幼少のみぎり
ーだから、こういうとこには来たくないのよ…
「ペンシル家のお嬢さんは噂に違わず、お人形さんのように可愛いねえ」
今日は親しい人ばかりの集まりだから大丈夫、という両親の言葉を受け、たまには親の顔も立てておくかと来てみたはいいが。
「ほら、疲れたんじゃないのかい。あっちのお部屋でおじさんと休もうか」
「いえ、結構です」
「そんなこといわず」
さて、どうしよう。
生憎この男の顔に覚えはないが、公爵家の娘に手を出そうと出来るくらい立場のある人間なのか、それともただの馬鹿なのか。
まだ幼いからと侮られているのかもしれない。
まわりに興味を持たないせいなので自業自得なのだが、こういうときにのしていい相手なのか判断できないのは不便ではある。
いつもはこういうときにヤクモが上手く立ち回ってくれるのだが、先程花を摘みに行ったばかりなので今はいない。
ヤクモが帰ってくるまで人目につかないようにしようと、輪から離れたとこにいたのが裏目に出てしまった。
壁際に立っていたせいで、逃亡経路はふさがれている。
「ほら、行こう」
「ちょ、何をするの!」
ーなにこの馬鹿力!オッサンのくせに!
「騒がないでおくれ」
口を塞がれた、人を呼べない!
ー詰んだ。
「なにをしてらっしゃるの?」
舌ったらずな少女の怪訝そうな声がする。
私は男に抱え込まれているので様子は見れない。ここはあかりもないので顔を向けていてもはよく見えていないだろうし、幼い声をしたきっと年下であろう少女に助けてもらえるかもわからない。
ー助けて!!
んー!んー!と必死で声を出そうとするが、くぐもる。
ーお願い、聞こえて!
「…あまり、穏やかな状況ではないのかしら」
少女の声が鋭くなる。思ったより、子供じゃない…?
「何でもないよ。この子が具合を悪くしていてね、どこかの部屋で休もうとしていたんだ。そうかそうか、はやく行きたいか」
ー違う!嫌だ、怖い!
「ではなぜ、その子はそんなに怯えて助けを求め叫んでいるの?いい加減その汚い手を離しなさい、この変質者が!」
「な、何をいっているんだ!」
「…私には聞こえているのよ。嫌なことにあなたの下賤な心の声もね!」
距離をつめたのであろう少女に動揺した男の腕の力がゆるむ。
その隙にもがき束縛から逃れ、少女のもとに駆ける。
優しく抱き止めてくれた彼女はやはり年下なのだろう。小さくてとても華奢で、あんな風に勇ましく啖呵を切ったとは思えなかった。
「よしよし、怖かったですね」
男が逃げたのか、遠ざかる足音がした。
その事に安心し少女から離れると、目に入った光景に震えもすっかり止まるぐらいに驚く。
ーなんだ、この美少女は!
自分やヤクモも散々可愛い美しいと言われてきたが、この少女はもはや別の存在だった。触れれば溶けるのではないかと思ってしまう淡雪のような髪に、その雪解け水のような瞳。
この少女が、稀代の能力をもって生まれた読人、ミチル・フローディア!
