1.始まり (1日目)
~(辺境伯領内の子爵家別邸にて)~
「結婚しなさい。」
父からの突然の命令に、頭が真っ白になる。
「え?」
「結婚しなさい、と言った。」
最初は言葉として認識できなくて……違う、認識したくなくて思考を放棄して。
「まさか……私、ですか?」
「お前に言ったのだから当然だろう?」
「っ!」
そして次の瞬間、お父様の執務室を飛び出していた。
辺境伯に仕える父は子爵、つまり貴族だから、その娘である私は貴族令嬢として政略結婚することになる可能性が高いことは分かっていたことだった。
でも、自分は政略結婚はしなくてすむような気がしていた。
だって、両親はお見合いこそしたものの恋愛結婚だから。
だって、後継ぎはレオンお兄様が居るから。
だって、経済的に追い詰められてはいないはずだから。
だって、両親もお兄様も温和で、恨みやトラブルの様子は無いから。
だって、両親もお兄様も私を愛してくれているから。
だって、今まで婚約の話さえ言われたことが無かったから。
……そう考えて、思考が止まる。
私は今年の誕生日で17歳、結婚の話はいつ出てもおかしくはなかったのだ。
子爵家という下級貴族ではあっても、有力な辺境伯の信頼を得ているレイヴン子爵の娘。
結婚が認められる16歳を超え、嫁き遅れとされる19歳には至ってない、まさに結婚適齢期。
外見は可愛いほうだと言われてるし、ちょっとお転婆だけど健康そのもので……。
つまり、まず伯爵以上は無いとしても、子爵・男爵・騎士爵その他からの縁談は有り得たことに今更のように気づき、呆然とする。
私は……政略結婚はしなくてすむような『気がしていた』のではなく、そう『信じたかった』?!
「ジュリアお嬢様、やはりここでしたか。」
控えめに掛けられた声にも、ビクリと体が跳ねる。
「マリア……。」
でも、長年親しみ信じてきた気配に、少しずつ緊張を解いて、ゆっくりと振り返る。
「はい。」
声の主は、乳母のマリアだった。
「私……。」
「……。」
言葉の出ない私にゆっくりと近づいて、何も言わずにそっと抱きしめてくれる。
その温もりと柔らかさといつもの石鹸の香りに、さらに緊張が解れていく。
「ヒュー……お兄……様。」
「……。」
ゆっくりと意識が覚醒する感覚の後、まだボンヤリとする視界に最初に映ったのは自分の部屋の天井。
「ジュリアお嬢様、気が付かれましたか?」
声とともに視界に入ってきたのは、穏やかな微笑の中に安堵と心配の色を滲ませたマリアの顔。
「私……?」
「いつもの場所で気を失ったんですよ。」
「そうなのね……。」
状況を伝えるマリアの穏やかな口調のおかげで、私は取り乱さないですんだ。
「怪我などは有りませんよ。」
「そうなのね……。」
私は不安そうな表情になっていたのだろう。
なんとなく見回した範囲には両親やお兄様の姿は無く……。
「子爵様は、ここに駆け付けた直後に奥様が引きずって行かれました。レオン様は、お嬢様の寝顔を見てらっしゃいましたけど、つい先ほど子爵様たちの様子を見に行かれました。」
「引きずって? 様子を見に?」
「奥様が、目覚めた時に子爵様が傍にいてはお嬢様を興奮させてしまうから、と。奥様は子爵様に対してそれはもうご立腹で……レオン様は、必要なときは仲裁に入れるようにとお考えになったんでしょう。」
「お母様が?」
「お嬢様が倒れたのは子爵様のせいだとおっしゃって……。」
マリアが思いだし笑いをこらえるような顔で教えてくれる。
「お父様の?」
「……。」
最後の質問には黙って微笑んで……彼女は事情を知っているのだと分かった。
それは、間違いなく両親も兄も私を愛しているから、と私を安心させるような微笑みだったから、私はひどく取り乱すことなく、少しずつ落ち着くことができた。
夕食後にお父様の執務室に呼び出されて、結婚しろと言われて執務室を飛び出して、いつもの場所で呆然としてたところにマリアが来て……ショックの後の安堵で気がゆるんで気を失ったらしい。少しは落ち着いたし、状況は飲み込めて来たけれど、まだどこかボーっとしていて現実味が無い。
その後、もう少し休んだほうがいいとマリアに言われ、再び横になる。まだ周りを包んでいる宵闇が全てを包み隠してくれる気がした。
「ヒュー……お兄……様。」