訓練
リーディングを抑える術というのは、簡単にいえば強い自己を持つことである。
流れ込んでくる周囲の感情をせきとめるだけの精神力を鍛えねばならず、要するに悟りの境地のようなところに行き着けばよい。
こんな能力を持っていて説得力はないが、彼の世界の物語にあったような、魔法だとか魔導具といった都合のいいものは存在していない普通の世界なのだ。
この腕輪をしていれば大丈夫ヨ!なんて便利なものがあればよかったのに。
手段は読人それぞれであるが、以前の師ナナキ・ティアードは武門の家の者らしく、その方針は「心身ともに強くあるべし」であった。
要するに気合いだ。
そんなものでもなんとかなるから世の中適当である。
ミチルは激しい運動こそできなかったけれど、彼の教えの通りできる範囲で体を動かし、そしてもちろん勉学にも励んできた。
脳筋な病弱令嬢とか目も当てられないもの。
体を鍛え、学問することは、単に体力をつけ世の理を知るだけではなく己れの自信へと繋がる。
それが確固たる自分を定めていく。
そうして数年後には能力を抑えられるようになっていた。
まあ、訓練の本質はそこからだったのだけれど。
先生はいつも言っていた。何事も、組手主体であると。
武道も学問も、相手がいるからこそわかることがある。
独りよがりになることが、読人にとって一番あってはならないこと。
この教えのもと、時にはともに机を並べ学び、時にはともに拳を交え鍛えた、先生のもう一人の教え子。
それが、イツキ第一王子殿下であった。
風が気持ちいい。
日差しが暖かい。
背中の温もりが心地よい。
優しく髪をすく手つきがくすぐったい。
…ん?
私はいったいどういう状況なのだろう。
まだ多少重たい瞼を押し上げると、そこは昔訓練に使っていた中庭だった。
そして、背後には。
「っ、殿下!何をしてらっしゃるのです!」
「ミチル、目が覚めたのか」
座った体勢のまま抱え込むように寄せられていた体を反転させられ、顔色を確認しているのか、顔を覗きこまれる。
近い!!
なんなんだこの体勢!!
「まだ目覚めたばかりと聞いていたから、今日は訓練するつもりはなかったが。明日からもまだ無理そうだな。とりあえず来はするから、様子を見よう」
「ええ!?そんな、御公務は!?殿下をそこまで煩わせるわけにはいきません!」
遠慮しがてら流れで体を起こそうとすると、さりげなく腕を押さえられ、動きを封じられる。
そして、す、と細めた目で見据えてくる。
な、なんだ。
彼の心は読めない。
能力を抑えることは、他の読人に読ませないことにもつながる。
彼を読めない、ということは私の感情も読まれているわけではないのだろう。
なのに、底のわからない目に見つめられ、ミチルは戸惑う。
「…そうか、ミチルは知らないのだな。俺はもう王子ではない。王位継承権を正式に放棄し、ティアード家の養子に入った。今はナナキ・ティアードの息子、イツキ・ティアードだ」
「そう、でしたか…。申し訳ございません」
読人は王にはなれないことになっている。
万が一にも感情に左右されることがあってはいけないから。
いつかこうなることはわかっていたけれど、一年眠っている間に事が進んでいたとは。
「ゆえに、俺はもう殿下ではない。昔のように、イツキと呼んでくれ」
「…承知いたしました、イツキさま」
そう呼ぶと、細められていた目がふ、とゆるみ、優しげになる。
しかも、気を抜いたところで、最初のように抱え込まれてしまった。
何を思っているのか、相変わらずよくわからない。
私が訓練を始めたころには、この人はすでに能力を抑えることができていたから、私はこの人の心を読んだことはない。
ーあの最後の時以外は。
あの感情の濁流がなんだったのかは、いまだに理解できていないけれど。
「ミチル、これからきっちり鍛え直すぞ。…もうお前が傷つくことのないように」
「え?」
ボソリと付け加えられた後半がうまく聞き取れない。
「いや、なんでもない。ミチルは、訓練が終わったら学院に入るのだったか」
「はい、そのつもりです」
優秀な人材を育成する機関、セントラル学院。
読人として国に仕えるためには、ここを卒業せねばならず。
学院にはあの人がいるだろうけれど、避けてばかりでは変われない。
そのためには、新たな先生に戸惑っている場合ではないのだ。
みちる、やっとスタートラインを越えられそう。
今のこの抱っこについては全力で現実逃避させていただきますがね!
ちくしょう、カンナはどこにいった!