囚われの
「ああ、兄さんのことなら心配いらないよ」
レイとのやりとりは、あのあとすぐ講義の時間になりお開きとなった。
心配なまま午前の講義を受け、昼休みになってからリョウヤに聞きに行くとあっさりそう返された。
「いまはナナキと一緒に仕事をしてもらっているらしい」
「先生と仕事、ですか」
そういえば、目覚めてからナナキを呼ぼうとしたら、父は忙しいからとイツキが来たのだった。
イツキに何かあったのではなくてよかった。
彼に何かあったのなら、任務なんて放棄して駆けつけたくなってしまう。
そもそも私は彼の幸せのために動いているのだから。
けど、ナナキの仕事とはなんなのだろう。
まさか、陛下の護衛を解雇されて左遷されてしまったのか。親友だからといつもだいぶ崩した話し方をしていたし、誰かに見咎められて不敬罪とか…?
「読人にしかできないこと、だとか」
ミチルは、はっと顔をあげる。
その言い回しは、いつか私がしたもの。
もしや、ナナキとイツキも…?
そしたら、今彼らの居場所を知ることはできない。
彼らも王命で動いている。
狙われている彼自身が動くことは少々心配だが、ナナキと一緒なら大丈夫だと思える。
ナナキは読人として生まれたが、その圧倒的な強さに若いうちから陛下の護衛を任され、周囲からも一目置かれている。剣だけではなく密偵としての振る舞いも完璧だ。
イツキもナナキに鍛えられてもはや剣ではこの国において一番と二番の実力。
それに今は親子なのだし、きっと二人で協力しあっている。
「そ、だから心配しなくてもいいって父が言ってたよ」
なるほど、だからレイはイツキの居場所を知らなかったのか。
それにしたって、自分の妻にくらいひとことかければいいのに。教えていい事情ではないから、彼女は不安なまましばらく過ごさねばならない。
本当に、彼のことはわからない。
訓練最後の日、イツキは何が言いたかったのだろう。
あんな風にキスをしてきたのはなぜ…?
あの時、二人が戻ってこなかったら…?
『ミチル、愛している』
低く、ちょっと掠れた大好きな声で。
そう囁いてもらえたのかしら。
「あらミチル、真っ赤よ。熱?」
脈拍が上がってしまったようだ。
妄想がはかどりすぎた。
どんなに不道徳だとわかっていても、想いは消えてくれなくて。
許されざる恋、という響きは甘美な毒林檎のよう。
もし今読まれたら恥ずかしくって倒れる自信がある。
みちるが言ってた『恥ずか死ねる』ってやつだ。
ダメだ、今朝レイにイツキとはもう会わないと宣言したばかりなのに。
「ミチル?」
「大丈夫、ちょっと興奮しちゃって」
「ミチルちゃん、興奮とかいわない。というか今の流れで何で興奮するの」
ヤクモくんの突っ込みは相変わらずだ。
自由人のユリアと天然なミチルの面倒を見てきたヤクモは、放っておけばまとまりがなくなっていく会話の軌道修正をしてくれる。
「そういえばミチル、学院初日はどう?ヤクモ、ちゃんと様子見てる?」
「さっきの件でレイって女の子に絡まれた以外は、みんな遠巻きに見てくるだけだったよ。ね、ミチルちゃん」
「うん」
実際は、何回かリーディングしようとしてくる気配もあったのだけど。
姿を隠してしまえば、読人のことは読人にしか気付けない。
読人の特徴は、目と髪のほかに、閉ざされた心。これは、読める人にしかわからないもの。
たとえ読人がいることがわかっても、常人はリーディングされていることには気付けないのだ。
読人が精神力でリーディングが抑えると同時に読まれないようにできるのと同じく、常人も精神力によって読まれないようにすることはできるが、それは自覚できるものではないので安定しない。
相手の能力が、感情を読む程度なのか、ミチルほどでないにしてももっと覗けるのかはまだわからない以上、彼らに探ってくる者達の存在を教えることはできない。
ちなみにミチルは規格外なので、やろうと思えば ーいつかイツキにしたようにー 己は抑えたまま、相手の抑えを剥がして一方的にリーディングできる。
読人の上に立てる読人。
ミチルが欲しがられる理由のひとつ。
その力の事は公にしてはいないので、知っているものはごくわずかである。
なので基本的に遠巻きにミチルを見ている者達は「王子に捨てられた令嬢」に対する憐れみや興味だったり、心を読まれることの恐怖だったりを抱いているのが主だ。今のところ、だが。
話が逸れたが、ゆえにユリアもヤクモも、本当はミチルが何をするつもりでいるか知らない。
たぶん、リョウヤも王命については知らないのだろう。
きっと、ただ役人になって城でやりたいことをするためだけにここに来たと思ってる。
もちろんそれもあるけれど、それはセカンドオピニオン。
「ミチルはこんなに可愛くていい子だから、すぐにみんな近寄ってくるわ。変なことを考えてる輩が来たら、ちゃんとヤクモに守ってもらうのよ」
「うん。ヤクモくん、よろしくね」
「喜んで」
本当は全く守られるつもりがないとばれたら、怒られるのだろうな。
みんなに隠し事をするのは申し訳ないが、でももうこれは私だけの目的じゃない。
それに、本当に何かあったらどこかにいるカンナがなんとかしてくれる。というかカンナがいるから、何かあるということもないだろう。
カンナは、ただの世話役ではなく、護衛も兼ねた侍女だ。
陛下がミチルに与えてくれた懐刀。それまでは王城に根を張ろうとするあの人たちの牽制役を勤めていた、ナナキも信頼する同僚の一人なのである。
さて、ナナキ達が外で動いているということは、事態はそろそろ進展し始める。
こちらも迅速に動かなくてはいけない。
学生生活を楽しみたいのは山々だけれど、そうも言ってられないのだ。
下調べはもう済んでいるし、行動に移らなくては。
ーー数日後の夜。研究棟のある一室。
「こんばんは、来ると思っていました。さすがに窓からとは思わなかったですけど」
「突然このような所からお伺いする無礼、お許しください。…そのご様子からすると、突然ということでもなかったかもしれませんが」
ミチルは礼の姿勢をとりながらも、サッと室内に目を走らせる。
研究資料なのだろう本や紙で雑然とした部屋の一画に置かれた応接用のテーブルには、二客のティーカップ。
王というのは、お茶を振る舞うのが好きなのだろうか。
「あなたが編入してくることは知っていましたから。来るなら今日かなと。なぜか、今日は見張りも慌ただしくしてるようですし」
なぜか、と言いつつも理由はわかっているのだろう。
彼は落ち着いた様子でゆったり椅子に腰かける。
「協力できるかはわかりませんが、とりあえずお座りください」
「恐れ入ります、サピエ国国王陛下」
ミチルは力なく笑う囚われの年若い王に、最大限の敬意を込めて礼をした。