勘違い
ーへえ、じゃあミチルは悪役令嬢みたいな立場だったんだ。
「悪役令嬢?」
ーそそ。こっちの世界にある物語で、そういう立場の人がいるんだよ。本当に愛する人を見つけた婚約者に、婚約を解消されちゃうの。
「それでなんで悪役なのよ。どっちかっていうと悲劇のヒロインじゃない」
ーそれが、婚約解消なんかするものですか!この人は私のモノ!ってなって、しかも婚約者が好きになった人をいじめちゃうの。挙げ句断罪されて、社交界からサヨウナラ。
「ふうん、よくわからない物語ね。まあ、私は婚約あっさり解消しちゃったし」
ーそうだね。それにミチルは、人の気持ちを考えないでワガママ言ったりしなさそうだもんね。
「それは、どうかしらね…」
私はあの日まで、彼にあんな風に思われてるなんて少しも考えてなかった。
大好きで大好きで、きっと向こうも同じ気持ちだと信じて疑わなかった。
ーそれにしても、あれだね。婚約解消したのってここに来るちょっと前なんでしょ?フラれたショックで寝込んじゃったみたいだね。
「ええっ!?そんな風に思われるかしら」
みちるはクスクス笑っているが、ミチルからしたら全くもって笑い事ではない。
ーだってリョウヤとユリアは、ミチルのためにこっそり思いあってたんでしょう?ミチルは承知してたし、「どうぞー」って感じだったんだろうけど、まわりはそれを知らないからねえ。
それに、婚約してからは家と王宮の行き来だけだったのもアダとなったね。あの子は王妃さま修行のために頑張ってたのに!とか勘違いされてるんじゃないかな。
「どうかなあ。一応円満に話し合った結果だし、ユリアはいい子だから大丈夫だと思う…」
ーミチルみたいな力がみんなにあったら、楽なのにね。
「それは違うわ。人の心を勝手に覗くなんてこと、しちゃいけなかった…」
ーミチル…。
よし、ミチル!気分転換に勉強しよう!今日はなにがいいかな。
「そうね、今日は土壌微生物学の続きかしら。…って、みちる?聞いてる?」
己れの思考とは別に進む会話。
そうだ。これは過去の記憶。
みちるのなかで過ごした日々。
今はもう、帰ってきてしまった。
自覚すると、周囲の音が耳に入ってくるようになる。
「それで、お前はミチルを捨てた挙げ句に寝込ませておいて、なにをのうのうと現れている」
本当に勘違いされてるー!!
「イツキさま、私は捨てられてなどおりません」
「ミチル!目が覚めたのか」
ミチルは自分のベッドに運ばれていた。
あの場にいた三人もいる。
小さい頃から出入りしているからか誰も気にしていないが、この年になっても女性の寝所に平気で立ち入るのはいかがなものなのか。
「二人は、何かご用があったんだよね?こんな体勢でごめんね?」
皮肉は通じたらしい。
リョウヤとユリアはうっ、と目を泳がせた。
イツキだけは涼しげな顔をしているが、あなたもですよ。
「ミチル、騒がせちゃってごめんね。今日はね、学院の編入手続きの資料を持ってきたのよ」
それはまた気が早い。
「ありがとう。でもねユリア、私まだ最終試験が終わっていないのよ」
「そんなの必要ないわ。あれは形式としてする事になっているけど、本当に真面目にやることではないのよ。
訓練は読人のためにあるものであって、読人を縛るためのものではないのだし、省いても問題ないない。
というかミチルなら試験する必要もないでしょ。」
そうなのか。
ユリアの家であるペンシル家は代々、歴史を記し文献を保存し管理することを生業としている。
このユリアは学院に入るまでの十五年間ほぼ家にひきこもり、所蔵する本や資料を読みあさり続けていた猛者である。
そのほとんどを暗記しており、知識量は膨大だ。
そんな彼女がいうのだから、そういうものなのだろう。
「でしょう、イツキ・ティアードさま?」
疑問系のはずなのに、なぜかそう聞こえない。
ユリアに話を振られたイツキは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「…ああ。ミチルはもう充分に思いやりの気持ちを持っている。能力もちゃんと抑えられるし、むやみに使うこともない。試す必要もないだろう」
「ほら、なら訓練は終わりだわ!早く一緒に学院に通いましょう!」
それは、イツキと顔を合わせる日々も終わるということだ。
日に日に思い出されるこの感情をまた無かったことにするには、ちょうどいいかもしれない。
資料を見てはしゃぐ二人を尻目に、リョウヤはそっと隣の兄を伺う。
あまり表情が変わらない人だけれど、それでもへこんでいるのがわかるくらいに、暗い顔をしている。
主人においてけぼりをくらった忠犬のようだ。
「兄さん、いいんですか?」
「仕方ないことだろう、ミチルがそれを望むのだから。閉じ込めておきたいと思うのは、俺のエゴだ」
なぜだろう、傍から見たら二人が思いあっていることは一目瞭然なのに。
そして、リョウヤとの婚約を解消されたミチルとの間に障害はないはず。イツキだって、元とはいえ王族だ。
それとも恋慕にみえるこれは単に読人同士の絆なのか。親愛の情のようなものなのか。
僕にはわからないな、と思考を放棄して視界に意識を戻す。
そこには最愛の人ユリアと、妹のように可愛がるミチルが楽しそうにしていて。
こんなにも可愛いミチルが、一生を独り身で過ごすなんて考えられない。
そんな寂しい思いはさせない。
いざとなったらー
決意を固めるリョウヤも、他の誰も知らない。
ミチルは、イツキは結婚したと思い込んでいる。
指輪をつける指によって意味を持たせるのは彼の世界のきまりごとであり、この世界ではどの指につけようとも特に意味をなさないのに。
イツキは、ミチルはリョウヤを愛していると思い込んでいる。
あの日、ミチルが心底幸せそうな気持ちでいたのはリョウヤと婚約できたからではなく、王にイツキかリョウヤか選ばせてやろうと許可を得たからで。
病弱令嬢がこじらせるのは、病気だけではないようです。