常々会いたいと思っていた相手に遭遇し、一気にテンションがあがる。
「もう、大丈夫そうですね」
くすくす、と笑う彼女を遠慮なく凝視していたことに気付き、慌てて視線を下にする。が、こっちを向いて、という彼女の声にもう一度顔をあげると柔らかいハンカチで涙のあとを拭いてくれた。
「助けてくれて本当にありがとう!私、ユリア・ペンシル、お友達になってくださいませ!」
「…私でいいのですか?私、ミチル・フローディアですよ?」
「ミチルさまがいいの!」
そっか、と嬉しそうに微笑むその表情は、とても大人びていて。特異に生まれた彼女にはやはり生きづらい世の中なのかもしれない。
今度は私が彼女の助けとなりたい。
「ユリア?そこにいるの?」
やっとヤクモが帰ってきたようだ。
元にいた場所からは離れてしまっているから、探してくれたのだろう。姿が見えなくて慌てたのかもしれない、少し息があがっている。
「ヤクモ!素敵なお友達ができたわ!」
「へえ、僕にも紹介して、よ…」
ヤクモをミチルの前に連れてくると、ピタッと動きが止まった。きっとさっきの私もこんな風だったに違いない。
「…ヤクモ、さま?私、ミチル・フローディアと申します」
「え…あ…ヤクモ・ペンシル、です」
「ユリアさまにそっくりですね」
「あ…はい、よく、言われ、ます」
突然ギクシャクし始めたヤクモに、先程までの穏やかな空気が引っ込み緊張ぎみに話しかけるミチル。
見かねたユリアはヤクモの頭をはたく。
べしっ
「ちょ、姉さんなにするの!」
「あんたがあまりにも挙動不審だから。しっかりミチルに挨拶してちょうだい」
「それにしたって叩くことないだろう!」
「ふは、あははっ!夫婦漫才みたい!」
めおとまんざい?とユリアとヤクモの頭には疑問符が
浮かぶが、それよりもまさにお腹を抱えて笑う彼女の表情から目が離せない。こんな風に笑ってもなお美しいとは。
「はあ、笑いすぎて息がくるしい。…あ、やばい」
そういうと、ふらふらと足元が覚束なくなる。
「ミチルっ!」
倒れる、と思ったタイミングで駆け寄ってきた少年が彼女を抱えた。
「ミチルが迷惑をかけたな」
「イツキ殿下!いえ、こちらこそミチルさまに危ないところを助けていただきました」
ユリアとヤクモはあわてて礼の姿勢をとる。
「安心しろ、逃げた男は不審者として捕らえた。招待状を持たない侵入者だったようだ。
ああいう輩は読む限りもういない。落ち着くまでどこかの部屋で休むなり人の輪に戻るなり好きにするといい」
おお、スマート。見た目といい登場のタイミングといい、この人王子さまか。いやそうなんだけど。
「何から何まで、ありがとうございます。それで、あの、ミチルは…?」
ユリアとヤクモは、殿下に当たり前のようにお姫様だっこされたミチルに心配そうな目を向ける。突然倒れた彼女は病気なのだろうか。
「いつものことだ、気にしなくていい」
「そう…なのですか」
いや、気にするよ!
心のなかでツッコミをいれる。
「どうしても気になるなら、明日ミチルを訪ねてくるといい」
「…読みました?」
「読むまでもない」
ふ、と笑う殿下はなんだかミチルと似ていた。
そうして後日ユリアとヤクモはミチルの家に行き、あらためてお礼を述べた。
寝込んでいるのかと思い果物をお見舞いに持っていったが、ケロッとして玄関まで迎えに来てくれ、「いつものことだから平気ですよ、でもありがとう」と天使のような笑みでいわれた。
その日からしょっちゅう一緒に遊ぶようになるが、そのたびに見せつけられるミチルとイツキのイチャイチャっぷりにヤクモは早々に彼女のことをあきらめていた。
だから、イツキさまとはもう会わない、と彼女に告げられた時には本当に驚いた。
しかも、第二王子と婚約したのに、私は結婚するつもりはないと本人に宣言したとか。
いったい何があったのか知りたかったけれど、ミチルから言い出すまで聞かないでおこう、とヤクモと決めた。
何があろうと、私たちはミチルに寄り添っていくだけ。
「なにこの建物、全部ガラスなの!?」
目を真ん丸に見開き驚くミチルに、ユリアはクスリと笑いを漏らす。
「全部だったらプライバシーないじゃない。玄関はガラス張りになってるけど、他は普通よ。普通っていっても、学院には技術の粋が集められてるから、いろいろすごいんだけどね。私も去年初めて見たときはびっくりした」
セントラル学院は、国を支える優秀な人材の教育機関であり、最先端をいく研究者の集まる研究機関でもある。
いつか名を馳せようとするものたちにとっては登竜門であり、また何かを究めようとするものたちの巣窟。
優秀な成績と成果を修めていれば研究生として資金と個室を与えられ、一生をここで過ごすこともできるのだ。
「すごいなあ…」
「ミチルちゃん、口開いてるよ?」
「ヤクモちゃん!…じゃないか、ヤクモくん?」
普通に言い直すミチルに、ユリアとヤクモは苦笑する。
「やっぱり、気付いてたんだ」
「男の人と女の人だと気の質が少し違うからね。とはいっても、みんなが女の子として扱ってたからそう対応した方がいいのかなと思ってたけど」
でももうすっかり男の人って感じだねー、とミチルはヤクモの手をとり大きさを比べ始める。
「そうだよ。僕は男だ」
「ヤクモくん?」
「ミチルちゃんのことは、僕が守るよ」