「ハッキリと、結婚なんて嫌、と。」
辺境伯領内の子爵家別邸に着いたとき、わずかに開いた応接室のドアから聞こえた会話。
声から、お父様の質問にヒューお兄様が答えてるらしい。
「私はヒューお兄様以外とは結婚しないから!」
応接のドアを開け放ちながら叫ぶと、部屋に入ることも無く踵を返して走り出す。
あの口調からすると、お父様は渋っている。ヒューお兄様の説明でも納得してくれないかもしれない、結婚させられてしまうかもしれない。
ヒューお兄様の声音も硬かった気がする。私が誰かと結婚してしまえばいいと思ってる? 赴任先まで押し掛けて我儘言われてウンザリしてる? 悲しかった、そして、とにかく苦しかった。
「ヒューお兄様、ヒューお兄様、ヒューお兄様ぁ……。」
走って走って、ふと立ち止まったら、ヒューお兄様の名前だけが口から零れ出た。
「呼んだか? やっぱり、ここに居たか、ジュリア。」
そんな、呼ぶともなく零れ出た名前に答えるような、やや呼吸の乱れた声。大好きな、いつだって聞いていたいけど、でも今は聞きたくない気もする、ヒューお兄様の声。たとえ苦しくても、この声に呼ばれては、振り返らずにはいられない。
我慢できずに振り返ると、そこにはヒューお兄様の姿。
「……ヒューお兄様。」
思わず、また名前を呼んでしまったけど、今度は抱きつくどころか動くこともできなくて……。
頭も感情も混乱して、ヒューお兄様をひたすら見つめる。
「ヒュー……お兄様?」
ふと、お兄様の表情に気付いて声が出る。
嬉しそうな、苦しそうな、色々な感情を抑え込んでるような複雑な表情。今まで見たことの無い表情だけど、その眼差しは真っ直ぐに私を見つめ……。
張りつめた空気に、私はまた言葉も動きも封じられてしまう。
「ここに居てよかった。ジュリアが居たのが、ここでよかった。」
「え?」
「ジュリア。俺の唯一。……俺の妻として一生傍に居てほしい。」
「……え?」
スッと間合いを詰めると、あっさりと私を腕に閉じ込めるようにして、私を見つめたまま紡がれた言葉。
「俺と結婚してほしい。」
その口調も声音も、重いほどに真剣で、溶かされそうな熱さと溺れそうな甘さを含んでるようで……。
「なんで? なんで、そんなこと言うの? お父様は? 私の結婚相手は?」
うっかり期待しそうになって、期待したいと心が叫んで、でも昨夜のヒューお兄様を忘れられなくて、もう何がなんだか分からないような分かりたくないような混乱に翻弄されて……。
「俺が欲しいのはお前だけだから。子爵様は承知してる。お前が結婚するのは俺だ。」
そんな私を今度はぎゅっと抱きしめて、耳元に囁くように答えが落とされる。
「どういう……こと?」
「もう決まってるから、俺は決めてるから。ごめん、お前が嫌がっても逃がすつもりは無い。だから、俺のものになって。」
……もう、限界だった。もう全てがどうでもいいような、全てから切り離されたような、とにかく何も考えないままにヒューお兄様に抱きついていた。
そして、私はまだぼんやりしてるうちに、ヒューお兄様に横抱きにされて応接室に運ばれていた。
「俺はジュリアと結婚します。」
ヒューお兄様は、開きっぱなしだった応接室に「失礼します」の声だけで入ると、宣言するように言い切る、その腕には私を抱えたままで。
「ジュリアは承諾したんだね?」
「はい。もし承諾しなくても逃がす気はありませんでしたけどね。」
お父様の、確認するような問い掛けに、私が口を開くより早くヒューお兄様が答える。その様子を見て、それを聞いて、お父様が大きな溜息を吐いた。
「ヒュー? 聞きたいんだけど?」
「はい。」
続いてお母様が質問してくる。
「ジュリアが結婚なんて嫌と言った後の、貴方の一言めは?」
「「……そんなにも結婚するのは嫌かい?」」
お母様の問いに、思わず反応した私の声が、ヒューお兄様のそれと重なる。
その様子を見て、それを聞いて、お母さまが苦笑し、何故かお父様は顔を背ける。
「それで、ここに来るまでに気持ちを伝えたことは? ジュリアの気持ちを確認したことは?」
「……ジュリアに幸せになってほしいとしか考えてなくて。」
お母様は、さらに質問を続ける。
「それなのに、『もし承諾しなくても逃がす気はありませんでした』?」
「可能性を感じてしまった以上、もう抑えることなんてできないっ!」
ヒューお兄様の、苦しみを吐き出すような返事に、今度はお母様が、苦笑したまま大きな溜息を吐く。
そして、私が状況についていけずにいるのに気付いたお母様に椅子に座るように言われて……。私は、お母さまに言われるまでヒューお兄様に抱かれたままだったことに今さら気づいて、赤くなって俯く。
ヒューお兄様は、少し気まずそうに、私を2人掛けの椅子に下ろすと、自分も隣に座った。